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大奥Season2 [連ドラ]

シーズン2となっているが、話数カウントとしては前シリーズの最終回である第10話に続いての第11話から始まるという形になっている。

11話から13話まで視聴
前シリーズでは序盤でかなりな違和感があり、なんか文句をダラダラ書いてたように思うが、すでに1回見ていて世界観もわかっているからか、すんなり入れた。こちらの気を荒立たせるような描写がほとんどないように思え、すんなり入れた理由としてはこっちの理由の方が大きいかもしれない。
咥えて性愛の描写もほとんどない。だいぶ抑えた表現というか、赤面を根絶するために奔走する者たちの奔走とその上にある権力者たちの欲望というあたりに焦点が定まっている。
鈴木杏の平賀源内、ハイテンションキャラで喋りまくる
村雨辰剛の青沼、大奥に西洋人の血の入ったものがいるという違和感でドラマを引っ張る。
松下奈緒の田沼意次、この第13話までの幕府要人の中での主要登場人物で善玉といえよう
一方、仲間由紀恵の治済が政界の妖怪とでもいえる立ち振る舞い。
安達祐実の定信、第13話での田沼に頭を下げ人痘を自分の甥に接種させるがそのうちの一人が亡くなり田沼への怒りが爆発。
高田夏帆の家治、赤面への人痘作戦がうまくいき田沼をねぎらうも、自分が誰かに毒を盛られていたことを知り、田沼を重用したから自分が恨まれたと田沼を遠ざける
というこの二人の権力者のすさまじい感情の動きの場面は見ごたえあり
前シリーズに説明があったのかもしれないが、女子が蘭学を学ぶのが禁止というのはなぜだろう(13話でその法が解ける)。男女逆転の世界なら、女のほうが医者になるのでは?

*同日視聴
第14-15話
今シリーズは11-15話が医療編で16-21話が幕末編
11-13話が医療編の前編、14-15話は医療編の後編となり、前編で活躍した青沼、平賀源内、田沼意次の退場後が描かれる。ここではなんといっても仲間由紀恵の権力欲からくるおぞましい言動の演技だろう。それを笑みを絶やさずやるのでなお不気味。仲間由紀恵、たくさんは見てないというかほとんど作品を見たことないが、この人こういう役もやるのかとちょっとっびっくり。まあ見てはいないが有名な作品がたくさんあり、その中でいくつもトリッキーな役をやってるというのは知ってはいるが、残虐でグロテスクくな権力者というのはかなり本人とはかけ離れたキャラである
ただこの医療編で大体赤面は征服したようで、この後何をやるんだろう。15話の最後は次回のプロローグとなる作りであるからまあなんとなくは説明されており、以前の男性が稼ぎ女性が家を守るという態勢に馴染めない人たち、つまりは守旧派が蠢くというような内容のようで、これは面白くなるのかどうか、それで6話も作れるのかどうか。
まだ時間があるので、今日中にもう少し見れそうだ

*同日視聴
第16-17話
幕末編
16話では高嶋政伸登場(実際には15話の終盤、次回のプロローグとして登場)。今作品で度々登場するキャラであるおぞましい権力者。これが物語を引っ張っていくかと思いきや、この回で亡くなってしまう
17話では福士蒼汰が第1シーズンとは違う役で再登場(16話のラストで次回のプロローグとして登場していたが)。登場の際に前に演じた「「お万の方」のようだ」などと言われる
阿部正弘役は瀧内公美、17話では老けた役。今作品ではその生涯を描くという観点から若く生き生きとした姿の後、その後の老けた時代までが演じられるケースが多くあり、皆老け役がうまい印象、ここでもそうで、異形の物語で感情移入の難しそうな作品ながら、そしてわりと単純な構図(例えばここでは終生に渡る忠義の心)ながら、結構激しく感動してしまう
またこの第2シーズン、始まったところで、要所要所に有名俳優が配置されてるとは思ったものの、よくよく見ると主要登場人人物に名前の知らない俳優が配置。
まあ知名度というのは客観的観点でなく、俺が知ってるか知らないかってだけの話で、有名どころをおれが知らないだけということもあるかもしれないが、この幕末編に入ると主要どころもも知った名前が非常に少ない

