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おかしな奴 [映画]

おかしな奴[公式]

東映シアターオンライン【公式】
@toei_theater
期間限定で公開していたのを見つけた
映画丸々見るというのは自分にとってなかなかハードだが、期間限定ということが後押しになったか、見ることにした。
1時間ドラマを何本も一気に見るのは苦痛でないのに、なぜか映画はまったく見なくなった
久しぶりだからか、新鮮な気持ちもあったのかもしれない、一気に見終えた。いい作品だったからかな

ウィキコピペ--
三遊亭歌笑(高水春男):渥美清
高水為吉:加藤嘉
高水やす:清川虹子
春藤ふじ子:南田洋子
春藤喜一:坂本武
おひさ:三田佳子
三遊亭金楽(三遊亭金馬):石山健二郎
しゃもじ:佐藤慶
とん平:春風亭柳朝
藤田三吉:田中邦衛
円八師匠:十朱久雄
あんま宅悦:渡辺篤
--
佐藤慶、兄弟子。最初の方にも出ていたのだろうけど、中盤あたりで気付いた。
田中邦衛、寄席の呼び込み役? こちらはすぐわかった
一方女性陣
三田佳子、今の面影ほんの少し。だけど角度とか表情によって、ああ、この人が三田だなとわかった。まあ最初にキャストクレジットがあって、重要な役だからということが分かっていたということもあろうが。
南田洋子、寄席の席亭の娘役? 多少面影あり。あと喋り方が自分の知ってる南田の感じになるところもあった。
春風亭柳朝が出ているのが嬉しい。張り切ってやっている。落語家の役、入門に来た渥美を追い返すが、その後他の門に入った渥美の門下に移ってきて、どっちが先輩か(兄さんと呼べとかなんとか)で揉めている
とりあえず、これくらいを意識して見ていた。
清川虹子は見ていて、多分そうかなと思っていた。加藤嘉まったくわからず。

セリフが聞き取りにくいところあり。古い映画だからしょうがないか。字幕も出ないので一部わからんところがあったが、まあいいやと一気見。
テレビでつべ視聴した。テレビ録画をしたものより、こまめな巻き戻し早送りがやりにくく、そこらを弄るのを避けていたのだ。
これがテレビ録画だったら、聞き取れなかったところを何度も巻き戻して聞き直すんだけどなあ。そういうことも含めてつべだと流し見みたいな気分になり、じっくり見ようという感じにはならない。実際にいた落語家の映画だからもうちょっとちゃんと見たいという思いもあったのだけど。例えば三遊亭金楽ってのは三代目金馬であることをわかった上で見たかったとか、歌笑の生涯年表を頭に入れてから見たかったとかだ。

落語指導:三笑亭笑三とある。ウィキにも「三遊亭歌笑を演じるにあたり、芸熱心な渥美清は、撮影前から歌笑研究に励み、歌笑とゆかりの深い三代目三遊亭金馬、二代目歌笑、三笑亭笑三らに付きっ切りで在りし日の歌笑の仕草語り方を学んだ」と

加藤嘉、ほんとうに出てるのかと疑問
歌笑の父親役だそう。
序盤と終盤に出ている。こんな感じ↓
無題.jpg
3.jpg
2.jpg
これ違うよねえ。おれが抽出してるところを間違ってるか
OPのキャストクレジットに加藤嘉の名前ないしウィキが間違ってるのかなあと思ったが各種映画サイトが同じように書いている。



眠狂四郎(市川雷蔵) [映画]

2019/11/08(金) 13:00 - NHKBSプレミアム|82分|15倍録
シネマ「眠狂四郎 殺法帖」<レターボックスサイズ>[字]

時代劇チャンネル無料放送で阪東妻三郎のドキュメンタリーを見たり、眠狂四郎の田村正和版を視聴したこと、さらには、録画していた市川雷蔵の眠狂四郎の放送中にテレビ画面を見たら、偶然にも田村高廣が大写しになっていて、その偶然にびっくりし、その作品は続けて見ようと考えた。
で、市川雷蔵の眠狂四郎
つい最近までBS12で全作を特集放映していた。録画を始めたが、今作品は以前にも見たことあるし、全作を放映するらしいがすでに放映が始まっちゃってるようだったしで、ちゃんとHPを見て放映日程を確認することを怠っていたので全部は録画できていない。録画予約したもののレコーダー不調でうまく録画できなかったものや、他の録画番組と重なったため録画しなかったものもある。
ほかに、ずいぶん昔にNHKやほかのチャンネルでやったものも録画してそのままになっていたものもあった。
かつて数本見ていたはずだが、まったく覚えていないので、ウィキでシリーズ全貌を確認し、とりあえず第1作を見ようと考えて、上記を視聴。これは以前にNHKでやったやつを録画したものだ

