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~ルパン三世 アニメ化50周年記念~ 石川五ェ門セレクション放送 [アニメ]

08/23(月) 19:30 -
TOKYO MX1|30分
[新]~ルパン三世 アニメ化50周年記念~ 石川五ェ門セレクション放送

MXにてルパン三世パート4の放送が終わった後にこれが始まった。
どういう意図なのやら。パート6が近々始まるとのころでそれの前祝い的な企画らしいが。これが終わったらどうするのだろ。
おれがルパン三世の中でまだ未視聴(ガキのころ見たのは除いて)のものはパート1だけであるが、今回はパート1からのエピソード。
堪能した。パート1はかろうじて見る価値がありそう(パート2はかなり見るのがきつかった)だと感じた。
さて、改めてこのシリーズについて検索してみると、すでに放送予定が発表されており、パート1は今回だけのようだ。
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8月23日放送【PART1】7話「狼は狼を呼ぶ」
8月30日放送【PART2】21話「五ェ門の復讐」
9月6日放送【PART2】61話「空飛ぶ斬鉄剣」
9月13日放送【PART2】108話「哀しみの斬鉄剣」
9月20日放送【PARTⅢ】5話「五右ェ門無双」
9月27日放送【PARTⅢ】26話「ニューヨークの幽霊」
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確かパート6が10月から始まると聞いた。ちょうどその前に放送を終えるスケジュールか。まあこれ以外は見る必要ないな

※追記
「哀しみの斬鉄剣」を見た。ちょっとストーリーを見て、はてこんな話だったけなと思い興味を持ったのだ。
このメモブログにおれが記している感想をコピペ--
タイトルからわかる通り五右ェ門が主役。途中次元が二度あきらかにこれ以降関わらないんだろうなという感じで出てくるのがしゃれている。不二子はもっと少なくて最初だけ。銭形もルパンたちを追いかけに現れるものの、フェイドアウトしていくかのように、いなくなる
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主役でない次元の登場場面、酒を飲んでくつろいでいるところを銃で撃たれるのだが、あれは誰が撃ったんだ、銭形? あきらかに意味のない場面なのに、謎を残す場面でもある。あんな場面入れる必要あるか?
五右ェ門で五右ェ門の斬鉄剣を超える刀を作ろうと挑んでくる祖父とその孫娘が相手役でルパンはそのことを知って色々画策するという内容

※追記
この放送の後はパート5の放送をやっているようだ

夜は短し歩けよ乙女 [アニメ]

2017 日本
3/14 BS12 「日曜アニメ劇場」枠

監督
湯浅政明
声優
星野源
花澤香菜

わけがわからん
そもそもなんで見ようと思ったのか。これの元になってる吉井勇作詞の『ゴンドラの唄』の「いのち短し、恋せよ乙女」という文句を知っていて、多分それは黒澤明の『生きる』の中の志村喬で知ったのだろうから、昔から知ってるということでもないが、で、「いのち短し、恋せよ乙女」というアニメがあることも知り(実際には今回見た「夜は短し歩けよ乙女」なのだけど)、それを今回やるということで、「知ってる」という程度の興味だ。しかもよく見ると、文句そのままでなく、もじりになってることにようやく気付いた程度、つまりはさして興味はない。
見てる最中からわけわからんな、という思いになり、わけがわからないと頭がぼーっとして、ただ画面を眺めてるだけになってしまうが、後からウィキであらすじを見てみると、確かにそういうストーリーだったなとはおもうわけで、ということは着いていけなくなってたと思ったが、それなりに着いていけてたようであり、でもわけわからん。
原作は小説であり、上に書いた「あらすじ」は小説のものであり、今回見たアニメ作品ではそれらが一晩のうちに起きたことになっていて、なおさらわけがわからん。
この作品が小説の世界を忠実に表したものなのか、もしくは小説の世界を表すためにはこういう演出が必要だったのか、いや、そうではなくて、小説を原作にしてはいるが、別個の世界観の作品なのかわからないが、原作の方はどうなってるのか、どんな文体で書かれてるのか、多少興味を持った。っつってももう小説を読むという気力はまったくないのだけど(目が悪くなってしまい、本を読むなんという行為に入る気がまったくしない)。
そしてわけわからんが、解説サイトを探して解題しようとは思わない。それほどの作品だとも思えない。

そういえば昔小説をよく読んでいた時に、あまりにもわけがわからなくて、字面を追ってるだけになったような事があったが、それと似たようなことかもしれない。映画でそういう状態になるとただ絵面を追ってるだけになって、ふっと我に返り、巻き戻して見返したりするのだが。

そうそう、そういえばそれで似ているといえば例えばこの作品でいくつかの場面で、「そうきたか」と腑に落ちるところがあった。カタルシスと言えるかもしれない
それは例えばそれこそ「いのち短し、恋せよ乙女」の歌がかかる場面、そしてそれはもう終盤なのだが、そこからラストに向かうに連れて「そうきたか」とやっとこの作品がわかったような気がした場面があり、それはわけわからないなりに読み進めていた小説なんかでも時折そういうことがあった。

こういったわけのわからない作品は、言葉で書き記すことに無理がある。言葉、自分の使う言葉は自分でわけがわかってるわけで、わけがわかってる道具を使ってわけのわからない世界は書き記せない。どうしたって意味がわかって記述するわけだから。書けることはわけがわからないというだけ。
そういう意味でもう何も書くことはない ずいぶん長く書いてしまったが。
でもこういう作品の方が印象に残るってことはあるかも。

ウィキにある毎日新聞の評がよくまとまっている。そうか、こう書き記せばいいのかと思う。
--毎日新聞では、「見ればそれと分かる湯浅政明監督の絵は本作でも疾走感あふれ、変人ばかりのキャラクターともあいまって独特の世界観を形成している」「普通のアニメとはかけ離れた、シュールでポップな画調と動き。あの原作をよくぞこうした、とびっくり。怪作にして快作」と賞賛された--


