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夜は短し歩けよ乙女 [アニメ]

2017 日本
3/14 BS12 「日曜アニメ劇場」枠

監督
湯浅政明
声優
星野源
花澤香菜

わけがわからん
そもそもなんで見ようと思ったのか。これの元になってる吉井勇作詞の『ゴンドラの唄』の「いのち短し、恋せよ乙女」という文句を知っていて、多分それは黒澤明の『生きる』の中の志村喬で知ったのだろうから、昔から知ってるということでもないが、で、「いのち短し、恋せよ乙女」というアニメがあることも知り(実際には今回見た「夜は短し歩けよ乙女」なのだけど)、それを今回やるということで、「知ってる」という程度の興味だ。しかもよく見ると、文句そのままでなく、もじりになってることにようやく気付いた程度、つまりはさして興味はない。
見てる最中からわけわからんな、という思いになり、わけがわからないと頭がぼーっとして、ただ画面を眺めてるだけになってしまうが、後からウィキであらすじを見てみると、確かにそういうストーリーだったなとはおもうわけで、ということは着いていけなくなってたと思ったが、それなりに着いていけてたようであり、でもわけわからん。
原作は小説であり、上に書いた「あらすじ」は小説のものであり、今回見たアニメ作品ではそれらが一晩のうちに起きたことになっていて、なおさらわけがわからん。
この作品が小説の世界を忠実に表したものなのか、もしくは小説の世界を表すためにはこういう演出が必要だったのか、いや、そうではなくて、小説を原作にしてはいるが、別個の世界観の作品なのかわからないが、原作の方はどうなってるのか、どんな文体で書かれてるのか、多少興味を持った。っつってももう小説を読むという気力はまったくないのだけど(目が悪くなってしまい、本を読むなんという行為に入る気がまったくしない)。
そしてわけわからんが、解説サイトを探して解題しようとは思わない。それほどの作品だとも思えない。

そういえば昔小説をよく読んでいた時に、あまりにもわけがわからなくて、字面を追ってるだけになったような事があったが、それと似たようなことかもしれない。映画でそういう状態になるとただ絵面を追ってるだけになって、ふっと我に返り、巻き戻して見返したりするのだが。

そうそう、そういえばそれで似ているといえば例えばこの作品でいくつかの場面で、「そうきたか」と腑に落ちるところがあった。カタルシスと言えるかもしれない
それは例えばそれこそ「いのち短し、恋せよ乙女」の歌がかかる場面、そしてそれはもう終盤なのだが、そこからラストに向かうに連れて「そうきたか」とやっとこの作品がわかったような気がした場面があり、それはわけわからないなりに読み進めていた小説なんかでも時折そういうことがあった。

こういったわけのわからない作品は、言葉で書き記すことに無理がある。言葉、自分の使う言葉は自分でわけがわかってるわけで、わけがわかってる道具を使ってわけのわからない世界は書き記せない。どうしたって意味がわかって記述するわけだから。書けることはわけがわからないというだけ。
そういう意味でもう何も書くことはない ずいぶん長く書いてしまったが。
でもこういう作品の方が印象に残るってことはあるかも。

ウィキにある毎日新聞の評がよくまとまっている。そうか、こう書き記せばいいのかと思う。
--毎日新聞では、「見ればそれと分かる湯浅政明監督の絵は本作でも疾走感あふれ、変人ばかりのキャラクターともあいまって独特の世界観を形成している」「普通のアニメとはかけ離れた、シュールでポップな画調と動き。あの原作をよくぞこうした、とびっくり。怪作にして快作」と賞賛された--