*1222
18話
家定から家茂への代替わり、胤篤は天璋院となる。
家茂へ嫁ぐのが公家の出、和宮で、ここから公家が交わっての政争となっていきそう
8代将軍吉宗以降はそれなりに全員フィーチャーされた形で登場しているんだな。それ以前は端折られてるところもあるが。
19-21話
ここから、実際には前回の終盤次回へのプロローグとしての場面からの登場の岸井ゆきの和宮、登場時はとてもとっつきにくい憎らしいキャラだったが、段々心を開いていくという、家光のキャラにも似たような感じで物語を引っ張る。熱演。
この幕末編は赤面を制圧したのちの時代でもあり、あまり女が上に立つ理由のない社会なのだが、そこら辺のことはほとんど語られず、それゆえともいえるが、今作品の世界観に浸っていたので、なのに女が上にいるという矛盾を感じず見ていたのだが、最終回に突如、西郷隆盛のセリフで、女を将軍にしてきた徳川が日本をこんなに遅れた国にしてしまったとか言い出し、その世界観を思い出させ、また現代のコンプライアンスを挑発するような題材がぶっ込まれる。
どう処理するのかなあ、もしや放ったらかしか、などと思っていたが、これをその場面の最後で見事に処理し決着していたのは見事。
この場面に限らないが、色々な場面でうまく作られていたと感服。
このシーズン2では10代将軍・家治の治世から始まり、そこから各代について振られれているので継続した物語としても堪能。
11-13が10代将軍・家治、田沼の時代
14-15が11代将軍・家斉で、治済の院政
16-18が13代将軍・家定で、16にはその先代12代将軍・家慶がまだいる、16-17が老中阿部正弘の活躍
18-20が14代将軍・家茂で、21が15代将軍・慶喜。そうそう慶喜はやけに悪役に仕立てられている。
終盤に近付くにつれ、伏線というか、見進めて行く度に、これは前にどう扱われていたっけ、と気になってしまい、つまり、この人はどういう出自だっけ、この人とこの人の関係はどうだっけ、この小物は前にどうやって出てきたっけ、とかが気になり、前を見返したり、さらには、登場人物の本来の歴史上の役割、事件が起きた経緯なんかも気になり、、検索して調べたりで、大層見るのに時間がかかってしまった。
そして見返すと、前の場面を全然覚えておらず、その見返した場面が気になり、再度調べ始めたり・・・。思い切って最初から見返そうかなんて気にもなった。
まあもう1回見てもいいかなと思うくらいだ。多分見ないけどさ。でもしばらく残しておこうかな。
幕末編の瀧山(古川雄大)は幕末編全部の回に登場(福士蒼汰の胤篤も16話の終盤から出ているから、幕末編全部の回に登場している)。そして登場時と最後の場面とでさほど年齢を重ねていない様子、胤篤もそうだ。そう考えると13-15代の時代がさほど長くなかったことが伺える。まあ江戸時代について詳しくないのでそんなことも知らないのだ。
江戸城明け渡し以降の場面はエピローグといえると思うがそこが長い。まあそれなりの内容(明治4年でアメリカに向かう船の上の瀧山と胤篤)ではあるけど
字幕オンでの色付きは黄色が平賀源内、青が瀧山。長い時代を描いているのだから、医療編、幕末編でそれぞれ3人ずつ色付きにしてもよさそうなんだけど、1シリーズで3人とか決めてるのかもしれない。
頻繁に劇的な場面がある。原作の漫画を見ていないが、大きなコマでそれが描かれてるのだろうなと想像できる。

池井戸潤スペシャル 連続ドラマW株価暴落 [連ドラ]

10/24(火) 22:00 -
BS日テレ|65分|15倍録
[新]池井戸潤スペシャル連続ドラマW 株価暴落

11/21(火) 22:00 -
BS日テレ|65分|15倍録
池井戸潤スペシャル連続ドラマW 株価暴落[終]