ルパン三世 パート3(第36話以降) [アニメ]

一時視聴を中断していた「ルパン三世 パート3」の視聴を3/13に再開
数日前にパート2を少し見て、さらにはちょうど同時期放映されたテレビスペシャルも1本見て。何かしら違いはあるかな~と。あまり感じなかった。残り15回。1日1,2話ずつくらい見るつもり。1週間で見終えるか
個別の感想は、以前に建てた項目で。

ルパン三世 バイバイ・リバティー・危機一発! [アニメ]

BS252 WOWOWプラス 3/7
オリジナル 1989(『ルパン三世』のテレビスペシャルシリーズ第1作)

ちなみに放映日の3/7はBS12の「日曜アニメ劇場」でルパンが放送され、それに連動して「ザ・カセットテープ・ミュージック」でも「ルパン三世と大人のアニソン特集」 をやった日。

テレビスペシャル第1弾ということで総じて楽しい。あまり冒険をせず、凝ったこともせず、それまでの良い部分を集めた平均的ルパンに仕上がってる感じ。まあ面白くはないけど。
冒頭、ルパンがもう引退だと言っているところから、それが現役復帰するという風に展開。スペシャル第1弾にふさわしい。

いつもどおり各地が舞台となるのだが、ニューオリンズも登場。ルパンらがディキシーランド・ジャズやストレートジャズを聴く場面があり、後者ではピアノを弾いてるキャラの造形がちょっとスティーヴィー・ワンダー風、といっても目が見えないということではないが、で突如銃を構えルパンを攻撃するというキャラ

ルパン三世 (TV第2シリーズ)113ー116話 [アニメ]

放映日は2021.02ごろ
3/12-13視聴した

第113話 作戦名は忠臣蔵
02/16(火) 18:15 -
テレ玉1|30分
第114話 迷画 最初の晩餐の秘密
02/23(火) 18:15 -
テレ玉1|30分
第115話 モナリザは二度微笑う
03/02(火) 18:15 -
テレ玉1|30分
第116話 108つの鐘は 鳴ったか
03/09(火) 18:15 -
テレ玉1|30分

自分のメモによると113、114、116話が何かしらの不手際で見れていなかったようで、ついでだからそこらへんの分を全部録画してまとめて視聴

パート3で時間を計測したので、ついでのこちらでも調べてみた。

以下はパート3--
本編の時間を調べてみた。大体21分程度で、前半後半ともに10分30秒くらい。OPテーマが1分30秒、CMが2回入りどちらも1分。であるから、本編終了は開始から24分30秒(実際には24分40秒くらい)のところ。
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こちらは25分20秒。OPテーマとCMについては同じ。なので本編はちょっと長い。

聖☆おにいさん [アニメ]

2013 日本
フジテレビ
3/1 (2/28(日曜)深夜)
1.55~(1時間55分間)

以前実写ドラマを見たが、これはアニメ版。
眠る前にテレビ番組表をなんとなく見ていたら目に入った。
主役二人の声は森山未來、星野源と豪華。2013年というとそこまで知られていなかったころかもしれない。
実写ドラマ版を見ていたためだろう、世界観は理解しており、すんなり入っていけた。
漫画が原作であり、それゆえアニメ版のほうがそのニュアンスをストレートに出せているのだろう。だが、こう見るとドラマ版も悪くない。ずいぶん健闘しているのではなかろうかと思う

音楽は鈴木慶一と白井良明

短編連作という感じで短めエピソードがいくつかで構成されており、これを見てると、連続アニメにしたらよさそう。

イエスの誕生日を祝うというエピソードはちょっとホモを連想させ、そう考えると若い二人の男の同居というのはそもそもそれをイメージさせてるのではなかろうかと思う

ルパン三世 パート3 [アニメ]

今日の放送が最終回。
早く見てHDDを空けなきゃ、ということで見始めることにする。

放映データ
MX 月曜日、18.30~(30分間)(2020/1/6~9/28、第35話まで)、19.30~(2020/11/2~2021/2/15、第36話以降最終話まで)

ちなみに来週からはパート4。全部通しで放送するということなのかな。これはなかなか素晴らしい企画。

オープニングテーマがルパン三世のテーマが使われておらず、さらにいえばイメージと相当異なるもので、ずっこける。一方エンディングテーマはルパン三世のエンディングテーマっぽいなと感じる。まあイメージというのはそれまでに自分が見てきたルパン三世の全てを自分の中で勝手に消化したものという勝手な物なのだけど。

五ェ門の表記は五右ェ門。 以下記述では五ェ門(ウィキではこれで項目が立っている)にしてある

第1話でアルカトラズ刑務所が閉鎖になって20年と言ってる。調べてみるとアルカトラズ刑務所が閉鎖になったのは1963年。このシリーズは1984~85年ということで、なるほどそういうことだ
銭形が軽口の意味で「安口(やすくち)」と言っている。こんな言葉あるのかと調べてみたが出てこない・・・。

初日は第2話まで。大して面白くない。まあパート2の時点で相当につまらん作品だったからなあ。

2/16
第3~4話
つまらないのであまり見たいとも思わず、なかなか進まない

少女の裸。
この回に限らずセクシーな絵柄が多め。そういうことに緩かったからか。いや、アニメとしては今も同じような物かもしれない。

2/17
第5~9話
あまり面白くないので一気に見るのが大変。2話ずつ、時間をあけてゆっくり見て行こう。今回も2話見て時間を空けて・・・。最後は1話だけで睡眠。
サブタイトルの出し方が他と異なっており、それについてはウィキ--
サブタイトル表記は従来および本作以降のテレビシリーズで使用されている「タイプライターによるタイトル打ち」ではなく、本編の止め画に赤文字でタイトルを入れる独自のものを使用している
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ルパンが戦車でやってきた
山田洋次の「馬鹿が戦車でやって来る」のもじり。

