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トキワ荘の青春 [映画]

04/11(月) 21:00 -
NHKBSプレミアム|113分
シネマ「トキワ荘の青春 デジタルリマスター版」<レターボックスサイズ>[字]
1996 日本

テレビ放映の録画で映画を見るのはかなり久しぶりではなかろうか。
まったく見る意欲がなくなってしまっていて。今回もさしてそういう気分が盛り上がったわけでもないが、録画一覧画面を見たら、この最新録画にカーソル(テレビの場合はカーソルとは言わないか、そこが操作対象になっているという意)が当たっていて、気分的になにもする気が起きず、逆にただ流しておく分にはこれでもいいかな、と。見るなら今しかない、いま見なかったらまた録画蓄積のひとつになっていまうだろうという思いで、見ることにした。
久しぶりに見るにはあまり適当ではなさそうで、なんだかわかりにくい。群像劇と解説にあり、その通りたくさんの人物がどれもそれほど強調されずに描かれており、それらが誰が誰やらのままずっといってしまった。作品の概要として、あの有名な漫画家群が生活していたアパートが舞台で、その有名漫画家たちの駆け出しのころの話ということはわかっており、誰が誰やらみたくなるとは思っていなかったのだが、ダメだったねえ。中盤になってやっと、阿部サダヲが藤子不二雄Fをやってることに気付くという体たらく。
ちょうと真ん中あたりで猛烈に眠くなり、休憩。もう途中で断念しちゃおうかとも思ったが、休憩後続きから視聴し、最後まで見終えた。
ウィキには「盛り上がりを抑えた物静かなトーンの作品」、「本木雅弘が主人公である寺田を演じ、藤子や石ノ森、赤塚らの後輩を年長者としてサポートしていくなか、徐々に時流から取り残されていく寺田の姿が描写されている」とある。まったくその通りの作品である
多分多彩なエピソードが描かれていたんだろうと思うが、それはこの後ウィキででも読んでみよう。
藤子不二雄Aこと安孫子素雄氏が亡くなっての追悼放送で、事前にはスティーブ・マーチンの「花嫁のパパ」となっていて、こちらも見ようと思っていたのだが。
録画蓄積には相当に見たいという気持ちの強い作品もいくつかあり、その中のひとつがスティーブ・マーチンのサボテン・ブラザースなんだよなあ、未だに見てないのだけど。
藤子不二雄Aの訃報には、普段聞いてるラジオ、ナイツ、中川家、サンドウィッチマンの三者がそれなりに話していた。
たしかナイツのラジオショー木曜日の放送中に速報として読み上げられたんだったかな。ナイツはちゃきちゃきでも話していたかと。
中でも中川家の逸話がよかった。漫才ライブのポスターを描いてもらおうと頼みに行ったとかで、それは実現し検索すれば見れるのだが、で、その後も多少つきあいがあり、とのことだった。

シャラコ [映画]

1968 合作、西部劇
08/14(土) 21:00 -
BS-TBS|114分
[映]「シャラコ」吹替▼ショーンコネリーとブリジットバルドー共演による異色の西部劇

シャラコ - ショーン・コネリー(大平透)
イリーナ・ラザール - ブリジット・バルドー(小原乃梨子)
ボスキー・フルトン - スティーヴン・ボイド(小林清志)
ウィキにこうあって、たしかに小林清志の声もあったから、吹替はこういう陣容で会っているだろう(番組内での表示はない)

