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天気の子 [映画]

2019 日本
1/3 テレ朝地上波

新海誠監督のアニメ映画

世界が前あったそれとはまったく変わってしまったという世界観が今のコロナ禍の状況とちょっと被る。

主題歌はRADWIMPSでたしか関ジャムで紹介されていた、年間で良かった作品をやった回だったかな。そういえばそこでMVが流れていたはずで、それがこのアニメ本編で出てくる情景と似ていたような気がして、つべでMVを見直してみたりした。ウィキの説明では「映画の世界観とリンクしつつ、楽曲の持つ力強さと優しさが際立つ内容となっている」とのこと

作品自体、テーマも含めて、大したことないと思うが、それでもストーリーがうまいのか、次はどうなる? という興味を惹き続け見てられる。そこらへんは売れっ子でさすがと思う

不思議な能力を持つ女の子、所謂「晴れ女」の天野陽菜。それをネットで客を集めて商売を始める。この場面が結構あっけらかんとしているが、それでもこの作品の先行きが簡単に読めた。といっても細かいストーリーが全部予想できるというわけでもないけど。
多分その能力は自分の命を削るようなことであり、そのことに思い悩むという展開だ

「キャッチコピーは「これは、僕と彼女だけが知っている、世界の秘密についての物語」」となっていて、まあそこらへんが新し目だろう。以前と姿を変えてしまった世界、自分が犠牲になれば、その世界を元に戻すことができたのに、自分が生存することを優先し、結果変わってしまった世界。それが自分たちのせいであることを知っていて、それを背負って生きていくというエンディング。さらには挿入曲もそれに合わせて歌詞で、そこらは結構ドラマチック

CM
挿入されるCMがこの作品のキャラを使ったアニメ仕立のものが多く、声優も同じ人なのだろう、ボーっと見ていると、どこからCMかよくわからない感じで、そういうものは取り立てて珍しくないのかもしれないけど、その本数が多いのと、企業名が出るまでがちょっと長めで、そしてとくに、声優が一緒なところが、CMかどうか判断できない感じが強くスペシャル感がある。最初のCMでの提供読みも声優が多分同じで、さらにはバックにこの作品の一部なのか、世界観を同じくする風景のイラストをバックに、文字が後ろの映像を透明にヌキで表示されるという、提供が表示されるとき、その日の作品がバックに流れるという程度のことはよくあるが、今回のそれはそれなりに凝ったもので、それゆえCMに入っても作品が続いているような気分にさせる。
その提供読みされる会社はZ-KAI、バイトル、ミサワホームで、この三社が最初のCMで上に書いたようにこの作品と連なったアニメ仕立のCMだった。

そしてこれ以降はこの作品のことではないが。
アニメの現状を実写との比較で見てみると、実写でやれることはやれる、その上、実写ではやれないこと、やるのが容易でないことがアニメなら楽々。
例えば実写なら特撮でやるようなこともアニメならそこはお得意で、アニメならでは表現ということになる。
文学でいうSF的なこと、幻想的な世界なんかも容易に映像化される。
こうなると、才能ある映像人はアニメに向かうべきなのではなかろうかと思う。別に絵が得意である必要はないはずで、キャラ創作だとか、作画だとかすべて分業だろうし、そしたらアイデアと映像構築があればできるはずで。
技術的なことは知らないが、この作品で例えば街並みとして新宿の大ガードのところが何回か出てくる。こんなのは映像として撮ってきたものをトレースして作るのだろう。ここらへんが実写でやれることのアニメでの表現ということだ。実写にどこまでも近づけて、その上アニメの特性が付け加わるということだ。
アニメの技術的進歩は社会の技術的進歩と軌を一にしている。どこらへんからこれほどになったのだろうと考えるとやっぱりジブリか。あの作家性を持った人たちがアニメの表現方法を極限まで高め、それと技術的進歩の時期が重なったということなのだろうと思う


オルカ [映画]

1977 アメリカ・イタリア合作 吹替版(TBS版(宮部昭夫))
4/10 BSTBS 22時~(1時間54分)