第2シリーズのサブタイトルを出す時の効果音が本編途中で流れる。あのタイプライターのような音の後のものだ。終盤、ガープと撃ち合いになり、その音の直後にその撃ち合いを眺めてる五ェ門のしたり顔が映る。

2/18
第10~11話
10
不二子不在。セリフでは中国の山奥にある美容に効く魔法の温泉へ行ってる(ルパンの策略で今回だけは邪魔されないように出かけさせてる)と言ってる。

本編の時間を調べてみた。大体21分程度で、前半後半ともに10分30秒くらい。OPテーマが1分30秒、CMが2回入りどちらも1分。であるから、本編終了は開始から24分30秒(実際には24分40秒くらい)のところ。

2/19
第12~15話
12
カリオストロの城を意識したのだろう、ルパンと若い娘の話。その若い娘は少女時代にルパンと交流したことのある。
13
なんじゃこりゃというエンディング。早速ネットで検索。このシリーズの中では異色の問題作というような評価のようで、感想がたくさん
鈴木清順が脚本、このシリーズで唯一。
あのラストシーンはよくわからなかった。でもあのラストの銭形との場面が、その回のそれまでのストーリーと別箇の存在になってるところが唐突な感じであまり良い回とも思えない
ネットにある解釈を読んでからもう一度見てみようか。
15
殺しが静かにやってくる
サブタイトルは映画、洋画の邦題、おれが前に見たやつだ。

2/20
第16~20話
16
銭形が昭和一桁世代と言われている。1934(昭和9)年とすると、放映が1984年なので50歳くらいか
17
ルパンと銭形の追い掛けっこが全編であり、ルパン三世のひな形というか、のどかなトムとジェリーというか
18
フラッシュダンスみたいな女の子が出てくる。彼女が踊る楽曲の歌い出しのメロディはマドンナの「マテリアル・ガール」風。
ここまで見て。一連の事件が終わり、これで終わりかなと思うと、そこからエピローグみたいな場面があるというパターンが多いような気がする。
19
五ェ門が出ない
20
今回は敵役、次期経団連会長の東屋鬼平の前歴として「蝮太夫」という詐欺師。

2/21
第21~24話
24
ルパンが「東京ぼん太、おれも古いね」と口にする。なんのことかと調べてみると、70年代に活躍した芸人で、「トレードマークは唐草模様の風呂敷」とある(ルパンがそういう風呂敷を取り出す場面)

2/22
第25~26話
25
俺たちは天使じゃない
またまた映画、洋画の邦題、からの借用
と思ったら、1989年の映画だ、このルパンより後か・・・。変だぞ、ストーリーも映画からの借用かと思える設定の内容だったが・・・、と思ったら、1989年のものは過去の同名映画(1955年)のリメイクか。
この「と思ったら」が連続して出た。その間、わずか数秒。
スプーンランド紛争、ハッチャー首相と、現実をもじったものが出てくる。

26
この回については、前回に流れた予告を全文
五ェ門が病気なの、それも野ざらしシンドローム って奇妙な奴だ。なんでも骸骨ちゃんに惚れられたんだと 。この病気を詳しく知りたい方は落語の野ざらしを研究してみよう。次回、ニューヨークの幽霊

2/23
第27~30話
27、28
このシリーズ初の連続もの
この回(27)からOPの映像が変わっている(ウィキによれば、実際には35話からの変更だが、HDリマスター版では27話からの変更になっているとのこと)。それに合わせてなのか、アイキャッチも変更になっている。アイキャッチはこれまでの回では、CM前もCM後も同じものだったが、今回からのものはCM前とCM後は異なるもの(背景は同じだがそこで行われるちょっとした動きが異なる)となっている。

2/24
第31~33話
31
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2000年代にCSで再放送された内容では、登場人物が金庫に向けて合言葉を話すシーンで台詞の内容に修正が加えられた(「ちびくろサンボ」の単語が削除され、別のもう一つの合言葉を二度繰り返すという編集が行われた)が、HDリマスター版ではこの修正が無くなっており、本放送版と同じ台詞になっている
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この部分、ギラン(この回のメインキャラ)が自分のコレクションの部屋へ不二子を案内するという場面で扉を開けるための合言葉「王様の耳はロバの耳」不二子「すごいしかけ」ギラン「ちびくろサンボはくるくる回る」不二子「いい歳して なんて合言葉」
最後の場面、何度も見直してしまった。絵柄のミスかと思い。最後は銭形率いる警察の車両がルパンたちの車両を追いかけてるのかと思ったが、絵柄は逆でルパンたちの車両が警察車両を追っている。いつの間に入れ替わったのかなと思い見直してみると、確かにルパンたちの車両が警察車両に向って行っており、銭形が慌てふためいており、そこから警察車両はバックで逃げているのだろう。
それよりその際のルパンたちの車両、次元の運転する牽引自動車、それにけん引されているトレーラーにクレーンが載せられており、それは五ェ門が運転。ギランのコレクションが納められた部屋を丸ごとクレーンが引っ張り出し持ち出していくというエンディングで、その車両の色などから、最後の絵柄がいまどういう風になってるのか、どっちが牽引自動車なのかがよくわからなくってるのだ。