11/28(火) 22:00 -
BS日テレ|65分|15倍録
池井戸潤スペシャル連続ドラマW 株価暴落[終]

普段テレビ番組チェックの際に、各チャンネルのドラマページをお気に入りに入れてあり、そこを開くくらいのことはするがほとんど見ていない。いくつかのチャンネルだけ、例えばBSフジの時代劇のところや、BS松竹東急(ここは興味深いものがよく放送されている)などをちゃんとチェックするのみだ
これに関してはまあその折に目に入ったので、見てみようと。
昨今よくこういったチャンネルの配信系ドラマ(筆頭はネット方リックスだが)が超話題であり、それらがどんなもんなのか見ていないのでわからないが、これを見る限り、さほど・・・である。悪くはないがびっくりするほど良いということもないというあたりだ。

いまのところ第2話まで視聴、本日中に全部見る予定、全5話
主演が織田裕二で、その敵役が髙嶋政伸、こちらが悪役、このふたりが看板であろう。最後のキャストクレジットを見て驚いたのはトメに石橋凌がきているが、その前のところに石黒賢
。織田と石黒といえば、先日見た振り返れば奴がいるである。おれは今回見ていて、石黒と気付かなかったのだが(彼はあまり特徴のない顔、特に年齢を経てからは)、このキャスティングはある程度振り返ればを意識したものだろう
今のところ石黒の方はさして存在感を見せていないが、いま、今作品についての記事を少し読んだところ、石黒は織田と組む方向の役のようだ。

*同日
予定通り最終回まで視聴
これまで見た日曜劇場池井戸作品は全10話くらいが標準。全5話、これくらいがちょうどよい感じもするし、物足りないような感じもするし
第4話で、爆発の犯人が渡辺いっけい演じる滝田だとわかる。そこまでは犬鳴黄だとばかり思ってた。もちろん裏で蠢く滝田や黄の友達の信夫の存在も認識してたし、池井戸作品なんだからそんな単純なわけないねと終わってみると思うのだが。
最終回、早々に滝田がつかまり、まだ時間はたっぷり。ここから、ちょっと思ってもみなかった展開、さほどそこまで存在感のなかった石橋凌演じる財前が、空売りで儲けるため滝田と繋がっていたという首謀者として出頭。ただこれはちょっとあやふやな動機というか、空売りで儲けるなんてどうでもよく、実際はこの一風堂は一度潰さないと再生できないという思いのほうが動機として勝ってるようである、なら空売り云々のあたりが弱くなり、それが作品のタイトルになってることへも違和感
半沢直樹第1シリーズの最終回のような、銀行の役員会での対決シーン。もうこれは伝統芸とでもいえそうな感じで、高嶋政伸が頑張って香川照之風をやってる。
ここで高嶋演じる二戸を支えてきた波田(飯田基祐)がいきなり裏切ってきたのも驚いた。が、これはこの手の作品の常道か、思い返すと、その証拠の品は焼いたと言いながら、まだ残ってるという場面を映してたりしてた。
この飯田基祐、日曜劇場池井戸作品でよく見る顔のような気がしたが、作品リストを見ても出てこない。「飯田基祐 似てる」と検索しようと入力したら、そこで「石丸幹二」お名前が出てきた。なるほど
10話あったら犯人が捕まるまでをもうちょっと綿密に描くだろう、さらに板東と黄の対峙する場面ももうちょっとあってもいいと思った。これは事件解決後にあり、そこで板東は再度銀行の態度を謝るのだが、こういった事件解決後の登場人物が滔々と語り合う場面が、全5話と短いシリーズのため、あまり重みがない。10話あり視聴者に思い入れがあるからこそ響くという場面なのだろう。




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振り返れば奴がいる [連ドラ]