主演がリチャード・ハリス。リチャード・ハリスって記憶にはあるのだけど出演リストを見てもなにで記憶に残ってるかわからないなと思ったが、メモを検索して判明、「死の追跡」の人か
内容はウィキから持ってくるが、「1975年の映画『ジョーズ』の大ヒット後、その影響で多数製作された動物パニック映画の一本にあたる」
ということでB級娯楽映画の類。こういうのは割と好き。B級感のあるところが見てて楽しく、何も残らないのがいい。
シャチを扱った作品で見どころはその部分なのだろう。それ以外がかなり粗雑に思える。ヒロイン、というほどではないが、主人公に忠告する女性科学者が出てくる。彼女のナレーションも挿入され、いわば物語の語り部。だけど行動や言動はなんでこんなこといきなり言い出すのやらみたいな場面が多い。
シャチに知能があり人間と同種の感情があり、という設定でシャチに演技らしきものもさせていて、それは演出でそう見えるだけともいえるが、睨んだり(目のアップ、やたら出てくる)泣き叫んだり。動物にも感情はあるだろうけど、人間の言葉によって表現できる範囲のものでないとおれが思っていて、安直に擬人化するのは、好みでない。

音楽 エンニオ・モリコーネ

ミネソタ大強盗団 [映画]

2020/07/10 NHKBS

これは以前に一度見始めたけど途中で飽きてしまいそのまま放置
今回見直したら、最近見たばかりのジェシー・ジェームスの話だったので、とっつきやすかった。いくらかダブる部分もあるし。
ただ、冒頭にその強盗団のメンツが8人紹介され、そのまま話に突入していくので、誰が誰やらみたくなってしまった。
メインはコール・ヤンガーとジェシー・ジェイムズでそれぞれクリフ・ロバートソン、ロバート・デュヴァルが演じている。
ロバート・デュヴァルという自分には馴染みの顔がいるので多少わかりやすい。
で、この二人が強盗団のリーダー、作品はその二人が恩赦が施されそうな事態になり、考え方の相違があり、袂を分かち二派になっていくところから始まる。
ところが恩赦の話は議会で否決され、そうこうしているうちに、二派は再会、もう別れてる理由もないのでまたくっついて銀行強盗を計画。しかし二人には根底に流れる相反する性格もあり、ぎくしゃくしたまま強盗を決行するも失敗。
結果、8人のうち二人が殺され他は捕まり、ジェームス兄弟のみが逃げおおせる。というところで話は終わりなのだけど、ジェームス兄弟は「次はボブ・フォードでも仲間にするか」なんてことを話しており、その後のナレーションでその後ジェシーはそのボブに殺されることになるということが紹介され、映画は終わる。
鉄道会社に逆襲し英雄視されていた(これが恩赦に繋がる)というエピソードも盛り込まれている。
とにかくも、二派が再会して8人になるあたりで、顔をあまりちゃんと覚えていない人たちが入れ替わり出てくる(ああ、こんな人も最初に紹介されてたなとか思うのだけど)のでなんだか頭がせわしなくなってしまった

「地獄への道」、「地獄への逆襲」 [映画]

1939 アメリカ
3/19 NHKBS

それほど長くない作品だが、ジェシー・ジェイムズの生涯を描いており、扱われる期間はそれなりに長い。エピソードがたくさん詰め込まれており、その各エピソードの間で時間が経過しているようなところも多い。場面が飛んでいるからといって見失うようなことはあまりなく、そこらへんは演出が良いのだろう。その前の場面で、これから起こることを示唆するようなセリフがあり、その後そうなってる場面へと飛ぶという具合だ。省略の部分を想像で補うというタイプの演出だ
ジェシー・ジェイムズと兄のフランクの兄弟が主人公といえそうで、それぞれタイロン・パワーとヘンリー・フォンダが演じている。ただジェシーのほうをメインに据えており、フランクの方は時折出てくるという感じで、なんでこうなったんだろと思える場面、説明もなくいつの間にかジェシーが強盗団のリーダーになり、兄にも説教するというような場面、この場面はその後すぐ兄に諭され、謝るという風に展開するのだけど。
ジェームス兄弟登場の場面、とくにヘンリー・フォンダが格好良い、何をしでかすかわからない狂気の目力。汚い手段で土地売却を迫る相手をぶん殴る場面だ
往年の名優と言われる俳優の多く、おれはそのほとんど顔の印象がない。ヘンリー・フォンダにしてもそう。長年活躍していて、時代の隔たった多くの作品があるからかもしれない。でも、この作品の彼は印象的。
ジェシーとフランク、それからその周辺の人物数人は最初から最後まで出ているのだけど、見ていて割と主要人物かなと思える人がすぐ殺されたり、エピソードごとにそこでの主要人物がどんどん変わる感じの作り、特に敵役。
ジェシーとフランクが母と農業をやって暮らし、まだ悪でない時代から始まる。
鉄道会社の汚い土地買収工作があり、それに反逆した兄弟。母親を殺され、復讐で母親を殺したその土地買収係の男を射殺する、お尋ね者になる、鉄道会社への復讐心から鉄道強盗をして同じく土地を奪われたの農民たちの英雄になっていく。だがそこから本格的な強盗団へと堕ちていく中で恋人との結婚、子供が産まれる、その妻がそういう生活に疲れ、離反していくなどということを織り交ぜながら進んでいく。
馬に乗って店のガラスを割って飛び込んでいく場面や、さらには馬で崖から海に落ちるという場面は迫力あり。この頃だから特撮ではないだろう。スタントは使っているかもしれないが。