いまいち。見始めてすぐ思ったが、あまりニヒル度が高くなく、かといって親しみやすいキャラクターというわけでもないが、田村正和のやつを見たばかりだから一層そう感じたのかもしれない。そしてウィキを見てみると(退屈な作品だったので視聴途中でウィキを見た)、--
試写を見た市川自身もまた「小説の狂四郎という人物の特徴であるはずの空虚間、虚無感や孤独感が無く、逆に何だか明るくて健康な人物にさえ見える。これまで自分が映画の中で醸し出してきたはずの虚無感や孤独感が自分の中から消えてしまっている。」とし、その理由を「結婚をしたことの幸せな状態や安心感が出てしまった」からであろうとした
--
まあそういうことですか。

市川雷蔵: 眠狂四郎
中村玉緒 : 千佐
小林勝彦 : 金八
扇町景子 : 芸者歌吉
真城千都世 : 常盤津文字若
沢村宗之助 : 前田宰相斉泰
高見国一 : 捨丸
木村玄 : 根来竜雲
城健三郎 : 陳孫

木村玄は木村元、特徴ある顔つきなので気付いた。
小林勝彦はなかなか気づけないと前に書いたが、これもキャストクレジットに名前があったから待ち構えていたということもあろうが気付けた(キャストクレジットでは役名は全員なし)
城健三郎は若山富三郎。若山富三郎に似てるなとは思ったが、キャストクレジットになかったので、似てる人かなと思いながら見ていた。
田村版のところにも書いたがストーリー的な面白さはあまりなく、殺陣だとかを見どころなのだろう、結構退屈な作品であった。
レギュラーだと思われる金八と文字若は登場している。

このメモブログを検索してみると、以前に6作も見ており、今回見た「殺法帖」も視聴済み。これから見ようとしている田村高廣出演の「女地獄」も既に視聴しているとのこと。
4作目の「女妖剣」がヒットしシリーズが継続されたのだそうだが、こちらは未視聴。

視聴済みかどうかのメモ

1、2、5、6、8、10
未視聴
3、4、7、11、12

無法松の一生(1943年、阪東妻三郎) [映画]

2021/10/07(木) 13:00 - NHKBSプレミアム|81分|15倍録
シネマ「無法松の一生 4Kデジタル修復版」<スタンダードサイズ>[字]
ずいぶん前に録画したものだがそのまま放置されてた。今回時代劇チャンネルの無料放送で阪東妻三郎のドキュメンタリーを見て、今作品のことを知り、視聴することにした。
前に三船版を見ており、それは大層素晴らしかったのだが、それでも内容はあまり覚えてはおらず。ただ大まか内容はなんとなく覚えているという程度。で、こちらを見始めて、どのエピソードも、なんとなく覚えていたり、この後の予想が出来たり(ラストは敏雄が亡くなるのかなと思ったが違った)、結構覚えているものだなと思った。
ある男の一生をエピソードで繋ぐという形のためテンポが良く、どんどん話が進んでいくのだが、それでもちょっとかったるくも感じる。
また、そういう形式のためか、当時はこんな作り方が普通だったのか、意識的なのかわからないが、省略の美学とでもいうか、例えばエピソードの結末がなく、次にいってしまったり(終盤の喧嘩のエピソード、松が喧嘩に参加してその後どう収拾されたのか、だとか)、エピソード中でももうひとつセリフがあってもいいようなところを無しにしてたりとか。
1時間21分n放映時間、ウィキによると「上映時間 99分(現存78分)」となっており、検閲で削られたのだとか。そして、重要な部分もなくなっている。見ているうちに松が未亡人に恋するとかって話を思い出しつつあったのだが、そんな場面は一切なく終わった。ウィキを見てそこの部分が削られていることを知る。
今の時代だとなかなか理解されにくい世界だろう。労働者階級と上流階級みたいな世界観だからね。そういや松がちょっと卑屈すぎやしないかと思えたが、それも現代的目線かもしれない。
出演陣では
結城重蔵:月形龍之介
夫人よし子:園井恵子
敏雄の少年時代:澤村アキヲ(長門裕之)
宇和島屋:杉狂児
阪東妻三郎、田村高廣によく似ている。田村高廣がよく似ているのか
杉狂児ってのはかすかな記憶だが、色川武大がエッセイに書いていたような気がする
園井恵子、これを見終えてウィキを見てて、この人の項目を読み込んでしまった。
なお、NHKではこの後、23/8/31に放映予定となっている。