オリジナル
1993年1月13日から3月24日まで毎週水曜日21:00 - 21:54に、フジテレビ系の「水曜劇場」枠
今回放映
TVK

2話まで視聴済
1話終盤まで違和感バリバリだったが、まあ最終的には主人公らについてはそういうキャラということなのだろうと受け入れ完了
というのは司馬だとか中川だとか悪ぶりすぎだろう、というあたりのことだ
それ以外にも看護婦たちが軽い調子なのも違和感、シリアス医療ドラマなら、若い男の先生に浮足立つ看護婦の描写とかいらないだろうし、そういうのを前面に出すならコメディに振り切るべきだし。まあこの作品は前者、シリアス系であろうが。
このあたりは当時のフジテレビドラマのノリという感じがして、見る気を失くす
主題歌がCHAGE&ASKAの大ヒット曲「YAH YAH YAH」なのも驚いた。とまあこのくらいに情報を入れずに見始めたというわけだ。
そもそもは、三谷幸喜の初ゴールデンタイム連ドラ作品ということを知って興味をもち、シナリオ変更要請に振り回されたということ、コメディが得意な三谷だが、ここではそういうことがわかっていないまま抜擢されたので、コメディは封印されてるということ、くらいしか知らずに見始めている
千堂あきほ、好きだったねえ。懐かしい名前だ。
2話で扱われる患者の件、会議がまったく無意味にされるほどの司馬の暴走とか、やり過ぎ感があり、しばしばちょっとついていけないなあと感じる
今後は司馬がこういうキャラであることの理由が過去の回想なんかを絡めて段々明らかになっていく展開かと予想。なぜこういう横暴な振る舞いが許されてるのか、中川との関わりはなんなのか、そこら辺が明らかになっていかないと、この言動に説明がつかない

*同日 3話
懲罰委員会チャチい。言動に問題はあるが、凄腕の外科医というキャラの司馬、ここでは単なる嘘つきで完全に悪人じゃねえかよ
患者連中がちょっとコメディ的演技。梶原善、小林隆と三谷関連の役者もそこに多い。
看護婦の浮かれた感じは受け付けないが、こちらはそこそこ受け入れられる。

*同日 4話
どこぞの社長さんの緊急オペの回
設定がいちいち極端。今やれば治るのに、大事な会議があるから外出させてくれだとか、その後戻ってからだと助かる見込みが著しく減るとか。
また手術室で司馬と石川が喧嘩。こういうのもいま制作されるドラマではやらないだろうと思う。ツッコミが殺到するだろうしね。

*同日 5話
ちょこちょこと特に峰の石川に対するものであるが恋心みたいのが描かれるが、この作品に恋愛要素は不要かと思われる。

*同日 6,7話
6話での中川が手術をやることになるも、途中で気分が悪くなり退席という件。今作品への違和感の正体のひとつ。中川が手術をやれるような状態にないらしく、それを軽い調子でやることを決断という博打的行動。こういうのを病院という舞台でやることへの嫌悪。レストランだとかそんな舞台で、もう包丁を握れない料理人が自分への挑戦のために無理に包丁を握るとかなら、失敗しても大きな事態にはならんけど、それを病院でやってることに嫌悪感が湧く
6話の最後で石川が癌だと示唆され、7話では当然そこがメイン。この展開は痺れる。そして7話は大きな転換点でもあり、また内容的にも盛沢山。出来は良い
主人公のライバル二人がこんな風な事態を受け、どう変化していくのか、どういう方向に行くにせよ、この展開は素晴らしいと思う。白い巨塔もこんな風なんだっけ。
峰の石川への恋心について不満を前に述べたが、ここでこの設定がうまく効いている
中川と司馬の関係、中川が司馬に頭が上がらない理由が回想場面で明らかになる。
笹岡のクラリネット騒動。石川の癌の件と比べてちょっと軽くて悪ふざけという気もするが、三谷らしい騒動でもあり、そしてこの件もこの回のラストでうまく生かされてるし、そもそもこのエピソードがこの回でなければならない。末期癌患者の生きがいであり、それと石川の対比だ。
石川が再検査の待合室で隣合った北別府による、あなた癌なんじゃない攻勢はちょっとしつこすぎである。