2/25
第34~35話

視聴中断
再開
3/13
36、37話
3/14
38,39話
39話は不二子が登場しない

3/16
40-42話

3/17
43-45話

3/18
46話

3/19
47~48話
48話は不二子が登場せず

3/20
49-50話
49話は不二子、五ェ門が登場しない
50話。ウィキに「第50話はストック回という性質上、内容的には最終回的な展開も特に無く、物語のエンディングもルパン一味と銭形が追いつ追われつでフェードアウトしていくというスタンダードなものである」とある。
本編最後、銭形「今日これがお前の年貢の納め時だ。覚悟しろ」ルパン「わーとっつぁん、さすが、このしぶとさは永遠に不滅です」とちょっとだけ最終回っぽい
次回予告のところ(エンディングテーマの前)静止画で5人のイラストが次々と映される中、女性の声のナレーションで「見ていただきありがとうございました。この番組は今回で最終回です」。
本放送は49話で終わってるわけだし、これは新たに作られたものなのだろうか。

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しかしまあつまらなかったな。第2シリーズのときもそう思ったけど。
睡眠導入にいいんじゃないだろうか。しばしば寝てしまった。短い作品なのに。

ストーリーがつまらないと思うがその一方でよくよく見てみるとストーリーが結構長編にできそうなくらい盛沢山で、それを短時間でやるために省略の演出技法を使ってるようにも思えるときもあった。しっかり見ればそれなりに鑑賞に堪えうるのでは、と。ちょっと買い被りすぎか。そこまでのものを作ろうとしてる気概はないだろうな。

で、ルパンってのがこんなもんなら、なぜ人気なのだろう、なぜおれも好きになったのだろう。といってもおれはそれほど好きであったわけでもないのだが。でも子供のころ、よく見ていたのは確か。
そこで見たとき惹かれたのは、子供向けアニメでありそう作られていながらも、大人の匂い、エロとハードボイルド。キャラの立ち具合も魅力的。エロの不二子、ハードボイルドの次元。
声優もうまい。うますぎてなりきっているので、それが当たり前なので、凄いと思わせないけど、やっぱりすごい。
実写ではありえないアニメならでは描写もとても魅力的である。
またアニメの可能性みたいなものが詰まってるようにも思う。映画はたくさんのスタッフとキャストを集めて作られるが、アニメの場合、無から有を作り出すとでもいうか、もちろんスタッフや声優がたくさん関わるものの、外でカメラを回して撮影するわけでなく、机上で作り出される。つまり机上で大作映画に匹敵するようなことができるのだ。映画を意識した描写というのがたくさんあり、そういうことができるというアニメの可能性を見せつけてるようにも思う。
でも、ストーリーがなあ。やっぱ子供向け、そう、その制作されたときの時代の子供向けということで、そこらへんはとても安っぽく、今見直すほどのものではないな、と思う。

上にも書いてるが13話が異様だったので、再度見てみたら、また印象が変わった。最後の場面での銭形とルパンのやり取りの部分だけが異様なのかと思いきや、この回は最初から異様で、ルパンが憑りつかれたような目をしたルパンであってルパンでない感じ。憔悴しきったルパンが目が虚ろながら仕事に行くという感じで始まるのだ。
この回の感じといえば、連続ものながら一話完結の作品でその回だけ、変な感じを受けるというもの。座頭市の最終回で抽象的な作品があったと思うが、あんな感じ。
またルパン三世パート2の最終回「さらば愛しきルパンよ」、これはまたニュアンスは異なるのだけど。中盤過ぎまで、ルパンたち3人に違和感、もちろんこれは偽者なわけだ(それが見ている方にわかるようになってたかどうかはよく覚えていない。おれはなんか変だな~と思いながら見ていた覚えがある)




鬼滅の刃 [アニメ]

いま公開中の映画が大大大評判のアニメ
フジテレビにてアニメ版の放映があった。
映画はこれらを終えた後の世界を描いているそうだが、そこだけ見てもわかるのだろうか、一応そこまでのストーリーが紹介されるのだろうか。まあ人を食らう鬼が氾濫してその鬼に家族を殺された炭治郎がね豆子(表記が変だが、正しい表記をして投稿するとなぜか記事がおかしくなるので)を背負って鬼退治の隊員として活躍するというだけの説明で事足りるか

大ヒットの理由がわからん
この程度のアニメっていくらでもあるんじゃないのかな、おれはアニメには全然詳しくないが。だからヒットという程度ならわかる
だけど大ヒットとなると。
やっぱストーリーなのかなあ。ストーリーはまあ悪くはないが・・・。
これだけの評判の作品なら大抵面白いはずだが、いや、あまちゃん、半沢直樹は面白かったけど、逃げ恥とかわたナギとかつまらなかったからなあ

24日に見始めて26日に見終える。初日に11話まで、二日目に21話までというペース。
フジテレビでの放映で放映日程は詳しく掲載されているウィキをコピペ--
2020年10月10日と10月17日には、フジテレビ系列『土曜プレミアム』枠にて本作の総集編を放送(ゴールデン・プライムタイムでは初放送となる)。10月10日は第1話から第5話までの『兄妹の絆』、10月17日には、第15話から第21話までの『那田蜘蛛山編』をそれぞれ放送した。また、フジテレビ(関東ローカル)にて、10月13日から10月17日未明と24日に『全集中!アニメ「鬼滅の刃」一挙放送』として第6話から第14話までおよび、第22話から第26話まで放送された[290]。12月20日には第22話から第26話に新規映像を追加した特別編集版『柱合会議・蝶屋敷編』が放送された
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ウィキを見ると、原作が23巻で完結
今回おれが見たフジテレビでの放映分はアニメ版の全部でこれは原作の1巻から7巻冒頭まで。映画版が7、8巻だそうだ。まだまだ続きがあるってことか