嫌われ松子の一生をちょっと思い出す。題名は今作のパロディなのかな。あと「ドン松五郎」という単語も思い出し、調べてみると「ドン松五郎の生活」という作品があり、これも題名は今作のパロディであろう。

トレインスポッティング [映画]

04/22(土) 21:00 -
BS-TBS|114分|DR
[映]土曜映画デラックス「トレインスポッティング」【吹替】
大層有名な作品、テレビでやる(続編は次週に)とのことで録画視聴。
見る気分になるかなと思ったが、ほかになにもやる気もせず、視聴することにした。
はいはいなるほど、こうい作品か。薬中の屑ばかりが出る作品、登場人物の誰にも感情移入がし難く、なんでこんな屑と縁を切らずに仲間のままなのか、とちょっと疑問であるが、その片側も屑なので、まあそういうものなのだろう。
終わり方は、これから立ち直るみたいなことを言ってる。続編はどうなるのやら。そんなことを言ってる終わり方だが、やっぱり屑、みたいな内容だと予想。

※追記6/19
続編「T2 トレインスポッティング」を視聴
4/29 BSTBS 21.00- 1.54(作品の時間は「117分」とのことで、カットあり) 吹替版
非常に悔やまれることがある。1を見た後、すぐ2を見ようと思った。割に身体の調子もよく、このまま見れる体調だなと思えたのだった。ただ、結局そこで見なくて、翌日も見なくて・・・、で、もう見る気を失ってしまい、こんな間を置いてしまった。まあその間も早く見なきゃと気にはなってたんだけど。
で、1の余韻がある状態で見ればかなり面白かっただろうと思えた(前作と同キャストが同キャラを演じている)のだが、なにせこちらは、もう1をほとんど覚えてはいない。強烈な印象の特異な作品ではあったのでどういう作品かは覚えてはいるにせよ、登場人物の名前とかそれぞれの顔、エピソードの詳細なんかを覚えてはおらず、2を見始めると序盤は正直言って何が何だかという感じで、しかしこれは続編であるから、それゆえよくわからないということであろうと、一旦中断しウィキなどネットでこの作品のことを検索。同じキャストで同じキャラの20年度という作品世界であることを知り、登場人物の名前をウィキから拾って名前を覚えて、今作の序盤を見続ける。中盤に入る前くらいに大体主要登場人物4人がいまどういう関係で今作に登場しているかを把握し、さらには前作のことなんかも思い出す。作中に前作のエピソードのことなんかも語られるのでそれでぼんやりとこれは前作のエピソードにあったななどとも思い出す。
こういう人物のことをなんといえばいいのだろう、ちょうどよい言葉があったような気がするがどうも思い出せない。「ろくでなし」じゃちょっと違うかなあ。「ジャンキー」がぴったりだと思うが、薬をやらないキャラもいるようで。社会の屑とでもいえる四人の幼友達の、屑が屑のまま終わっていくという前作をなぞったような展開、いや、そこまで屑じゃなかったな(※)、ラストが前作を意識したようなもので、そこから、全部が同じようなテーマのように思えてしまっただけかも。
(※)最後にスパッドが書いてる原稿に「トレインスポッティング」とタイトルがつけられているとどっかの解説にあり、見直してみたが、おれが見ているところにはそんなの出てこなかった。カットされてるのかな、序盤でレントンが実家に帰りレコードをかけようとして止める場面というのが、最後の場面でレコードをかけて踊るシーンと対比されてるともあったが、序盤のところではそんなシーンなかったし。そういったネタバレ解説を読んでいるとおれは見逃してる部分が多くあり、そう考えると、前作は屑が出てきてそれが屑の所業を行いそして屑のまま終わる作品だったが、こちらは屑が再度出てきて、最後には少し希望の光みたいのが見える感じである