*1129
8,9話
素晴らしい出来。ここまでイマイチ乗り切れないでいたが、この回は面白かった
8話
司馬と中川が逆転、司馬が牙をむき中川失脚。
それでもそのことを知らない石川は中川に相談に行くという滑稽さ
まだ結末が予想できない、司馬はどうなっていくのか、NRDは何のための購入か、おれは石川を助けるためかと思っているのだが
9話
中川が司馬を裏切る展開の購入委員会。ここら辺を見て、おれは詳細は覚えていないのだが、ああ白い巨塔ってこんな匂いの作品だったな、と。院内政治、形成の良かったほうが裏切りのため窮地に追い込まれ、みたいなところ。
結末で平賀(西村雅彦)に全部罪が被せられるあたりは、そんな簡単に司馬の疑惑は晴れないだろう、安直だなと思ったが、この軽さは三谷らしさも感じる(西村雅彦が惨めな役というのも三谷作品ではお馴染み)。で、それが実は理事長にも金が渡っててというところで全部晴れる
いつの間にか石川の目的が司馬を倒すことのみになっていくさまの描き方が上手で、これも白い巨塔に似たような展開があったように思う
*同日 10、11話
10話では笹岡(坂本あきら)が死に、その死の状況から司馬が病院を追われる結果になるというエピソードで、この笹岡が死ぬ場面が素晴らしい。この死の場面の前(9話)に笹岡と司馬の会話の場面があり、笹岡が延命措置をせず死ぬことを望んでいることが描かれ(長引くようならスパッとやっちゃってくれないかな)ており、この死の場面ではそれを補強する司馬とのやり取りがある。これにより視聴者には司馬が笹岡の望むことをやったということがわかるのだが、周囲の人間にはそれがわからず、さらに司馬を攻撃しようとしていた石川にそこを突かれるという形
11話最終回
病院を追われることになった、そして石川を憎んでいるはずの司馬が石川の手術を担当するという展開、まあそうなるだろうと予想はしていたが、どうしたって不自然になりそうだと思っていたが、ここは見事。まったく不自然さを感じない。
ただ、医学上の興味から手術を志願した司馬だが、石川が司馬の執刀と聞いてサインを拒んでいると聞いて、じゃあ止めると言い出すのは変に思える。あれだけ自らの志願だったのに
そして石川のほうは峰の説得で結構あっさりサインしており、時間を取る割に深みがない感じ。
司馬が刺されるという結末は、まあ急にシナリオ変更になったというエピソードを知ってるだけに取って付けた感があり、太陽にほえろのマカロニ(ショーケン)や島さん(小野寺昭)の殉職シーン風、つまりストーリーが終わった後に、あっけなく別件で死ぬことになるという、が、刺したのは平賀であり、まあ一応司馬に恨みがあり、それがストーリーに大いに盛り込まれてはいる。ただまあこういう最後にするなら、そこまでのストーリーも大幅に変えたかったであろうという、やっぱり付けたし感が大いにある。
この結末変更のエピソードには主演の織田が関わっており、そのことや、例えば物真似の山本高広に公認を出してないこととか見る限り「やっかいな俳優」というイメージ、世間が見ている自分と自己評価に差があるようにも思え、まあそのギャップが滑稽味なのだが、ただその一方ヒット作をたくさん出しているというのも事実、今回も過剰なほどの格好つけがある一方、ところどころでさすがの表情を見せている

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木下恵介アワー「兄弟」 [連ドラ]