大正時代が舞台だが現代的な部分、セリフやギャグのような会話の間合いが時折出てくるという感じで始まり途中からギャグの度合いが頻繁になってくる。善逸が出てくるところからだ。善逸はほぼ全部ギャグを担う存在、伊之助も出てきたところはまた新たな敵かと思わせる感じだったが、同期の剣士ということでこちらもギャグ担当。
余談だがネットでとくに顕著だと思うのだが、このギャグの間合いというのがおれにはダウンタウンの影響のように思えて仕方ない。いや、もっと前からあったのだろうけど、俺の世代での影響力の強さなのかもしれないが。会話において常にボケてやろう、そしてそのボケに正確なツッコミへの期待。この作品で使われているものはもっといろんなタイプのギャグ、漫画でよくみるようなものまで、色々あるのだけど、おれは見ていて、常に思ってるこのことを思い出したのだ
閑話休題
土曜プレミアム第2弾が『那田蜘蛛山編』。話はなかなかのように思えたが一方3人の剣士の個別の行動、さらには回想場面が頻繁に入れ替わり、おれの記憶力の問題か、他の場面が入ると、それまでのところを忘れてしまい、見るのが色々大変だった

土曜プレミアム第3弾は『柱合会議・蝶屋敷編』だが、これはアニメ版の22話から26話ということなので、そちらを視聴。
時間が土曜プレミアム版のほうが短いのでいくらかカットされてるのかなと見比べてみようかとも思ったのだけど。22話冒頭、庭の風景2、3秒かな、その後藤の花なのだが、それが土曜プレミアム版ではいきなり藤の花で庭の場面がなかったのを確認し、こういうカットをちょこまかやってるのだろうなと思い満足し、見比べは止め。
土曜プレミアム版には新規映像ありと謳っており、それはどこかなと思っていたが最後の部分を見たら、次回予告があり(アニメ版では26話が最終回なので次回予告はない)、そこが新規部分なのだろう、他にもあるのかもしれないけど。
そうそう、アニメ版の各回最後に入る次回予告は本編のシリアスさに比べ、その緊張の緩和ということなのか、ほんわかしたもので、ただ内容はとくにない、そういや次回の内容の予告というのはまったくなく、ほんわか雑談と「大正こそこそ噂話」があり最後に次回タイトルの紹介だけ。

土曜プレミアム第3弾ではその番組に続いて、声優のインタビューコメントの番組が5分間あったのでついでにそれも見た。
れんごく(これもね豆子と同じく文字の関係)の声の日野聡。そこで今回の放映での新規部分が次回予告のところと、その後の新たに作られた映画PVだったということを言っていた
そういや、スポンサー提供が不思議。CMは一切流れず、ただ冒頭に社名がアナウンスとテロップ、中途にもテロップ、さらに別の社のテロップ、番組最後に後者のほうのテロップとアナウンス。それだけだった。こういう提供もあるのだなと。

そういやれんごくという名前、そして柱という階級の名称はこの作品の話題でよく聞くが、これは映画版で活躍する役のようで、今回見たもののなかでは終盤に少し出てくるだけだった

インタビューコメントといえば、フジテレビで深夜放送されたときも、その各放映の後にあったようで、それも録画していたのだが、あまり興味がなく、そしてなかなか本編をおれが見始めなかった関係で、録画が邪魔になり消してしまった。

ウィキにある評価を読む。それより先に色々なところで漏れ聞いていた評価、兄妹愛、家族愛、仲間、そしてそれぞれの背景、特に敵方の鬼についてもそういう風に各鬼の過去が描かれ鬼にも事情があることがわかること、そんなことを聞いていた。
それらを総合してみてもどれもヒットの要因だろうが大ヒットとなると、やはり自分にはその要因がわからん

鬼という単純なフレーズによる敵の設定は入りやすいような気がした

小さなミッションをこなすと次々に新たなミッション、さらにそれらを包括する大きなミッションがありそれを目指すという極めてゲーム的な内容でこれもありきたりに思える。

こういったアニメはいくらでもありそうで、なぜ大衆的ヒットにまで結びついたのだろう。逆に考えれば、どの作品でもいけそうで、内容はそれほどクオリティが高いように見えない。
女声人気が高いらしく、またグッズなどに群がっているというようなニュースも見たが、これなんかも内容とあんまり関係ないようでもあり、いや内容でひきつけてからのグッズ戦略だろうし。

スクリーン数が多いとかも影響してるということも言われてるようだ。コロナ禍で公開される目立った新作がないとかいうこともあるのかな



未来少年コナン [アニメ]

放送が終了したので、これから一気見。今日(11/11)見始めた
-3話まで

※11/12
-10話まで

※11/13
-19話まで

※11/14
-最終話まで

宮崎駿の作品であり、オリジナルはNHKでの放映。連続もので全26回
宮崎駿の経歴からしてもかなり重要な作品で、これがジブリの一連の作品に繋がる最初の作品と言えそうで、それ以前に監督という総責任者の役割で、こういったSFものを作ってはおらず、というより監督業もそれ以前はちょぼちょぼだ。
で、連続ものテレビアニメなのでその範疇ではあり、壮大なこちらを驚愕させるようなところはない。テレビアニメといってもNHKであり、NHKでアニメってなに? とちょっと思ったが、そういえば30分の連続アニメってNHKでもやってたなあと思い出す。これは火曜日19.30から30分放送枠だそうだ

5話以降次回予告がなくなる。ウィキによれば、それ以降もあったようで、単に今回の放送ではカットされたということらしい。次回予告といっても、タイトルだけ言い、そのバックに映像が短時間流れる程度のものだが。

中盤にアイキャッチが入る。これはウィキでは「パタパタアイキャッチ」とされているが、各キャラクターのイラストが4分割ほどにされ、それがスロットマシンのようにバタバタと回転、そしてまた各キャラクターのイラストになるというもの。これが多少凝っているというか、さほど効果がないのになんでこんなことやってるのか、というか、全部の回で同一ではなく、各回違っている(バタバタの後の効果音も)。