友情だとか、そういうものをあざ笑うような内容で、しかし時代劇の善悪がきっちり色分けされてるというのとも違うところが特徴的。「盗賊が分け前の巡って仲間割れ」とすれば時代劇(時代劇でなくても)でありがちだと思うが、そこに幼馴染という要素があり、しかしその関係性は緊張感をはらんだもので、そして安直な終わり方をしないところがよい、多分そういうところが評価されているのだと思う。
ただ、前作はそれが若い奴らということでその美意識が例えば音楽ファッションなんかの面で新たな若者文化の一翼という風にも見えるが、ここでは中年のおっさんたちが主役であり、正直言ってなんでこれをやろうと思ったんだろうとほんのちょっと疑問も。
また前作ではその腐れ縁のような関係性をそれでも断ち切ることができないというのはわからないでもないのだけど、今作で金を持ち逃げしたレントンが故郷へ戻る、その戻ってくる気持ちは望郷だとかでわかるが、その後また昔の仲間たちとの関係ができあがり、そしてその関係性がこじれまくって、それでもなおそこにいる理由は何? という感じがする。こんな風になってしまって、また別の地でも生きてきた実績があれば、さっさと逃げ出しちゃいそうなもんだけど。まあ父親がいるということもあるのかな

もちろん大人気作をうん十年の間を空けて同じキャスト、同じ監督で作るなんていうのは映画史的にも大きな価値があり、鑑賞に堪えうるものでもあるので、それは成功ではあると思うが。「うん十年の間を空けて同じキャスト、同じ監督」って以前見た作品にあったような覚えがあるが作品名を思い出せない。いや、おれが見たかどうかも覚えていないが、なにかの作品を調べていて、そういう作品があったことは覚えている。なんて作品だったかな。

再度放映されたら、連続で見たいものだ。
スパッドは見ていて前作に出ていたことを思い出せた。あと主役のユアン・マクレガーなんかも見ているうちになんとなく、ああ確かにこういう顔だったなと。
ダイアン、前作のヒロインというか、女性キャラ。これも今作に出ているとのことで、顔は覚えていないけど、多分これだろうな、目立った女性が出てこないし。弁護士だろ、と検索してみた、やっぱりそうか。
今回のヒロインというか女性キャラはベロニカ でサイモンの女として登場しているが、レントンと寝たり、最後はスパッドとお金のことを打ち合わせており、結局全部を持ち去って行ってしまっているし、なぜかそれで田舎江へ帰り子供が待ち受けている。




七人の特命隊 [映画]

2021/9/11 BS 161
開始時刻 21.00 録画時間 1.54
吹替版(チャック・コナーズ (瑳川哲朗) 、 フランク・ウォルフ (小林勝彦))

1968年公開のマカロニ・ウェスタン
原題:Ammazzali tutti e torna soloで、ここに七人と入ってるのかどうかわからないが、この七人というのは、南軍から北軍の武器庫にある金を奪うという密命を受けた主人公クライド・マッケイが五人のならず者を集めて、作戦を実行する。その際に南軍の大尉がお目付け役という感じでついてくる、という七人。
で、クライドは五人を引き連れて南軍の基地に攻め入る。これは南軍の将軍から頼まれていたことでデモンストレーション。その場面で、五人のメンツを紹介するのだが、ここが変。
五人というのはデッカ、ボガード、ホーギー、ブレイド、キッド
その中で一人、ボガードだけ名前が紹介されないのだ。その後のクレジットや、六人で行進(まだ大尉がついてきていることがわかっていない)している映像で、変だなあと気付き、メンツ紹介の場面を見直しわかったのだ。何度か見返して、多分、ボガードの名前を言っている場面が吹替に入っていないだけなのだろうと思う。その紹介の場面は、各自が階下でまだ殺陣をやっていて、それを目で追いながら「こいつは○○、」と名前を紹介し、その性格なんかも喋っており、それを順に。その際、ボガードだけ、紹介されていないように見えたけど、一応画面に映っており、クライドのセリフもよく聞いてみると、デッカの紹介後、ボガードの名前だけ省いて、性格なんかの紹介はしていることに気付く。でもその場面ではそれぞれがそれなりの時間映っているのだが、ボガードだけは、異様に短い。
このくらい古い作品、とくに西部劇、マカロニ・ウェスタンで多いのだが、今回は吹替版で、二か国語放映でない、字幕もつかない。なので、吹替にないだけなのかはよくわからない。まあ映像のカットとかはないと思うが、なんか変だなあ。
クライドは金を奪ったら、最後に全員殺せと命じられている。中盤で金を奪い、一人で逃げるが、仲間に追いつかれる。が北軍も追いかけてきて、結局連行、収容される。ここで一応クライドと他の四人(仲間の内、ホーギーはその際に川に飛び込んで姿を消しており、これは終盤で再び登場する)は、自分たちの身の上を考えて仕方なく再度結束という形になる。おれは、この後のストーリーとして、仲間が結束して、悪役となる大尉(金次第とほざいて、なぜか北軍の軍服を着て、北軍の大層な地位に就いている)を出し抜くみたいなことを想像、そもそも最初の裏切りも裏切りに見せかけているのかなと思ったくらいだ。
この予想は外れ、この後のストーリーは比較的殺伐としているという感じ。少しずつ仲間が脱落していき、最後は大尉とホーギー(大尉と組んでいる)とクライドが対峙、クライドが勝って、金も手に入れ、というラスト。