まあまあうまくまとまってるんじゃないかなと思えた。主人公チームが窮地に追いやられる話であり、最後は甘ったるい演出(銃撃戦を派手にやっていたのに最後は剣での対決)ではあるが、窮地を脱してハッピーエンド。
この時代のお約束なのかな、西部劇だからいらないとは思うが、ショーン・コネリーとブリジット・バルドーのラブシーンがちゃんとある。
変な設定の作品で、ヨーロッパから貴族の一行狩にニューメキシコへやってきたというのが発端。
貴族の一団は、危険だという忠告を受けるも受け流す。ここら辺はいかにも、という感じだ。この一団のリーダー格の男爵というのが特にその傾向を現わしていて、その見通しが甘かったということで自信喪失気味になるも、終盤で山を登ることになり、裏から行こうと提案されるも、なあに、あんなもの簡単だと切り立った崖を登って行こうと提案、いかにも失敗フラグであるが、ここは見事成功し、おやおや、なんか変な演出だなと思う。まあ、この人は根っからの悪役ではないということなのだ。その証拠に、この男爵はブリジット・バルドー演じる未亡人イリーナに結婚を申し込んでいて、この旅でふたりをくっつけようという周りによる企画でもあったのだが、その山を登り切った後に、作品的に束の間の静かで安らぐ時間があり、そこでその男爵は結婚の申し込みをこの度での今までの失敗を顧みて撤回するのだ。
この安らぎタイムではほかにもいい場面がある。この旅には二組の夫婦が参加しているのだが、そのうちの一組、女房のほうはメキシコ出身なのかなあ、序盤で使用人である現地人と出身が同じだからと親し気に会話をすると夫に使用人と私語はするなと怒られているが、この安らぎ場面でまたその使用人と会話を交わした後に、旦那に謝るのだが、旦那はいいよいいよ、と。そして二人は、双方への信頼を確かめ合い、「恋人のように」(と、それを見てイリーナが言ってる)歩いていく。この現状も窮地に陥ってるわけで、そんな中の一瞬の安らぎの時間に訪れた色々なやさしさが現れるいい場面だ。
もう一組の夫婦は打算的、男爵とイリーナをくっつける策略とそれが成功しての金銭的うるおいを求めている(どうやら母国では借金があるよう)。そして妻のほうは強欲で、旦那を軽視しており、ガイド役フルトンとくっつき、そのフルトンが一行を裏切ると、一緒についていってしまう。が、フルトンの一行も結局アパッチに襲われ、別行動をしていたフルトン以外は全滅。
フルトンは本隊へ戻ってくるのだが、悪妻であるとはいえ妻を奪われた夫は、それでも「自分なりに」妻を愛していたといい、銃をフルトンに向け、結局相撃ちになって果てる。
と、ここらへんはサイドストーリー的なところでメインストーリーではないところにもちゃんと決着がついているところが良いと思った。

私たちのハァハァ [映画]

2015 日本
08/20(金) 19:00 -
tvk1|100分(「上映時間 91分」となっているからノーカットだろう)
映画の時間

えーと久しぶりに映画を。で、大した理由もなくこれを。
タイトルに引っかかり、検索してあらましを知り、まあまあ面白そうということで録画しておいたやつ。
内容については検索すりゃ出てくるだろうから、省略。
最後のキャストクレジットでまじ一人も知らないという感じで、若手野心作といったところかなと思ったが、最後にかろうじて、池松壮亮。といってもこの人も名前を知ってる程度で顔はよく知らないから、どこに出てたのかわからん。
監督は松居大悟で、「あー」と思うが、えーと誰だっけ・・・。作品歴で「アフロ田中」というのがあり、見たような気がする(検索してみたら出てきた)
ロックバンドの「クリープハイプ」がテーマになっており、松居とクリープハイプが組むのは2作目とのこと。
ドキュメンタリータッチのロードムービー。クリープハイプのライブを見に行くために自転車へ東京へ行く決意をする4人の女子高生。
登場人物が自分たちの旅を撮影しているという設定でそのカメラの映像も頻繁に出てくる。そしてこのドキュメンタリータッチというのが曲者で、そういう効果を狙っているのはわかるが、おれのアホな頭にはわかりづらい。セリフも聞き取りづらい。
そしてこの4人の性格や関係性、というかそれより前に名前が序盤では覚えられず、しかしその4人が旅の最中に色々あるわけで、それを楽しまなければならないのに、それができずイライラ。終盤、4人が喧嘩をするあたり、ここでようやく4人の名前が頭に入り、だからなのか、そこから最後までは結構面白く、この4人を覚えたところで、もう一度見てみようかなと思う、見ようかな、面倒だからやめようか。
以前上岡龍太郎が手塚の漫画だったかのことを指摘して、綿密に描かれたページをこっちはパラパラとめくっていく、じっくり見るべきなのかもしれないが、そういうところが贅沢だ、みたいなこと言ってた。
それとは違うか。金をかけて作られたものを消化不良ながらも終盤楽しかったし、青春というテーマは十分伝わったし、そで十分かとも思う。