4話、6話あたりに悪い人間を排除して素晴らしい世界が出来るいう考えが多少見てとれる
政治の暗喩が2点ほど感じられる。
大国と小国の関係(インダストリアとハイハーバー)。
独裁を強める権力者、及び長老技術者の関係。踏みつぶされる庶民。これはインダストリアの状況でレプカを中心に描かれる
コナンが超人的な能力を持ち、こういうのは過ぎると白けるが、ここではそんなことも感じなかった。無理やり分析すれば少年らしい無邪気さでそれを覆い隠してるともいえそうだが。
科学の進歩の行き着く先というところがテーマでもあり、時折、原始共産主義への志向が見える。
突っ込もうと思えばは突っ込めるようなところもいくつもあるが、それはアニメ特有のものであったりフィクション特有のものであったりで、気にならない
例えばコナンが人のほとんどいないところで育ったのに、文明の機械のことも知ってるとか。
22-23話が一旦のクライマックスで、独裁者レプカの死。その後3回残ってるが何をやるのか、輝かしい新生活なんて描いてもつまらんだろうし、なんて思ってると、レプカは死んでおらず、逆襲、そりゃそうなるよねぇ。
子供向けアニメであり恋愛ドラマの要素なんてほとんどないが、コナンとラナのそれを裏側に濃厚に感じさせる描写は多々ある。ほとんど新婚カップルのような惚れあいっぷり。
なぜかダイスがラナに惚れまくっており、ロリコンか。
そのダイスはモンスリーと少しいい仲になり、最終話で結婚するのは、まあそうなるだろうな、と。
キャラクターとしては、そのダイス。銭形のような風貌ともいえ、キャラ設定もそういう面もある。悪人的に出てきたが、次第に仲間になる。コメディ的要素を多く担当
ジムシーは頼れる相棒であり、また粗野な自然児というキャラクター。こちらもコメディ的要素が多い。ここらへんは見ていて楽しい。
悪役から善側に変わるというのはひとつのパターンでそれを担うのがモンスリーとなる。
また徹底的に悪役というのはレプカで、これはちょっと弱っちく、もっと凶悪にしてもよいのかも。
オーロという悪役も出ていて、これは降伏したような描写はなかったが最終回でなぜか、島の生活に馴染んでいた。
うまそうという豚が出てくる。動物にそういう名前をつけるセンスはいかにも、である。
29分パンパンに作っているからだろう、赤毛のアンを見たときよりも、たっぷりという感じがある。
ちなみに冒頭にアバンタイトルという、プロローグが流れる(毎回同じ。物語の前提を紹介するナレーションと映像)。1.5分くらい、その後オープニング曲、こちらも1.5分くらい。第1話だけオープニング曲が先に来る


赤毛のアン [アニメ]

放映データ
MX 2020/4/6~10/26 毎週月曜日19.00-20.00 1回2話ずつという形態で始まったが、編成の都合だろう、30分番組で1回1話のときもある(終盤はずっとそう)
オリジナルについては有名な作品なので膨大で詳細なデータがネットにあると思われるので簡略に。
1979/01/07~1979/12/30  30分・50話 フジテレビ系列「世界名作劇場」の第5作目

高畑勲や宮崎駿が関わっている作品とのことで録画
最終回まで録り終え一気見しようと見始めた。
現在4話めまで見終えた
見てるうちに感想、印象も変わるだろうが、その時々どう思ったかを記すために、ここまでの印象。
冗長、ちょっと退屈。感心するところもあるが、退屈のほうが勝っており、見るの止めようかなとも思うくらい、
79年というとどれくらいなのかな。アニメを映画的な演出でやってるというところに感心したが、もうそんなのは当たり前だった時代だろうか。
主人公のアンがなんだかうざったい、空想好きで空気読めない娘。なんでこんな人物造形にしたのだろうとは思うが、そういう娘が周囲を明るくしていき愛されるみたいな話なのだろう、こういう人物造形が必須なのかもしれない。
声の演技もオーバーだなあと思う
伏線というか、次につながる、もしくは前の場面を受けてのセリフで、わかりやすい、というかわざとらしいセリフが多い。子供向けということもあろう。

※第10章まで視聴
普段の一気見のペースでは進まない。単につまらないのだ。
このシリーズは「第○○話」でなく「第○○章」となっている
この時点での各回の感想はない。
さきほど該当項目のウィキを斜め読み。
「本作品は原作を忠実に、そのまま映像化した作品として高い評価を受けている」とあり、上記のアンのうざったい性格も多分その通りなのだろうな。まあそのうざったく気に障る性格が、空想力豊かな少女というキャラを作ってるともいえる
養母となるマリラもアンの味方側なのだろうけど、性格がきつく当たりもきつい。これも原作通りなのだろう。マリラとマシュウが兄妹で両者ともこの年齢まで独身という、いまの時代だと変に思われそう(同居している)だが、この時代だとどうなのだろう。で、そういう人だから多少エキセントリックなのだろうな。
「前作までと同様に、アニメオリジナルのエピソードも存在」とある。
このシリーズは全50話、1年間放送したものであるが、放映日程から回数が決められたのだろう。
ただ原作はあるから大雑把なストーリーはその通りにして、あとは各エピソードを取捨選択、足りなかったらオリジナルエピソードがあるから伸縮自在なのだろうな、と思っていたがまさにその通りのようだ。
30分で1話。民放の1時間ドラマと比べるとぎっしりしているような気がするが、まあ気のせいだろう。1時間ドラマといっても、実際の時間は54分とかそういう風になっており、さらにCMやらキャストクレジットの入る部分を削れば45分くらいだろう。
こちらは30分でCMが短いせいかぎっしり話がつまってるように感じる
実際にはオープニングとエンディングに歌がかかり、さらに間に入るCMが短いが本編終了後にもCMが入ってるし、番組放映時間と本編時間の割合は同じようなものなのだと思う。1時間ドラマが実際54分というその部分だけの違いだ