牛泥棒 [映画]

03/31(金) 13:00 -
NHKBSプレミアム|76分|15倍録
シネマ「牛泥棒」<字幕スーパー><スタンダードサイズ>
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ヘンリー・フォンダ主演。名匠ウィリアム・A・ウェルマン監督が、えん罪事件を真正面から描き、アカデミー作品賞にもノミネートされた傑作西部劇。流れ者のカーターは、相棒アートと共にネバダ州のある町にやって来た。そこへ地元の牧場主が殺害され、牛が連れ去られたという知らせが入る。町民とカーターたちは犯人を捜すため、捜索隊を組織し、牛を連れて野宿していた3人の男たちが発見される。3人は無実を主張するが…
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これを選んだのも短いから。
ううむ。よくわからん、これが傑作だと。
豚に真珠、価値の分からないやつに名作を与えても、ということか。
まず序盤で躓く。長いのだ。ウィキにあらすじがあるが、牛泥棒を捕まえろと民警団を組織して町を出ていくまでが、文章にすれば短いのに。そしてストーリーの中で色々役割を果たす人物、いわくありげな人物がたくさん登場するが、その素性もわからないし顔の区別もなかなかつかない。すぐ眠くなる。
さらにいえば主演がヘンリー・フォンダだが、結局最後までさして活躍もせず、突出した役割もなく、出番もほかのたくさんの人物と同等かそれより少ないくらいだ。つまり誰を主軸に見ればいいのかもわからず手がかりがつかめない。
ストーリーとしては、キンケイドという男が殺され、それは丑泥棒の仕業だろうと、キンケイドの友人を筆頭に民警団が組織される。保安官の許可のもと、裁判で判事が裁くべきと主張する町の長老なんかもいるが、町民の憤慨は止まらず、犯人を追う。怪しげな三人組を見つけ、それが犯人だと決めつけ、そして私刑は実行されてしまうが、そこへ保安官がやってきて、キンケイドは死んでおらず、治療しに行っていただけだ、と言う。民警団の面々が茫然とする。私刑された男の妻への手紙が読み上げられる。そこには非難はなく、両親の大切さが綴られていた。という感じ。
犯人を追うとき、その三人組に会う前に別の三人組、新婚夫婦と新郎の姉、そのうちの一人の女性、新婦は、カーター(ヘンリー・フォンダ)とは以前深い仲であったようで・・・。というようなエピソードがある。こういう場合、それがストーリーに絡んできそうなものだが、それ以上なにもなし。こんなことが多い。上に書いたが民警団の中のいわくありげな人物たちが、いわくありげなまま、さして説明もなく終わっていく。リーダー格の元軍にいた男なんかは裏がありそうに描かれていたが、それも説明なし。最後は息子になじられ、銃の音がしてるから自殺したのかな。
さらにいえば真犯人もわからず。
こういうストーリーなら、ミステリー仕立てにするなら、私刑になった三人組の、実は無実である証拠とかが段々明かされるとかだが、そういうのもなし。
そこで私刑を行うことに反対するのはいるかと問われ、7人が出ているが、その7人もなぜ、なにを考えそういう考えに至ったのかととかもなし。
ストーリーをシンプルにして、市民の暴走と良心の大切さを描いたということなのか、なら、カーターと知り合いの女性なんか出す必要もないし。

抜き射ち二挺拳銃 [映画]