最後は仲間のボブ・フォードに裏切られ殺される。
見終えた後、ちょっと見直したらそのボブが裏切る過程が克明に描かれており色々見落としてたことが分かった。これはわかりにくい描き方がされてるわけでなく、俺の鑑賞力が著しく低くなっているせいだ

「地獄への逆襲」
3/26 NHKBS
1940 アメリカ

4/10視聴
「地獄への道」の続編
フランクがジェシーを殺したボブに復讐する話
ヘンリー・フォンダ始め前作に出ていた主要登場人物はほぼ全員同じ役者(確認した限り全員同じ、フォード兄弟、ピンキー、少佐、鉄道会社の人物)
すぐに見ようと思ったが、伸び伸びに。すぐに見ないとフランクくらいの名前は覚えていても、ほかのキャラなんかがセリフで出てきても忘れてしまっていると、「これって誰だろう」とつまづいてしまう。今回はかろうじてそういうことがあっても、覚えていた。
前作の最後、ジェシーが殺される場面から始まる。
前作とは同じトーンながらよく見ると全然違う作風にも見える。
前作は母親殺しやあくどい鉄道会社の土地買収への復讐から強盗団を組織するものそのうちに本物の悪に染まるというかなり味わい深いストーリー展開で見応えがあったが、今回はそのストーリーの展開の仕方が主人公に都合よく行きすぎで雑に見える。また前作では少佐が多少コメディ的であったが、今作では主人公に近しい人物として若者クレムと若い女エレノアが関わってくるが、そのどちらもがコメディ的役割。若者は大人になり切れてないというあたりを、そして女性のほうは新聞社主の娘というお嬢様ながら理念で突っ走る正義感の記者志望というあたりで笑いがある。という感じでコメディ交じりの西部劇、こういうのはよくある形式ではあるものの、雰囲気はかなりぬるい。

笑の大学 [映画]

2004 日本
03/30(火) 13:00 -
NHKBSプレミアム|122分

連ドラ二本を続けて見て疲れた。なにも入ってこない感じで、なにを見ようかなとリストを見たら、ちょうどこれが録画中。ということでこれに決めた。
途中で寝てしまった。三谷幸喜作品(原作・脚本。監督は星護)ということで面白いはずと思いながら、そしていくらかは楽しんでいたつもりなんだが。
できれば一気に見たい作品で、インターバルが空いてしまい、興を削がれた感じになってしまった。

詳細はウィキに譲るとしてこの映画版、役所広司と稲垣吾郎の主演、というか二人芝居。元は演劇である。
稲垣吾郎に似てるなと思いながらも似た感じの人だろうと思ってしまった。今とはちょっと違う感じか、数年で結構雰囲気が変わるものだ。
誰かが言ってくれると、そうだそうだとなるのだが、この映画評をネットで見ていたら「ポンコツ映画愛護協会」というのが取り上げており、役者不足と。近年は実力のある俳優という評価もあるので、見間違いかと思ったが、やっぱこの作品では棒調子だよなあ。
ゆえに役所が存分に上手さを見せつけている感じ。