ウィキを見て、あらすじを読む。感心、というか、まあそうあっさり書くなよ、というか。言われてみれば確かにそういうストーリーで過不足なくまとまってはいるが、その細かいところでどういうセリフ、どういう表情みたいなところが大事だし、おれはそこがよく見れなかった聞き取れなかったということで消化不良なのだ

最後のクリープハイプのライブ会場に現れた4人に対してのバンドの人(多分メインの尾崎世界観)のMCもよく聞き取れなったわ。
「特別協力 14.9.18 NHKホールにお越しの皆様」というクレジットがあった。本当のライブにこの4人が乱入みたいな形で登場したのだと知った。

4人とも全然知らない名前だが、それぞれがそれなりに活動歴のある人のようだ。
チエ役の真山朔という娘、ウィキに「2013年9月、『ミスiD2014』のファイナリストに選出され、山崎まどか賞を受賞。以後、女優、ファッションブランドのモデル、タレントとして幅広く活躍している。映画「私たちのハァハァ」で映画初出演。初演技に見えない高い演技力で多くの評価を獲得している。ミスiDでの受賞後は出身地の和歌山県と関東圏への往復を仕事の度に続けていたが、2016年に芸能事務所「カクトエンタテイメント」に所属したのを機に本格的な芸能活動を開始」とあるが作品歴を、見ると2017年以降ほとんどない。しかも高く評価されたはずなのに、映画はこれ1作。所属事務所の公式プロフィールとかも出てこないし。なんだこりゃ。
所属事務所は伊勢谷友介が代表を務める事務所傘下のようで、色々ゴタゴタしてんのかね

まあ青春ってこういうもんだよなって思う。
もう一度見よっかなーどうしよっかなー

※追記
翌日もう1回。上に書いたように4人の女の子をちゃんと把握して見てみたかったという理由だ。なので序盤はちゃんと見た。あと、あれは誰だったのだろうと気になってた部分、キスされるのは誰? キャバクラで働けるのは、働けないのは誰? という部分が最初見ていたときわからなかったのだ(後者キャバクラのところはウィキのあらすじに書いてある)。キスされてるのはさっつんか。でキスしてるのが池松壮亮なのだそうだ。
で、そのキャバクラ場面以降は早送り、を始めたらあまり見る気もなくなって、もう一度コンサート会場のあたりは見てみて、やっぱMCは聞き取れないや、とか、そんな感じ。
登場人物の把握ということでいうと、連ドラのレギュラーというのは先にそれが頭に入っているというようなことはこれまで何度も書いた。この作品の場合(これに限らないが)、最初からというのは無理にしても、割と早くその4人の把握はしないと作品自体が入ってこない。
例えが古いが「太陽にほえろ」で、レギュラーの刑事が喋ってるとき、これ誰だっけ? とは絶対にならないし、「傷だらけの天使」で、ショーケンと水谷豊の区別がつかないなんてことはないのだ

想像を働かせてストーリーを見てる側でも構築させていく感じなのかなあ。チケットのところがよくわからない。あのチケットを買ってくれた人は誰? ネットで知り合った同じくクリープハイプファンということなのかなあ、自転車で東京までというツイートに反応して、やってあげてるとかか。
でコンサート会場での乱入後、4人のところへやってきて会話してる人は同じ人だと思うが、チケットを半券でいいから返してと言ってるのはなぜ? ファンとしてあんなところに乱入して、と怒ってる?