10/11(水) 17:00 -
BS松竹東急|30分|12倍録
[新]木下恵介アワ―「兄弟」 #1[字]
11/15(水) 17:00 -
BS松竹東急|30分|12倍録
木下恵介アワ―「兄弟」 #26[終][字]
全26話
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兄弟』(きょうだい)は、TBS系列の「木下恵介アワー」(当時:日産自動車一社提供)の第6弾で、1969年 - 1970年に放送されたテレビドラマ
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2話まで視聴
兄弟、その恋の相手、そして家族のドラマ。兄弟が主役かと思いきやトップクレジットは兄弟の両親である北村和夫と津島恵子が並記、その次が兄弟の津坂匡章とあおい輝彦、その次が兄弟の恋の相手である秋山ゆりと沢田雅美
字幕オンでの色付きは黄色が津坂で、緑があおい、この二人のみ
津坂、あおい、沢田は常連。津坂は前回見たおやじ太鼓のときとは打って変わって苦悩する若者といった感じで明るいお調子者といった面はまったくない。いっぽうあおいは、ほぼ同じようなキャラ、末っ子で楽天的でお調子者。同じに見えてしまうのは演出の要請どうりなのか、芸の幅が狭いのか。
沢田はあの口調があるだけで、同じに見えてしまうが、ちょっと前とは違ったキャラなのかもしれない
この木下恵介アワーを見るたびに思うが、価値観の現代との相違。
亭主関白、女性蔑視。公衆電話など第1話でてんこ盛りだ。冒頭では雨で傘がなくて、順二が見知らぬ女性(順二の恋の相手となる京子)に笠に入れてもらうというところから始まる。」こんなのも現代じゃほとんど考えられん。
脚本は全部かどうかはわからないが今のロコと山田太一

*追記同日視聴第6話まで
特筆すべきことはないが。
4話で菅井きん登場、京子の女子寮の管理人の千代役
6話では両親が出ないので、主役二人がトップクレジット

*追記同日視聴第9話まで
9話はナレーターのクレジットがなく、案の定ナレーションが入らない回。でもこの番組はナレーションがかなり特徴的で、ナレーションがない回というのがあるのが意外。
ここまで見て。
男たちが異常。みな異常な行動をとる。まあ今の目から見て、であるが。
修太郎の亭主関白ぶりが異常で、9話では京子からの電話を勝手に切ったりして(6話)。
静男は比較的まともだったが、激情に駆られ、紀子に失礼すぎる電話をした件がある
順二は京子にすぐ調子の乗ると言われてるのに、それでも治らずすぐ調子に乗る。9話では、夜に京子の寮へ押しかけ千代を脅すようなことをするし。
一方女性陣。
主人公と恋仲になっていく二人はどちらも出自が興味深い。紀子は高根の花のお嬢様風に登場したが、大工の父と二人暮らしで、家では結構さばけた口調で庶民的。従業員の信吾に惚れられている。そうそう信吾のほうはちょっと異常な言動っぽく見えるなあ
京子のほうは、田舎から集団就職で出てきて、デパートの食堂のウエイトレス。
母親の厚子は内職を家族から止めろと言われても決して止めない。亭主の世話をして子供の成長を見守り、それはそれで充実感があるけど、それだけじゃ虚しくて、才能があるのなら何かやりたいけど、才能もないので、内職をやってるという設定。
森本辰造(紀子の父):菅原謙次がトメ(ナレーターの後)の位置でのクレジット。