戦前の日本、演劇台本を検閲するという時代。取調官が喜劇作者を検閲のため取り調べるという数日間が描かれる。台本をお国の統制に従った内容にさせようと指導をしていくのだが、その取調官がいつの間にか台本を面白くしようとがんばってしまうという部分がほぼストーリーの大部(まあその後に反転しての結末があるのだけど)で、考えてみると、これって凝縮するとコントでよくあるもの。取り調べをするが相手の口調に乗っかってしまい、いつの間にか二人が意気投合し、はっと我に返り、「何をやらせるんじゃ」みたいな。
それ以外にも細部にコント的な発想が見受けられる。
また、ギャグの種類や笑いどころの説明みたいなもの(「そこが笑うところなんですよ」みたいなセリフ)もいくつか出てきて、これはちょっと新鮮な驚き。お笑い台本を説明するというメタの構造ともいえるようなものが、戦前の日本を舞台にやってるところが新鮮。

「いつの間にか台本を面白くしようとがんばってしまう」というこの過程が秀逸だと思った。言葉にしてしまうと陳腐だが5分のコントでないのだから、ゆっくりゆっくり描かれており、笑いに一切興味を持っていない取調官、向坂が少しずつ笑いにのめり込んでいく様子は中盤までほんの少ししか挿入されておらず、むしろ、そんなことしてないのに、作家、椿は少しずつ台本をレベルアップしていく、そして徐々に、向坂も台本を良くしようという助言を与えるようになり、最後には二人での協調作業のようになっていくという展開だ。
で、その椿の行動(取り調べを受け入れ台本を書き換えレベルアップさせていく)の理由は最後に明かされ、ああなるほどと思う。その理由とは、取り調べに対抗して拒否するとか筆を折るとかすることが喜劇作家の戦いではない、それをこなしてさらに笑いをレベルアップさせることが権力に対する自分の戦いだ、みたいな。
で、ここに向坂は激怒し、態度を翻し、さらにもう一つの要求「笑いの部分を全部排除せよ、そうしなければ上演は許可しない」と命令。
で、ラストは椿は命令を無視し書き直した原稿には笑いの集大成のような台本で、向坂はそれに笑ってしまったことを告白しつつ、なんでこんなことをしたと椿に問い質し、椿に赤紙がきたことを知り、「生きて戻ってこい、台本は自分が預かってるから、戻ってきて、この台本を上演しろ」と語りかけるというもの。
権力との戦いと口にした椿に権力の末端である向坂は自分の立場を思い返すとこう書けば、そう変でないのかもしれないけど、見てる最中はその向坂の態度豹変のところは理由がよくわからなかった。

椿は喜劇作家・菊谷栄がモデルとのこと
菊谷栄は「メリーさん大変だ」で有名な「最後の伝令」を書いた人

男はつらいよ お帰り 寅さん [映画]

2019 日本
BSテレビ東京にて2021年3月21日

第1作から50周年で50作目ということに気付いた。常にその後の寅さんということは考えないでもなかったのだと思うが、この「50 50」というのは腰を上げるのにはよいきっかけだったとだろう。
さて内容。
後藤久美子がちょっと棒読みに思えたけど、そんなことはどうでもいい。よく作る決心をしたな、という思いと、よくこのくらいにまで仕上げてきたなという思い。
最終作(48作だとしても49作だとしても)から20年超、人生って長いんだなとつくづく思う。渥美清が亡くなってシリーズは終焉を迎えたわけで、寅次郎と劇中で同年配とされるさくらや博、リリーや泉の母親のキャストが現役バリバリであることを見てそう思う。
過去の作品からの挿入がたくさんある。満男の若いころを見ると、吉岡秀隆のすごい財産だと思う。彼なんかは寅次郎の子供世代であるわけで、まだこれから吉岡は何十年も活躍することになるのだろうから。
そういう風に世代のことを考えてみると、かなりグッドタイミングなところでの制作となったように見える。
過去の作品からの挿入は、第49作(挿入というより頭と最後のちょっと新規撮影を入れて、あとは過去の作品をそのまま丸々使って作品とした)のようなわけではなく、登場人物が回想するところで使われる。これが結構絶妙で、数十年経過しているのに、過去の作品の挿入に入ったことに一瞬気付かないようなところもあった。もちろん人物の顔にその数十年の差があるのにも関わらずだ。
そして一番気になるところであろう、寅次郎の現在、これについては徹底的に触れられていない。寅を回想するという場面は上記のようにたくさんあったのだけど、寅次郎が今どうしているのかについて触れられているのは一か所だけだ。いまも生きていて、少なくとも死んだという知らせはなく、ふっと突然帰ってくるかもしれないとさくらや博が考えているということがわかるセリフが1回あっただけだ。最近ではいつ帰ってきたとかそういうことも触れられていない。
これは、そこに注目が行くだろうこととそこを明かすべきかと考えた結果だろう。
いま流行りのスピンオフと思えなくもない。主人公が出てこない主人公周辺の物語。そう考えるといくらでも作れる。寅次郎がいなくてもさくらの、博の、そして満男の生活は続いているからだ。もちろんもう作らないだろうけど。
さくらにしろ、博にしろ、こういう特別な作品の割に脇役なところが不満とならず、心地よい。