この4人の主演女優の名前を書いておく
井上苑子 - 一ノ瀬
大関れいか - さっつん
真山朔 - チエ
三浦透子 - 文子
井上苑子はシンガーソングライターもやっている、というかそっちがメインの人のようだ。この作品の中でギターを持って移動(って無理あるだろ、と思うが)、野宿の場面で歌を披露している。活動歴を見ると、最近もちゃんと活動している。
三浦透子は、この後大活躍、RADWIMPSによる映画『天気の子』の主題歌のボーカルを務めている。そういえば、なんか無名の女の子が突如出てきたみたいな話を聞いたな。

そうそうギターを持って移動ということを書いたせいで思い出した。
出発点はよくわからなかったが九州(ウィキによると北九州)、船で移動する場面があり、さらに関門海峡のトンネルらしきところを通る場面もあり、九州でも離島から出発してんのかな。
地元でクリープハイプのライブを見て、出待ちをしていたら、バンドメンバーに東京のライムも見に来てねみたいなことを言われ盛り上がってしまい・・・というのが動機。
そもそも自転車で東京までって無理だろって最初のうち思った。野宿がきついし、チエは車輪の小さな自転車だし(彼女も行くつもりがなかったのか、最初のところでは逃げ出そうとしている)
が、広島で自転車を捨て、ヒッチハイクに切り替え、となり、そこらを見て、それなりにリアリティを感じた。自転車だけで行くとなると、とてもとても、と思うが。
ヒッチハイクになり、キャバクラで働き、喧嘩をし、高速バス内で仲直りをし、だけどコンサートには間に合わなくて、最後にハプニングがあり、そして旅が終わり、家に連絡して、と振り返ってみると、なかなかバランスよく仕上がってる感じである



おっぱいバレー [映画]

2009 日本
BS日テレ 5/9

まあ、下らない作品だろうとは思っていたが、その予想通りであり、予想通りすぎることに驚いた。よくもまあこんな下らんものを。
おどろいたことに原作は同名の小説である。こんな小説あるのかよ。といっても、小説にすればまたそれなりに面白い読み物になるかもしれない。少年少女向けとしてもね。

安易な感動をちょいちょい挿入してあって、そこらが、この程度で感動するんだろとでも言われてるようで、そのセンスが嫌だ。
例えばスタンド・バイ・ミーだったか少年たちが線路の上を歩く場面があったと思うが、この作品にもそういう場面がちょっと挿入される。

綾瀬はるか24歳。もう女優として多くの作品に出ていたころのようであるが、なんというか、こういう下らない作品に出て、さして目を惹く演技もなく、まだぽっと出の女優のよう。かわいいけどね
あ、この人誰かに似てる、最近見た誰か、えーっと・・、と序盤を見て思い、しばし考え、ああ、林家あずみだ。かなり似ている。

舞台は九州で、70年代末の中学校。ということは1965年くらいの生まれということで、なぜこういう時代設定なのだろう。そういう世代を客として狙ったのだろうか。
その頃の音楽がたくさんかかる。その中でツイストの「燃えろいい女」、一瞬西城秀樹かなと。声やサウンドがそれ風なのだ。ロックと歌謡曲だがどちらもロック歌謡というくくりを歌謡曲側とロック側からアプローチしたって感じかな。
聞いたことある、懐かしい、と思ったが曲名がわからないものがあった。最後のクレジットのところで永井龍雲「道標ない旅」だとわかる。PCでもう一度聞いてみて、この作品内容に沿った歌詞なのだなと気付く。高村光太郎の「道程」という詩が何度か取り上げられる。綾瀬はるか登場の最初の場面がそもそもそれであり、赴任してきての全校生徒の前で最初の挨拶で、好きな作品としてそれを上げると、生徒は「ドウテイ」に反応し、騒ぎ出すという始末だ。その詩の一節、「僕の前に道はない 僕の後ろに道は出来る」と「道標ない旅」の「青春を旅する 若者よ君が歩けば そこに必ず道はできる」が符合する
ラストの曲は微笑み返しだった。お別れの場面だからか、安易だな。
そのままクレジットになるが、そこで曲が変わって主題歌。BBクイーンズ(男の声の入り方が似ていたのだ)かなと思ったが違った。
Caocao「個人授業」作詞:阿久悠、作曲:都倉俊一となっていて、この作品のためにかつて(この作品の時代設定のころ)のヒットメーカー阿久悠、都倉俊一に依頼して新曲作ったのか(サウンドが新し目だったから)と思ったが、調べてみたら過去の曲のカバーだった。Caocaoというのはこの映画のためのユニットで持田香織と田島貴男、この曲のアレンジも田島貴男