※10/29
11-13話まで
あまり進まなかった。11-12話は2話でひとつのエピソード。この作品は連続ドラマであり、徐々に時間が進行してはいるものの、明確に同じエピソードを2話使ってやるような形、つまり前回の切れ目で次がどうなるのやらと気になるのは初めてかな。最初の方は舞台設定の構築だからそうなっていたはずだが、それ以外では、ということだ。
で、この11-12話がひどい、というかアンのうざさ爆発という感じで、よくこんな女の子をヒロインにしたなあ、これで最後までもつのかという感じがした。まあ最後まで見て、じっくり考えてみると、そうかあなるほどと思わないでもないのだけど。
アンがマリラのブローチを盗む、というか盗んだと疑われる。これが11話で、その時点でもう孤児院へ戻せよという感じがする。そうはせずにしかしマリラはアンを罰として部屋に閉じ込めることになる。
12話ではアンは自分がやったと告白。きらめきの湖に落としてしまったという。うわあと思う。しかも全然反省せず、つまりなぜ告白したかといえば、行くはずだった日曜学校のピクニックへ行きたいがための告白。であるからあっけらからんと、じゃあピクニックに行かせてねなどとアンは言うのだが、もちろんそんなことをやったアンを許すはずがなく、今度はアンが逆切れ。
しかし、結局はマリラの勘違いが発覚し、ブローチが出てきた。じゃあ、あの告白はなに、となるが、ピクニックに行きたいがための嘘。
そう考えると、最初からアンはやってないと正しいことを言い、ピクニックに行きたいがための嘘を吐いたという程度の話で、そんなにひどいヒロイン像ではないはずなのだが、話の運びがうまかったのか、それともまずかったのか、アンがひどい女の子という風にこの2話の半分以上で描かれていたためか、強く印象付けられてしまった。
そしてこのあと、そのキャラクターに慣れたためかもしれないのだが、急速に、普通の女の子向けアニメヒロインを擁したアニメになっていく

※10/30
14-23まで
普通の女の子向けアニメヒロインと上に書いたが、例えばその典型、ダイアナの母親に誤解され、ダイアナとの仲を裂かれるが、ダイアナの妹の病気を献身的に看病し助けたことで誤解が解けるなどというエピソード(16話と18話)。このダイアナとの仲を裂かれるエピソードも上に書いたブローチの件と同じようにマリラのミスが元
21話の序盤が面白い。嫌いだった先生が去るころになり、泣くわけないわと友達たちとも話していたのに、別れの挨拶を先生が始めると一人の女の子が泣き出し、それにつられてみんなが泣き出すという話をたくみにアンが話す。
登場のところからそうであり、そこがアンの特徴であり、最初のころうざったいと感じさせた原因でもあるのだが、饒舌さ、妄想の広がり、文学的、そして演劇的素養、ここらへんがよく出ている。このアンの特徴が文学的に評価されてる由縁なのだろうなと思う
アンはこの後小説家になるというような話なのだろうな、きっと(まだ結末は知らない)。作者の自伝的小説、そこまでいかなくても自分の体験が元になっているとは聞いた

※10/31
24話に目立たないが面白いところ。屋根から落ちたアンに向ってダイアナ「一言でいいから口をきいてちょうだい、死んだのかどうか言ってちょうだい」
今日はこの回だけ

※11/1
25-33
24話でアンが怪我。25話、見舞いに来なくなったダイアナを心配しての回想場面多し。
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作画が安定している「世界名作劇場」シリーズにしては珍しく動画の乱れが存在しており、時々マリラがコマ送りで移動する、マシュウの髪・ヒゲの色が煩雑に変わるなどの事例がある(特に23話が顕著)
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とあり、この25話ではアンがダイアナに向けて手紙を書く場面、同じことを書いているという映像が二回流れる

※11/2
34-40

※11/3
41-50

見終えた。最後の方は快調だった。
感想としては上に書いたことの繰り返しになるが、11-12話まではアンのうざさにイライラしていたが、そこ以降なぜかそれを全く感じなくなった。キャラに慣れたからだろうか、作風を変えたようには見えないのだ。

集中できずに見ていたがそれは生活のせいだと思う。上に見るの止めようかなと思ったなどと書いたがその面白くなさも多少は影響してるかも。
回を追うごとに面白くなり、それはあの13話が分岐点。
ただ、自分の今見るべきものではないなという気はする。
回想場面が多い(やけに回想場面が多い回というのも存在している)がそれのほとんどを覚えていることからも、集中できないと言いながらもちゃんと見れてるなとも思う。

サブタイトルが結構優れていて、タイトルを見るとエピソードを思い出せるようになっている。一方「・」の使い方が・・・。
「マシュウ・カスバート驚く」、これはいい、「マシュウ・カスバート」っていう名前だ。
「アン・心の友と遊ぶ」、これはどうかなあ、「・」よりも「、」じゃなかろうか、と。もしくは半角の空白とか。「アン,
心の友と遊ぶ」「アン 心の友と遊ぶ」
ここらへん、規則が一定でなく、同じようなところで「・」(10章)「、」(17章)「半角の空白」(23章)と色々使われているし、8章では半角空けもない「アン日曜学校へ行く」というタイトル