さて、最後。歴代マドンナがずらずら映し出されるが、あれって全部なのかな。岸本加世子が映ってるところがあり、彼女はマドンナではなかったはず、とか思ったが。あとマドンナでないといてば田中絹代も映ってたな



結構な雨の日だったからだろう、画面がいくらかカクカクしてて残念

足ながおじさん [映画]

1955 アメリカ
NHKBS 3/15

フレッド・アステア主演のミュージカル
タイトルは知っているがストーリーまでは知らなかったので今回初めて触れたことになる。
アステアについてはそれなりに見ている。平均的な出来の作品かと思う。
あまり映画を、そしてミュージカルを見る気分でもなく、しばしばボーっとし、あまり入り込めなかったものの、相当に出来の良い作品のように思えた。
主人公二人のダンス場面が当然見どころになるのだが、まずは想像の世界でのダンス。そしてパーティ会場で二人は出会うものの、そこではなかなか二人でのダンスはせず、そして一緒に二人で外へ出て軽くステップを踏む。そして別れるが、その後再度会場に戻り、偶然二人が組むことになり・・・というじらす辺りはお約束だが魅せる。
その後恋愛ドラマになっていくのだけど、そこらで、今の時代だったら初老と大学生ということで気持ち悪いとか言われそうだなと思う。この時代ならそんなこともないのか、とも思ったが、そういう問題意識はあるわけで、それを理由に二人は離れ離れになりというストーリーだった。
そういえば、アステアについては詳しくはないが、初老くらいの姿しか見たことがなく、調べてみると映画デビューは30代前半のよう。
若者同士の恋なんてのは当時の映画で一番扱われた、そして今でもそうだが、そういう商品価値のあるものだと思うが、そういう作品は彼の場合年齢からして作りづらく、そこらへんが残念にも思える。

ダンスするシーンは現実の場面でも行われるが、想像の場面でのものも多い。これもミュージカルでは多い
中国語だろうか、漢字の垂れ幕のようなところでダンスする場面がある

牡丹燈籠 [映画]

1968 日本
2/12 スターチャンネル

牡丹灯籠については最近にNHKの「令和元年版 怪談牡丹燈籠」を見てストーリーを知ったし、その作品の昔の日本映画、有名俳優も登場してる、とのことで、楽しく見れるかと思ったんだが、最初の方、導入部のあたりはつまづいた。
あれっ、こんなんだっけなあ、と。で、よく思い返してみるとあまりストーリーも覚えておらず。その作品をネットで検索したりしてるうちに、そういや宮沢りえの出てる作品もそのとき見たっけと思い出し、そっちのストーリーもどんなだったかな、とネット検索のほうに夢中になってしまった。

さて、この作品。出てる主要登場人物が少なく、作品自体も短い。どういえばいいか、連ドラ1話完結の時代劇、例えば必殺のような印象を受けた。もっとじっくり描いてほしい部分があっけなく、物足りない感じで、一方軽い気持ちで見れるし、話はどんどん進むので見やすい。
牡丹燈籠の全体を知ってるわけではないが、NHK令和版と比べるとお露新三郎の部分だけが描かれ、尾野真千子とか柄本佑が担った部分はまったく出てこない。
出演は新三郎が本郷功次郎、お露が赤座美代子、
小川眞由美、西村晃、志村喬、大塚道子
西村晃がまだ若い。新三郎の近くに住む伴蔵で結局お札はがしをしてしまう人物。その妻が小川眞由美。志村喬は易者の白翁堂で新三郎を守ろうとお札を貼るよう命じ長屋の衆とともに寝ずに題目を上げる。大塚道子はお露と連れ立って出てくるお米
原作にあるのかどうか、新三郎は家から理不尽な婚姻を強要され、家、武家、そして社会に不満を抱えており、お露の境遇(武家に生まれ父親が殿様の理不尽な要求によってなくなり没落した)を聞き、同志のように思い世直しを口にするという場面があり、なんとなく制作された当時の風潮に沿った思想を無理やり入れたように思えた