04/07(金) 13:00 -
NHKBSプレミアム|78分|15倍録
シネマ「抜き射ち二挺拳銃」<字幕スーパー><スタンダードサイズ>
1952アメリカ
テレビ録画の映画を見るのは超久しぶり。
まあ早急に見るものもなくなり、というか、溜まった録画はもう尋常でないほどになっていて、しかし、何も見たくなく、これを見ることに決めるまでも延々と時間がかかった。
おれがいま延々と見ている1時間の連続ドラマ時代劇と比べ映画は、2時間、シリーズものでないので各キャラとも初対面ということで、かったるいのだ
で、短めの作品を選んだ。
かなり面白く集中して最後まで見れた。
映画/西部劇を見るのは久しぶりなので、他の作品と比べてよかった、悪かったという比較ができず、ゆえにこれが良い作品であるのかどうかよくわからんのだけど。
ストーリーは単純なように見え、所々にわくわくするような仕掛けがあった。
監督がドン・シーゲル。だから面白かったのかもしれない。
主役はオーディ・マーフィ(ルーク(通称:シルバー・キッド))なのだが、おれはスティーブン・マクナリー(タイロン(通称:ライトニング))の方なのかと勘違いした。彼の独白がナレーションとなって進むので。
で、まず冒頭に採掘権強盗団が暴れまわっているとナレーション(タイロン)があり、ルークの父親がその強盗団に殺され、ルークが復讐を誓うという場面がある。これを見て、なんだか童顔のルークが主役なのかなあと思っていると、保安官のタイロンが登場し、ナレーションもやってることがわかり、こっちが主役なのかと勘違いしたのだ。で、その割にサブタイトルの二挺拳銃を操るのはルークの方だし、なんか色々ごっちゃというか、ダブル主演というか。
でも見終えてみると、なるほど、ルークの方が主役かともいえる。
タイロンはダスティに惚れられており、が、邪険に扱っており、そこへルークが割って入り、最後はこの二人が結ばれるというところで終幕なのだ。
仕掛けの一つとして、タイロンが悪役側の女性オパル(通称:ブラウン・アイズ)に惚れ、騙され続けるというものがあり、江戸を斬るを見ているせいか、タイロンが騙されてる振りをしているように錯覚してしまう。
そうそう、そのオパルの登場場面もうまい演出。強盗団を追って負傷したタイロンは、治療のため、街に戻らないでいたのだが、そこへ強盗団の目撃者が負傷して運び込まれる。この負傷者を、看護婦だといって近づき人がいなくなった隙に殺してしまうのがオパル。殺したということに気付かず、タイロンはオパルと親し気に話し、オパルが金の採掘業者を始めた兄を頼ってタイロンの町へ行くと聞き再会を約す。その兄ロッドが強盗団の首領。見てる側はわかって見ているのだが、このロッドが何者か、そしてオパルが何者か最後まで気付かないというあたりが興味を惹き続ける原動力の一つとなっている
悪役のひとり、ジョニー・ソンブレロはその名の通り、ソンブレロを被っており、そういう特徴的なところもわかりやすくて良い

シネマ「劇場版 岩合光昭の世界ネコ歩き」 [映画]

12/25(日) 12:00 -
NHKBSプレミアム|100分|DR
シネマ「劇場版 岩合光昭の世界ネコ歩き」<レターボックスサイズ>[字]

何もする気にならず、毛色の変わったものを。
NHKで夜中にやってる世界の各町の風景や、自然の風景の番組のようなものかと、予想しボーっと眺めるのにもよさそうかなと。
これについてはタイトルくらいは知っていて、でもなんなのかといわれるとよくは知らない。まあNHKで時折見かけるような気がするしのNHKのドキュメンタリー番組かなくらいの知識(調べてみるとその通りNHKのドキュメンタリー番組だった)
であるからこの番組のファンというわけでもなく、単にNHKの映画の放映予定ページに掲載されていておれが見てなかったからと機械的に録画予約しただけである
でそういう作品であるからやはり自分には退屈でもあり、結局ちょこちょこと休憩を入れながらの視聴
北海道の牛舎とタイの水上生活(湖の上での生活)の二か所での撮影で、それがひとつのかたまりごとに交互に流れる
ナレーションは中村倫也となっているが、さらに岩合光昭の声も入っており、それもナレーション的なもの(クレジットではナレーションが中村倫也、語りが岩合光昭となっている)。
中村倫也のナレーションの方は、ネコに語りかけるようなものが多くちょっと気恥ずかしい、例えば、水に落ちそうになれば、「あ、危ないよ・・・、あーあ落ちちゃった」みたいな。客観的に、「危ないところへも平気で行きます。このように落ちてしまうこともあります」みたいのでいいかと。
岩合のほうはナレーション的なことのほかに、撮影中のものだと思われる声も入ってる
人間に飼われている、少なくとも黙認されているネコたちであるが、あまり人間は映らない。タイのほうではそれでも多少人間の存在も映り、ネコと交流しているのだが、北海道のほうでは、映ってもネコと交流しているような場面はない。例えばミルクをやる場面はなく、しかし、初乳と言っていたが、母牛からでた乳を子牛(大人の牛と子供の牛で別に買われており、その各々の牛舎に別のネコの群が住んでいる)に持っていくバケツからネコが勝手に飲むのは黙認している
ネコとの交流はカメラの外ではやってるのだと思うが。