アパッチの怒り [映画]

1954 アメリカ
NHKBS 20/8/28

西部劇
ロック・ハドソン主演
今の目から見るとかなりの違和感
ロック・ハドソンが主役でインディアンの部族長を演じており、ということからわかるように、彼が演じるターザというインディアン側から描かれる。
それゆえだろう、インディアンの言語は全部英語。そしてそのことが影響しているのか、インディアンの行動や思想が全部アメリカ人っぽく、つまり敵側とあまり変わらない感じなのだ。もちろん住んでいるところは平野(居留地)に鎌倉みたいな茅葺の小屋を建てて暮らしているわけであるが。
序盤は白人との平和条約に尽力してきたターザの父が亡くなり、ターザが族長を継ぐという場面から。ターザも父の意向を継いで、白人との平和条約を守ろうとするも、弟を始め何人かからは戦うべきと反発される。
こういう前提のなか、序盤を終わると、今度は居留地に移され、ターザはインディアンの罪はインディアンが罰すると主張し、自主警察権を勝ち取り、アメリカ騎兵隊の軍服を着て、インディアンを守りながらも取り締まる側に回る。
と、こうなってくると、アメリカ側に屈したインディアンという感じがして、今の時代だとインディアン側からアメリカとの闘争を描くとしたら、誇り高く徹底的に戦いながらも、相互に理解が生まれるとか、インディアン側の事情を深く描くとかされ、屈したインディアンというのは、多少侮蔑的に描かれそうなものである。
ここら辺が違和感。居留地には捕らえられた好戦的なジェロニモも護送されてきて、居留地のインディアンはアメリカ軍への反発の気配が高まってくる
ラストはちょっと期待させる展開になるものの、結局えーという感じ。ぬるいエンディング。
居留地のインディアンが氾濫を起こす気配に、ターザは約束通り自分たちが取り締まると主張するも一蹴され、ターザは脱走。アメリカ騎兵隊とインディアンの戦いになり、インディアン優勢、とここでどう作品を終わらせるのやら、と思っていると、軍服を脱ぎ捨てたターザが現れ・・・、で、ジェロニモなどインディアン側(弟も含む)と対峙するのだ。なら脱走する必要もない、いや、約束通りの主張が受け入れられなかったのだから、それはいいのか、で、自分は自分で、インディアンがインディアンを罰するという行動を取ったということか。
まあとにかくぬるいなあと思った。
バーネット大尉を親交を深めていくという流れがあるが、これもなぜそうなっていったのか、どちらかといえば最初の出会いは反発しあう感じだったのに、その次の場面でなぜか信頼関係が生まれているのも変に思えた

インディアンと書いてきたが、この作品ではアパッチ族とされているので、喋っているセリフでは「アパッチ」だが字幕では「先住民」とされている

無頼の群 [映画]

1958 アメリカ

西部劇
グレゴリー・ペック主演
リー・ヴァン・クリーフがキャストクレジットにあった。順番から言って端役だろうと見ていたがよくわからなかった。おれは副保安官のプリモかなと思った。あとでネットで役名を確認、なるほど、4人組のうちの一人で最初にジムに殺されてしまう混血と言われてた人か。ずいぶん若い。

どうも映画(この作品ということでなく、映画という形態)のテンポがいまの自分に合わない感じがする。ちょっとした風景の描写、例えばこの作品で言えば登場人物が馬で移動するような場面、これがもうかったるくなって眠くなる。
大したことない作品のように思えるがウィキを見るとそれなりに高評価。