ラスト・ムービースター [映画]

2018 アメリカ 評価SA

つべのオススメ動画にBS12の宣伝動画が上がっていて、ちょっと興味を持ち録画
見る前にウィキをチラリと。評価はそう良いものでなく、ちょっと期待値を下げた。
ものすごい良かった。こういうストーリーが好きというのもあるが、ダレる部分もほとんどなく、ワクワクと楽しみながら見れた。
内容については検索すればいくらでも出てくるので詳細はそちらに譲るとして。

過去の映画スター、ヴィックが映画祭に招待され赴くも、それは一映画ファンによる趣味の映画上映会。騙された気になり、帰ろうとするも、その地が自分の生まれ故郷、そこで生家などを回ろうという気になり、巡っていくうちに彼の心境に色々去来するというようなストーリー。
その中で回想場面というか、そういうものが挿入される。回想場面というより、ヴィックがそういう場を訪れると、彼の目の前にその場面が幻想として出てくるといった感じ。
そしてそういう回想場面にて、二度、主演のバート・レイノルズが過去に出演した作品の彼をCGで組み合わせて、この作品に組み込まれ、ヴィック(現在のバート・レイノルズ)と同じ画面内で共演するという場面がある。これは見ているときは気付かずにいた。2つの場面というのは、ひとつが、自動車、ヴィックが空港へ行くのを止め高速を降りろと言うと、リルが乱暴にハンドルを切り、爆走を始めるというこの場面で、突如ヴィックが過去のバート・レイノルズの爆走する自動車に乗っているという場面になる。
もうひとつは、終盤、川で魚を銛で突き刺し漁をしている舟にヴィックが乗っているという場面。
おれは後者を見ていて、えっ、なんの場面だ、これ? とちょっとストーリーとしては見失ってしまい、見終えてからあの場面はなんだったのだろう、と。まあ、それまでも回想場面が挿入されていたから、それのうちのひとつだろうな、と。そうこう考えているうちに、過去の自分の作品に紛れ込んだという描写かなと。
調べてみたら、上記のように、二つの場面で過去のバート・レイノルズ作品が使われてると知り、おれはバート・レイノルズをよくは知らないのだが、それなりに見ており、そういや、あの自動車の場面、確かに見覚えがあるやと思い出す。魚の場面もそうなのだそうだ。
過去の作品の引用といえば、そもそも冒頭が過去のバート・レイノルズのインタビュー場面である。そして他にも色々と使用しているようだ。
そしてヴィックというキャラの造形はバートそのものでないにしても、過去俳優になる前にアメフトをやっていたなど、それと重なるようなものになっている。

ヴィックたちはホテルへ泊まろうとするも金もなくみすぼらしい彼らにホテル側はやんわり拒否。しかしそのホテルの上役が出てくると彼の顔を見て顔パスでスイートが提供される。
その場面で、相棒リルは大はしゃぎ。ビデがあることに「東京のホテルかと思った」と。今までそういう高級ホテルの場を知らなかったという場面での表現。

その相棒リルのキャラが良い。少女期を終えた女の子、ぶっ飛んだイカレキャラながら、ヴィックを放っておけず、回想の旅につきあい、そして段々心を開くという役柄

ヴィックの最初の妻クラウディアの役がキャスリーン・ノーランという人。なぜか最後のクレジットで、登場順のキャストクレジットに掲載されていない
クレジットの最初の方で主なスタッフとキャストのクレジットがされる。これはロールではない表示形式。その後文字の大きさが少し小さくなり、ロールで、全キャスト、スタッフのクレジット表示になる。こういうのはよくあるころで、その内の最初の方にはキャスリーン・ノーランという人は出ているのだが。
その最初の方のクレジットでも表示される(全楽曲は後半のクレジットで全部表示され、そこでもこれも表示される)のだが、主題歌ということなのだろうか、[To Get Here]という曲を担当しているのはウィリー・ネルソン(作者は別で演奏(performed by)のみ)。他の多くの楽曲は別の人。

ソニーというヴィックの友人を演じるのはチェビー・チェイスという人で『サボテン・ブラザース』に出ている人とのこと

劇場版 銀河鉄道999 [映画]