ネコが可愛く見える場面もあり、またたくさんいるのを見ると気持ち悪くもあり。また、人間の目で感情を入れて見ると、ネコでもこんなことあるのかみたいな場面は感動的、例えば母ネコの子への愛情だとか。

1/7に見始め、見終えたのは1/8、最後の部分を見る前に、ようやくちょっと他のものを見る気になり、先に「いちげき」を視聴した
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動物写真家の岩合光昭が、世界各地のネコを紹介するドキュメンタリー番組の劇場版第2作。今回はミャンマーの湖上に建つ小さな家で暮らすネコの家族、そして、北海道の牧場で牛や犬とともに暮らすネコたちに密着。1年を通して取材し、四季折々のネコたちのあるがままの姿を描いていく。世界中のネコたちをこよなく愛する岩合が、心から撮りたいと願ったネコの“家族愛”を描く感動作。ナレーションを務めるのは中村倫也。

【プロデューサー】
小島智
【監督・撮影・語り】
岩合光昭
【音楽】
髙野正樹
【構成】
岩合眞知
【ナレーション】
中村倫也

製作国:
日本
製作年:
2020
備考:
日本語/カラー/レターボックス・サイズ
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「花嫁のパパ」、「花嫁の父」 [映画]

05/16(月) 21:00 -
NHKBSプレミアム|110分|15倍録
シネマ「花嫁のパパ」<字幕スーパー><レターボックスサイズ>
1991 アメリカ
続けてスティーヴ・マーティンのものを見ることにする
平均的なというか平凡なというか、ストーリーは王道で想像のつくものであり、伏線がこういう風になるのかなと思いながら見ているとその通りみたいなこともいくつか。もしかしたら当時見たのかもしれない。スティーヴ・マーティンは好きだったし、レンタルビデオで借りて何本か見ているはずだし、製作年度からしても見ていてもおかしくはない
変だな、スティーヴ・マーティンの出演履歴見ても、これは見たなと印象に残ってるものがほとんどない。もうちょっと見た作品があったはずだがなあ
ストーリーやギャグ、テンポなど演出は悪くなく、なのに長々と見てられず、すぐ休憩。休憩を入れたのにもかかわらず、中盤のところでどうしても眠くなり、またまた長時間休憩
もう映画という長さが耐えられないのだろうと思う。いくつか続けて映画を見てみようという気になっていたが、さてどうなるか
スティーヴ・マーティンは会社の経営者ジョージという役。多少エキセントリックで経済的に小市民的で多少ケチでという役柄なのだろう。そう見ればとくに問題なく見れるが、コーディネーターのフランクが異様な人物で、彼の提案に家族全員が引きそうなもので、そうするとジョージの反応ももっともで、ここはジョージが変というところを見せるべきかと思う。
妻役がダイアン・キートン。少年である息子の役はキーラン・カルキンという人で、マコーレー・カルキンの弟。さらにフランクの役はサボテンブラザースでもスティーヴ・マーティンと共演しているマーティン・ショートだということにこれを書きながら見ているウィキで気付く。

※追記
11/28視聴
06/16(木) 13:00 -
NHKBSプレミアム|94分|15倍録
シネマ「花嫁の父」<字幕スーパー><スタンダードサイズ>
こちらのリメイク作品が上記「花嫁のパパ」
元の作品も近い日に放映されていた。ちょうど1か月後の放映である
ある程度意識した編成だろう。
冒頭に花嫁の父が椅子に座り娘の結婚について愚痴をこぼすように語り出すというのは全く同じ始まり方。これはオマージュということだろう。そしてこのようなオマージュ場面は作品内に多々あり。
一方で多少異なっているところもある。
パパの方でのスティーヴ・マーティンというコメディアン中心に作られていることに起因するコメディ場面がこちらにはなく、こちらもコメディ映画ではあろうが、その笑いは役者起因でなくストーリーやセリフのやり取りなどに起因する
スティーヴ・マーティン起因と言えば、それはプールと貯金通帳のくだりがまず挙げられるが、それとともに、マーティン・ショートが演じるコーディネーターの存在もそうなのだろう。こちらの作品ではコーディネーターは出てくるには出てくるが脇役の一人であり、パパのときのような主要登場人物とはなっていない
そういや、その家の職業や、始まりのところでの娘の登場なんかも違っていたな。
またお相手の職業がパパの方では現代的でコンピューター技師である。こちらではあまり明らかにされていない
パパの方で説明がなされないので多少わかりにくかった部分がこちらではセリフで説明されていた。なぜ花嫁側がそのパーティの費用を持たなくてはならないのかということだ。パパのほうでも見直したら少しだけセリフにあったのではあるが、こちらではそれが「義務」だという風習があるとセリフにある。まあこれはそんなことは(アメリカの客が)誰もが知ってる話なのだとしたら、説明されなくてもいいのだろうけど、おれはそこがわからないから、なんでこっちの家ばかりがあたふたするのだろうと思ってしまったのだった。