*1125
第10-12話
年末年始の情景、このシリーズは1969年 - 1970年に放送されており、多分放映日が年末年始だったのだろう
11話では仕事納めの日、第12話は新年の様子
11話で京子が風邪をひき、千代の「過ぎる」おせっかい炸裂、順二がやっているアルバイト、配送の仕事だが、その回ってる地域を調べて、京子の風邪のことを知らせ、寮へ連れてくる
12話ではまず京子が実家へ帰省、京子の父親役は浜田寅彦
さらに、紀子の父親辰造が蒲田の得意先山村家へ顔を出すという場面で、旦那に対する大工の棟梁といった塩梅の職人口調、それまでの回では京子との場面が多かったため、そういったあからさまな口調はなかった。時代劇や落語でよく見るような雰囲気で、この時代にもそういう傾向があったことが偲ばれる
またこの場面で辰造の初恋の相手らしき人(山村澄子(辰造の得意先の娘、未亡人):南風洋子)と対面
この山村の旦那、見たことある顔なんだがなあ
*同日
第13、14話
13話
厚子が外でのアルバイト、ミシンの販売、を始める
智恵子が京子のデートを順二に断りに来る、これが次回のエピソードに繋がる
京子とのデートは実現するが、大学生が田舎から出てきたウェートレスに本気になるわけがないと自分を卑下し僻み根性爆発
紀子が静男と静男との秘密の場所である例のランチの食堂に同僚の雅子がつけてきて、同席することになる。そこへ静男もやってきて、とっさの判断で紀子が同僚がきていてまずい状態ということを静男にわからせるためのサインを出す。この場面はとても良い。まだ恋人ではないものの、秘密の二人ということが高まってくる場面だ。ただ、すでに静男と紀子というのは社内で噂になっており(8話)、雅子が離れた席に座った静男に気付いた際、雅子がその噂を知ってるなら察するはず。これは10話でも似たようなことがあり、会社を出たあたりで静男に声をかけた女性のことを静男の同僚で隣の席の滝口が、「誰だい?」などと言っており、が、しかし、静男と紀子の噂話を静男に聞かせたのも滝口であり、ここも察しそうな場面である
厚子の外での仕事に修太郎は激怒、が、厚子も心の内を話し、修太郎はその仕事はやったらいい、気持ちはわかる、だけど自分はこれからも怒るぞ、人間とは矛盾したものだ、などと言う。この場面はいい
夫婦はなんとなく和解、厚子の外での仕事も許可となる。
谷よしのがクレジットにある。多分厚子がミシン販売で声を掛ける女性、谷よしのらしくほんのチョイ役、これくらいの出演ならクレジットなしにでもされそうだけど、それでもクレジットされるということは、セリフがあれば全員クレジットされてるのか、それとももうこのころそれなりに有名だったか。
14話
順二は「わけは言えない」問答、智恵子が順二に惚れたという告白がその結末、これは意外で面白かった。
信吾は森本家で留守番、静男からの電話を受け、紀子の相手だと気付く。
*同日
第15話
見ごたえあり。前回を踏まえての順二、京子、そして智恵子での対決(三崎も同席)と、静男と信吾の対決。特に後者、信吾が静男を過大評価しすぎ、そして職人らしい単純な思考。
*同日
第16話
静男は紀子に告白、そしてそのままプロポーズ。家に帰った紀子が着物姿。この頃普段着としての着物があったのだと偲ばれる。
智恵子が順二を訪ねてくる。自分は引くから京子と仲良くして、などと言いながら、私に冷たくしたことを後悔すると思うわなどと支離滅裂なことを言い出し、ちょっと喜劇調ですらある珍妙なやり取り、さらにそこへ京子がやってきて、厚子や静男の前で口論。
修太郎は営業の方針で揉めて徹夜
*同日
第17話
修太郎の様子が変だということで厚子は会社の人に事情を聞きに行き、修太郎が左遷、総務部へ異動、部長待遇だが部長は他におり閑職ということがわかり、それを子供たちにも話す。修太郎にはこのこと(これを知ってるということ)は内緒にしてとにかく元気づけてあげよう、ということになる