アンが大人びる姿になるのは第37章「十五歳の春」だったはず。
ただその前も第1話のときと第36話のときで成長していたようにも感じた。絵柄は変わらず、セリフでそう見せていたのかもしれない。
そういう中で他のキャラクターも成長しているのだと思う。ダイアナの妹、ミニーが結構成長している姿が映る場面がある。ここら辺の場面ではもう超脇役でセリフはないが。
一方ダイアナ、これも成長した絵柄になってはいるのだろうが、服装が黄色で最初のころと同じように見え、それが幼児っぽく見える
マリラは最終回でなぜか急に声が衰えたものになる。これは劇中でも指摘(昔のそっけない口調を一瞬取り戻したように言った、とかなんとか)されているから意識的なものだろう。

これは取りあげるまでもないことだが。
カスバート家の使用人、ジェリー・ブート。この描き方はどうかなあ。ほとんどセリフらしいものもなく、登場したときもそれなりに説明はあったのだと思うが、印象に残らない。ながらも食卓を一緒に囲んでいたり、その際アップになったりで、なんか意味ありげで、話に絡まないなら邪魔という感じ。一切描かなくてもよさそうで、いや、カスバート家に使用人がいたということの描写は必要というなら、もうちょっと控えめでもよいかと。
まあ、結局は一回だけエピソードに絡んではくるのだけど(自分の食べようとしたりんごをアンに食べられてしまい、それは猫いらずの薬を塗ったりんごだと冗談を言い、真に受けたアンは遺書を書く)
終盤に出てくるカスバート家の使用人、マーチン。
この人の登場はジェリー・ブートよりいい。グリーンゲイブルズに戻ったアンにマリラが紹介する場面が入る。
そしてこの人、おれは悪人なのかと勘違い。だってこの登場の回(46話)の次の回にマシュウが倒れることになるのだが、チラチラと意味ありげにマーチンがアップ。そして次回のサブタイトルが「死と呼ばれる刈入れ人」。この刈入れ人というのはマーチンなのかと。ちなみに、それの前の回の次回予告ではナレーションで「死を呼ぶ刈入れ人」と言っている

そうそう、次回予告。内容を言ってからサブタイトルを言うという形式でずっと続いていたが、なぜか最終盤になると、サブタイトルの紹介をするだけになった。

テーマとしてはまずは少女の世界。大人にとって他愛のないことでも子供にとって大事なこと。
大人の真似事をして背伸びする年頃、ままごと遊びなんてのはその典型である。
さらにはアンの風変わりなキャラ。饒舌、空想。
時折翻訳したまんまのような回りくどい言い回しがあり、それが舞台劇のようでもあり、それが少女の間で交わされると大人になりたいと背伸びしている少女、そして彼女たちならでは世界観をよく表せていると思う
中盤以降では少女から大人になる女性の成長

マリラからの観点
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監督の高畑勲は原作に忠実な作りにした理由として、会話劇のおもしろさやアンやマリラなどの登場人物それぞれの立場に立つことで二重に楽しめる構造など、原作の良さを活かすためとしている
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こうあり、そこはおれも気づいた。少女向けのアニメにしてはマリラからの観点が多めに入っている。

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原作でアンがダイアナとの家の間に横たわる森に「お化けの森」と名づけるくだりのように、原作にありながらもアニメではカットされているエピソードもある
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「お化けの森」って終盤にセリフとしては出てきていた。こんな呼び方してたのあったっけと思ったので気付いたのだ。
最終回、ダイアナの家に向かうアンの場面のナレーション。
この直前に上記マリラの最終回の口調の場面がある。

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マシュウ・カスバート
第48話の墓標は1813-1881
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1881が1831に見える
最終回では1881となってるのが映ってる

自分の実感では4部構成。これは実際に4部構成になってるとかそういうことではなく、あくまでも自分の実感。
まずはうざいアンの時代。12章まで
13章以降、まったくうざいアンがなくなる少女時代のアン。
37章以降、キャラクターの絵柄が変わる青春時代のアン。
そしてマシュウの死を扱う46章以降

うざいアンとか書いたが、アンやこの作品の概要をわかった上でもう1回見たら、序盤もさほどではないのかな。
またマシュウとマリラ。風変わりな二人だと思うが、そういえば「アルプスの少女ハイジ」(これも高畑勲や宮崎駿が関わっている)のおじいさんも風変わりな人なのだと、先日見たNHKの「100分de名著」で知った。

※追記(11/4)
再度11-12話を早送り再生で視聴

まず2時に帰るという約束をアンが反故にし、2時半帰宅、さらにはそこからマシュウとおしゃべりして結局マリラに呼び戻され2時45分
注意されるとアンのうざさ爆発。ここがポイントになると思う
その後ブローチの件
ここでは視聴者に勘違いをさせる演出(アンがブローチを胸に付けたあとに、家から走り出る姿をマシュウが見守るという絵柄が入る)が入っているがこれは 劇作として普通だろう
その後は正直に話すアンと誤解をしたマリラの構図で続く。もちろん勝手にマリラの部屋に入ってブローチを触ったというアンの失態もあるにはあるが。

その後、アンが何かをやらかしたと誤解をさせる演出が多少ある。例えば12章、サブタイトルが「アン・告白する」、さらには冒頭のナレーション、白状をしないアン。
冒頭のアンのうざさがあるからこそアンが嘘の白状をした時にうざさが倍増。さらにそこでの嘘の白状は彼女得意の大げさな芝居がかった作り話が炸裂。そしてその嘘の告白についてアンはほとんど罪の意識がないと思われ、その証拠に白状したから当然ピクニック行ってもいいよねと、ここでもまたもやうざさが出てくる
しかし構図を見るとアンは正直に物を言い、マリラが誤解しているだけなのである
全てが解決した後にはアンの中では嘘の白状を軽い気持ちでして当然ピクニックにも行けると思っているだけのこととも思える