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主演グレゴリー・ペック、「頭上の敵機」「拳銃王」でもコンビを組んだ名匠ヘンリー・キング監督が描く西部劇。自分の留守中、4人の無頼漢に妻を殺された牧場主のジムは、その半年後、銀行強盗で捕まった彼らが絞首刑になるのを見届けるため、リオ・アリバの町にやって来た。ところが、その晩4人が脱獄、町の娘を人質に逃走する。追跡を始めたジムは一人一人追い詰め、復しゅうを遂げていくが、やがて衝撃の事実を知る…。
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ラストの衝撃の事実。大したことない感じ。追っていた4人組が妻を殺した犯人じゃなかったことが知れるという内容で、それに衝撃を受け、神父に告白(自分が裁判官気取りで刑を執行したような気持になっていた云々)。最後はその教会を出ると劇中に親密になっていた過去の恋人が現れ結ばれ街の人々に祝福されるというハッピーエンド。まあ間違って殺したのではあるが、その4人組は死刑を宣告され脱獄した犯罪者ではあるのだ。なんつうかぬるい
4人組がジムの隣家の鉱夫を殺して金を奪って逃げる。その金を奪った男のもとにすでに3人を処刑したジムが追いつく。その金に目をやり、これは俺の金だ、と。ここで、ああ、あの鉱夫が真犯人かとわかる仕掛け。

ジムが脱獄囚を追いかけ次々と殺していく。その際に殺される側が、ジムに妻子の写真を見せられ追及されるのだが、そのときの反応がぽかーんとしているとでもいうか、淡々と「そんな女まったく知らないよ」と。こういう反応だと盛り上がりが少なく、なんか変な作品だなと思ったが、そういう結末への布石だったのだ

スペシャリスト [映画]

1969 イタリア/フランス/モナコ/西ドイツ
04/23(金) 14:31 -
NHKBSプレミアム|109分

セルジオ・コルブッチによるマカロニウエスタン
作品リストを見ると同年に「殺しが静かにやって来る」がある
内容については放映局のサイトから--
鬼才セルジオ・コルブッチが監督・脚本を務め、フランスの人気歌手で、映画やドラマでも活躍したジョニー・アリディ主演のマカロニ・ウエスタン。すご腕のガンマン、ハッドは、大金強奪の汚名を着せられ殺された兄の復しゅうを果たすため、故郷の町ブラックストーンへ戻ってきた。町の人々が恐れるなかハッドは、古い知人で片腕のメキシコ山賊ディアブロのもとを訪れ、兄の死の真相と、隠された大金の隠し場所を探っていく…。
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まあ、平凡というか、典型的というか。
最後のところがちょっと「?」。ストーリーとしては終わった感じになったところ、主人公が金を燃やす場面、その後の展開がなんでこうなるの? という感じだ。所々に出ていた街の若いチンピラが急に街の人を人質に取って、主人公と対峙しようとするのだけど、そこまででそのチンピラがそういうことをするという伏線あったっけ、みたいな。
まあその場面で人質である街の人みんなを裸にして這いつくばらせるという、いかにも人の目を惹くマカロニならではの大袈裟で下品な演出があり、そういう意味では満足
ネットで検索すると、映画の最初の場面で出てきた子供たちがそのチンピラであるとのことで、そうなると、主人公との関わりという意味で唐突感はなくなるが、それにしても付け足しな感じで、町民全部を裸にする演出を見せたいがため、という感じ
そういう演出は他にもいくつかあった。序盤、人が撃たれて建物から落ちてくるのだが、なぜかロープで命綱のように体が縛られていて、宙ぶらりんにぶら下がる場面とか。



ラ・ブーム [映画]

1980 フランス
04/23(金) 23:45 -
NHKBSプレミアム|111分

これは公開当時大層流行ったことを覚えている。日本公開は82年3月となっている。多少映画に興味を持ちだして、でもジャッキー・チェンとかが好きで、とかいう感じかな。内容については全く知らなかったが、なるほど、こういう映画か。
典型的なアイドル映画という感じで、見るべきはソフィー・マルソーの芸術的なかわいらしさだけという感じで、まあこれなら受けるわけだわと思う。
13歳の少女の恋に対する積極性や怖れや、両親の不和やら、陽気なクラスメートやら、ありきたりな題材で、周りは主役を引き立たすためにドタバタと展開するという感じ。
ソフィー・マルソー、大袈裟に言えば、この時以来名前を聞いていない(いや、時折耳に入ってたかもしれないけど)。で、ウィキを見てみると、順調にキャリアを重ねて、今も活躍しているようである。日本で言えば宮沢りえのような感じだろうか