サボテン・ブラザース [映画]

1986 アメリカ
2021/12/31(金) 23:16 -
NHKBSプレミアム|104分|DR
シネマ「サボテン・ブラザース」

これは自分が高校生か大学生のころ友達から勧められて見て、ずいぶんと印象に残ってる、つまりは好きな映画。おれが勧められたのは公開当時だったのか、それともその後それなりに時間が経過していたのか。製作年度から判断すると、公開され話題になっていたということで勧めてくれたようにも思うが、もうちょっと後だったように思う
その作品が去年の大晦日から正月にかけてのNHKBSの「年越し映画マラソン」で放映された。で、まあ好きな作品がテレビで放映ということで、すぐ見ようと思っており、実際に見始めもしたのだけど、このメモブログの記録でもそうなってると思うが、もうテレビ放映の映画を見るという習慣はなくなっていて、映画を見るのがかったるくてしょうがない。これも最初の10分くらいで飽きてしまって、その後放置。
今回NHKBSにて再度放映されており(11/22)、それを番組予定表で見て、思い出し、そしていくらか条件も整い、つまりまあ他にやることがなかったのだ、で見ることにした。
今回は調子がよく、それでも30分くらいでちょっと休憩入れたりして、なんとか見進めていったのだが、1時間くらいのところでどうにも眠くなり、といっても飽きたという感じではなくストーリー自体は追えていて、面白く見ていてのだが、そうやって集中して見ているということが疲れになったのだろう、ちょっと諦めて、テレビを消して、寝るでもなく休憩、が、結局眠ってしまった。
この日はサッカーの日本代表初戦であるドイツ戦、10時から開始だったのだが、それまでには十分見終わる時間にこれは見ていたのだが、寝てしまい、目が覚めたのは9時半くらい。
続きを見るのは明日にする
見ていて。改めてコメディというのはいいなあと思う。辻褄が合わないとか不自然とかそういうことはどうでもよく、とにかく面白ければいいというルールなのだなと思う

※追記
翌日残りを視聴
まあとくに書くこともないが。上に書いた辻褄のこと
スリーアミーゴスが悪党エル・グアポ率いる山賊に対し逆転する場面、エル・グアポ側が大して窮地に陥ってない、ラッキーに銃を向けられてるという状況はあるが、のに逆転してしっまうのは変で、もっとそこは精緻に作られていてもいいかなと思うった。
その場面の前のラッキーの脱獄の場面、そんなに易々と脱獄できてしまうところに閉じ込めるかねえとも思う。
まあ野暮な指摘か。
ランディ・ニューマンという音楽家が脚本として参加している。キャストでも最後の方にクレジットされていた。ウィキによれば「歌う木」(クレジットでは「Singing Bush」)だそうで、あの歌声か。
音楽担当と見たような気がしたが、冒頭のクレジットを見直すと、「Songs by」でランディ・ニューマン、「Score by」でエルマー・バーンスタイン
ネッドはマルクス兄弟のチコ的な役割か
ラストでネッドが子供と交わすやり取りは西部劇にありがちなものでパロディかな。まあ全編そういうもののパロディではあるが。
監督はジョン・ランディス
出演はスティーヴ・マーティン、チェビー・チェイス、マーティン・ショート
ウィキ「『サボテン・ブラザース』は批評家からは酷評されたものの、時代を経て好意的な評価を受けるようになり、カルト的人気を集めた」
おれは最初見たときは好ましく思ったが、今見ると、もう一歩ギャグをやってもいいかなと思えるような場面もあり、当時の限界というか、大した作品ではないなという感想