1979 日本(上映時間 129分)
BS12
1/31 19.00~(140分)

予想通りBS12の「日曜アニメ劇場」にて「劇場版 銀河鉄道999」が再度放送。この番組の後の「ザ・カセットテープ・ミュージック」も前回と同じ「ゴダイゴスペシャル」の再放送。こちらは999の放映時間が半端なためその時間に合わせて制作したこの番組をそのまま放映したのだろう。
ゴダイゴの主題歌、これについてはもう書いたが、それがヒットしたときをリアタイで経験。これが自分の歌謡曲体験の最初期であり同時に最盛期でもあった。
で、それをリアタイで経験しているのだから、この映画作品、及びアニメ作品や漫画作品についても触れていてもおかしくないのだが、そっちにはほとんど自分は触れていない。もちろん、タイトルは知ってるし、それに出てくるキャラなんかもその時代に生きていればなんとなくは知らされるがそれ以上のことは知らない。
家が漫画をあまり読ませない家庭だったこともあるだろうが、それに反抗してまで読もうとかを自分はしておらず、漫画やアニメに対してそこまでの興味はなかったのだろうと思う。
それでも友達からもらったドラえもんの単行本何冊かを繰り返し読んだりしたという記憶はあるのだけれども。

さて、内容。
ちょっとがっかりした。超名作かと思いきや、なんというかスカスカ。長~い物語が原作としてあるのをダイジェストにしたような感じ。
ウィキでアニメ版とこの劇場版との違いについて書いてあるのでそこらは割愛。同じ原作ものを同じころ作りながらも、アニメ版の再編集版でなく、主人公のキャラも変えるというのは珍しいような気はする。
で、この劇場版。999号で旅に出て、各駅(各星)に止まりながら目指す場所へ旅するという内容なのだが、その各駅でのエピソードがスカスカなのだ。多分そこらを入念に描いて、その一方にメーテルの隠された正体みたいなものがチラチラ見えるみたいな作りがアニメ版、及び原作の漫画なのだろう。そういう長尺に十分耐え得る作品なのだろうということを感じながら、そのスカスカさにがっかりする。また長い話を短くしているのだから、余計な描写を減らし、ストーリーをなぞる部分を多くしてほしいところだが、割と余計といったら言い過ぎかもしれないが、そういう描写が多いような気がする。それは例えば西部劇なら馬に乗って旅する場面だとか、現代劇でのカーチェイスシーンだとか、音楽を裏に流して、数分みたいな、話自体は進まないところ。この作品にもいくつかある。例えばゴダイゴの挿入歌がかかる999に乗っての最初の旅立ちの場面なんかだ。

ハーロックというのが出てくる。これはこれでひとつの漫画の主人公じゃないかなあと思ったが、やっぱりそうだ。エメラルダスも含め他作品からのキャラでもあり、最初はそれらが一体になった物語を構想していたとのことが原作者から語られてもいるらしい。
そのハーロックやエメラルダスも出番は少なく、最後のハイライトシーンで鉄郎を助けに来る、ここなんかは感動のシーンなのだろうけど、出番が少なかったため思い入れが少ないのでさほどでもない。
メーテルの謎が解け、なるほどそういうストーリーかとそこは感心したが、やはりそこまでがスカスカだったため、あまり感動はない。
結局ラストのゴダイゴの主題歌が最大のハイライトシーン。そしてそれが終わるや否や間髪を入れず始まる「ザ・カセットテープ・ミュージック」マキタスポーツのMC

メーテルの謎めいた感じや車掌の中身のないものが服を着ているという奇想天外な発想のキャラなどは見どころではあるが、時代のせいもあろうか、やっぱ子供向けという感じが否めない。
もう少し後の時代のナウシカなんかと比べるとストーリーの運びなんかに子供向けっぽさが目立つ
時間城、機械伯爵という名前など、腐海なんかと似たようなセンスのネーミングだ

いま、TVKでアニメ版を放映していて、これが始まるときに少し調べ、ゴダイゴの曲は劇場版のものでありアニメ版とは関係ないことを知り、録画はしていないのだが、今回この劇場版を見てみると、あらためてアニメ版を見てもいいなとは思う。テレ玉あたりでやらないものか。

声優に田島令子という名前があり驚いた。エメラルダス役。必殺でゲストとしてよく目立っていた人だ。