そういや「ラ・ブーム」というタイトルについて、ラブとブームを重ね合わせたように捉えていた。おれはこのタイトルが流行した原因のひとつじゃないかと思っていた。
そのブームというのはパーティーという意味で、ホーム・パーティーの場面が何度か出てくる。まあそもそもそのブームを自分の誕生日に開きたいという主人公がそれを開くまでというストーリーだ。
アメリカ映画なんかにも出てくるから、別に間違ってはいないんだろうけど、参加してるのが20人超、本格的な照明とサウンドシステム。そして、他の家族は普通の日常生活を送っており、隣の部屋へ行って電話を借りたりしてる。こんな情景は日本人のおれからすると、想像つかない。
テーマ曲のメロディ、なんとなく記憶にある。流行っていたのだろう

ラスト、ちょっとよくわからなくて、検索してみて壮大に勘違いしてたことに気付いた。
ヴィックが自分の誕生日のブームでマチューを待ち焦がれてるという構図。やってきた男の子と踊り出す。続いてやってきたもう一人とも踊り出す。
後のほうがやっとやってきたマチューかと思い、で、じゃあ最初の男の子は誰なんだよと思い、検索したのだった。
どうにも顔が覚えられないんだよ、おれ
実際はこう--
ヴィックは14歳の誕生日に自宅でブームを開催し、マチューが来てくれるのを待っていた。少し遅れたがマチューは来てくれ、ヴィックは夢見心地でマチューとダンスをする。そこに新たなイケメンが登場し、ヴィックは彼に釘づけ。マチューが離れた隙に新たなイケメンとダンスをし、ヴィックはうっとりするのだった。
--
最後にきた男の子を続編「ラ・ブーム2」のフィリップだと書いてるサイトもある。本当だろうか。
まあとにかく、こういう終わり方だと、この年代の少女のわからなさ加減を表現していて深みがあるように急に思えてくる。
最後の場面はその男の子に抱かれながらダンスする彼女のアップがストップモーションになり、エンドロール。そのある種呆けた顔が印象的で、それもそういう内容ならわかる。女になった顔というかね。
「呆けた」は「ほうけた」。「ほうけた」は色々な漢字があるそうで、「惚ける」というのもあるそうだ。こっちのが意味が通るかな。「惚れる」にもつながるし。

サマンタが子ども扱いされたくなくて「あたしは「愛のコリーダ」だって見たんだから」と喋る場面がある。「愛のコリーダ」はそれなりに知られてるってことだ
ほかにも映画が言及されていて、「裏街」、「モダン・タイムス」「リオ・ブラボー」。
裏街は不倫の映画、「バカな男を愛し続けた女の話」とプペットが自分になぞられて語っている。「リオ・ブラボー」は西部劇だ。フランス人(父親のフランソワ)が好んでいるというのがなんかおかしい。
見ているテレビ画面で「ヴァンセンヌではポーカーフェースがジュピター賞を獲得し・・・」というナレーション(もちろん字幕)。 ジュピター賞はなんだろう。調べると「文学賞」と「映画賞」で出てくる。どちらも70年代後半あたりから始まってる。ヴァンセンヌ、ジュピター賞と検索すると競馬関連が出てくるがこれはどちらも日本の競走馬やレースのことなので関係ないだろう。ヴァンセンヌというのはフランスの地名。
プペットが過去の男遍歴を語る中で「フジタ」という日本人画家の話をする。

ウィキにある評価のところがなかなか合点がいく(抜粋)--
おもちゃ箱的青春ムービー。(中略)ごく普通の少女達が、普通の恋をして、またひとつ大人になるのでありました、とりまく大人は大人でイロイロあり、ひとつ年をとりましたとさ。といった、よくあるパターンではありますが、しかし、その味つけがなかなかのもの

後年の評に以下のようなものがある。
とりたててどうということもないリセエンヌの淡い初恋物語だったり、友情物語だったり。社会現象をともなったあのヒットぶりは、一体何だったのか」
--
大ヒットした有名な作品の割になんてことのない内容、ただソフィーの可愛らしさだけは別格
面白くなかったわけでもないんだけど・・・。中盤あたりまでは10分おきくらいに休憩。やっぱつまんなかったのかな。
早い展開の演出で時折意味が取れなかった。
主人公の少女が13歳で曾祖母までが出てくる。ただそれぞれ20歳すぎくらいで産んでる計算のようで、祖父の誕生日という場面があり、そこで58歳とされていた

縛り首の木 [映画]

1959 アメリカ
04/16(金) 13:00 -
NHKBSプレミアム|109分


西部劇
ゲイリー・クーパー主演
監督 デルマー・デイヴィス

最後の方、なんか納得いかない感じである。あらすじを読めば、まあそういうことかとは思うけど。
金の採掘をしている街に医師のフレイルが辿り着き開業する。これがゲイリー・クーパーで、過去になにかあることが所々で垣間見える運びは多少サスペンス風味。
サスペンス風味の西部劇、珍しい気もするが過去に何かを持つ男というテーマだと、そんなに珍しくもないか。
ラスト、エリザベスたちが金を見つけて以降のストーリーは???である。金を見つけたことに狂喜乱舞で、そこまで悪役であったフレンチもエリザベスと一緒に喜び合い、さらに浮かれて街中の人に大盤振る舞いの気前のいい男になる。金があるということは多少のことを水に流してしまうのだなと思う。
が、その大騒ぎで、焚火を始めてしまい、そこらに興奮したのか街の人々が暴徒のようになってしまい、そしてなぜかフレイルを捕まえに来る。
フレイルのほうはというと、エリザベスを襲おうとしていたフレンチを射殺してしまう。
フレイルは殺人ということで縛り首になり、それが執行されるところに、エリザベスが駆け付け、掘り当てた金を全部やるから、フレイルを助けてあげてと懇願。フレイルとエリザベスは結ばれエンド。
フレンチが悪役から脱却したのかなと思ったら、すぐに悪役になり、でもたかがエリザベスに襲い掛かるくらいのことで、極悪人かのようにフレイルに殺されるのがちょっと違和感。
その前の焚火をしてるうちに興奮したのか、暴徒になっていくあたりは、なんだか自業自得というか、そんなことで興奮して収拾つかなくなるなら、そんなこと止めとけよという感じ。

我輩はカモである [映画]

1933 アメリカ
04/15(木) 13:00 -
NHKBSプレミアム|70分

マルクスブラザース(マルクス兄弟)の作品。
おれがテレビでそれなりにちゃんとしたものを購入し見出したのはいつごろだろう、このメモを書き出したころだと思うが。10年に満たないくらいか。
NHKBSを始め無料で見れるテレビ局の欄をずっとチェックしてるが、マルクス兄弟のものは見たいなと思っていたが、今回ようやく初めて出会った。
なんでやらないんだろうか、規定に抵触するまずい表現でもあるのかなどとも思ってた。そうでなければ、映画史の中でそれなりの位置を占めてると思われる作品としては変な感じ。
フレッド・アステアの作品なんかもなかなかやらないなあと思っていたこともあったが、ポツポツとやってるのを見ていて、いつの間にかかなりの作品数を見たはずだ。

おれはマルクス兄弟の作品は筒井康隆や小林信彦が盛んに言及していたことから、ビデオレンタルを盛んにしていたころ数作品見たはずで、いや、数作品でなく有名どころは全部見ているかもしれない。ただもう全然覚えていないけど。
談志も時折触れていたっけな、でも、そのビデオを見ていたのは多分おれが談志に夢中になる前のことだったようにも思う

感想
場面場面がショートコントでそれを繋げて長めのコントという感じ。昔のコメディ映画のひとつの典型的なパターンだけど。
鏡のシーンはちょっと記憶にあった。
それやグルーチョをチコとハーポが真似るシーンなんかは印象深い。
いくつかは現代的だとも思えた。