*1126
第18話
京子と智恵子はいつの間にか順二を取り合う単なるライバルのようなバチバチの関係に
修太郎は友人の安藤と飲んでいるときに家族に優しされて左遷の件が知れてると悟っていることを話す。
この安藤、見たことある顔なんだがなあ
*同日
第19,20話
19
厚子の発案で修太郎と厚子が横浜でデート、厚子から切り出す形で左遷の件
20
静男が下丸子の紀子の家を訪問
*同日
第21-23話
21
京子が千代の策略で志沢家訪問
22
紀子が志沢家訪問、結婚承諾
沢田雅美が出ない、今シリーズ初
23
順二、三崎、京子、智恵子の四人でデート。遠まわしに順二が智恵子に断りを入れ、京子とのカップル成立を認めてもらうという作戦のようだが、地獄絵図。しかし、智恵子も吹っ切れたのか、順二に諦めもつき、最終的になごやかに。
辰造が信吾に紀子の結婚を伝える
北村和夫が出ないで、津島恵子が出る、通常はこの二人並記でトップクレジットだが、今回は津島と津坂の並記でその後もそれに準じて繰り上がっていくという風に順番が狂う
*同日
第24,25話
24
紀子、信吾と箱根へドライブ
修太郎、会社を辞め、安藤の会社を手伝うことを家族に話す
25
4月、静男は新入社員教育担当
修太郎は安藤の会社で大きな仕事を担当することになる。通常のドラマだと失敗フラグという感じなのだが、もう最終回も近く、バッドエンドにはならないだろうから、失敗ということもないだろう
京子の母親が志沢家を突如訪問、 京子を嫁にしてくれるという勘違いから、そうでないと知り、それは無責任だという極論で口論となる
*同日
第26話(最終回)
静男と紀子、両家の親が対面。
志沢家の面々が森本の家を訪ねるのだが、その前の一コマ
静男と修太郎の会話、静男、「結婚したらいよいよよくある人生から抜けられなくなるような気がする」修太郎「家庭だけがいわば社会に対して作った砦だと思うんだよ。信じあえる家庭を作っていた人間は、社会の押し付けてくる評価を跳ね返すもう一つの社会を持ってるということだ、家庭というものは作る人間にとっては世間と真っ向から立ち向かえるほど強いもんだと思うな」
静男のこの平凡な人生についての疑問はこれまで再三控えめながら出ていたもの
順二と京子については前回で終わりとうことだろう、ほとんど出演なし。順二は森本の家には同行しておらず、暇ということで、寮を訪れ千代とトランプ(京子は日曜日ということで仕事が忙しい)、という程度の出番、京子のほうはその時間帯の働いてる様子が少し映り、最後に再度レギュラー出演者の映像が主題歌バックで流れるというところでの登場。最終回にしてはバランスが悪い感じはする
京子の父親が志沢家両親と対面すると、やっぱり達者な職人口調、髪型がサラリーマン風な横分け。角刈りとか大工風にしてもよさそうだが、それじゃわざとらしすぎるのかな。

主題歌
ジャン・グラーズというグループが担当している。第1話では「ジャン・グラーズ」の表記だったが、最終回では「ジャン グラーズ」となっていた(中黒が取れ半角空白)
典型的なフォークコーラスの楽曲

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コタツがない家 [連ドラ]

今期の日テレの連ドラ、水曜日放映
連ドラは基本的に全話放映終了してから一気見であり、これはまだ全話終了していないが事情があって見始めた。そのことについては後記
この番組はなんで録画を始めたんだっけなあ。すっかり連ドラに興味を失くしており、連ドラが始まる時期にどんなのがあるかラインナップの確認もしてはいない。
単に、この番組のことをなにかで知って興味を持ったという程度のことだろう。
日テレで小池栄子。「俺の話は長い」が好きだった、それと同じ匂いがしたというあたりである。今になってようやくウィキを見てみたが、やっぱビンゴ、脚本が同じであり、演出にも同じ名前がある。
これが始まったころだったか、つべで、このドラマの記者会見の動画というのを見かけ、少しだけ見たのだが、マシンガンズ西堀が司会をしており、「俺の話は長い」にも出てたなと、というかおれはマシンガンズをこれで知ったのだったと思うが、ますます共通点が増えてきたというふうに感じた
見始めてみて、スロースタートというか、第1話ではあまり面白くもなく引っ掛かるところもない。
もしかして放映曜日が確か俺の話は土曜日だったはずで、こっちは胃が産曜日だから枠が違っているから、全然違う系統の制作陣かなともチラリと思ったのだが、同じだったのでよかった。まあコメディというところは同じだし、所々にそれらしい感じもあった。
でも連ドラ事態に興味を失くしてるというのは確かにあって、見ていてもちっとも面白くはない。まあ見るのがしんどいというほどではないけどね。
家族の物語で、家族4人が揃って口論を始めるとゴングが鳴るという演出があり、第2話ではそれが2回あった。第2話の終盤でゴングが鳴ったあたりから、ようやくテンポがつかめてきたというかノリがわかってきて、楽しくなってきた。
今のところ第2話まで視聴のところで記述。

*11/13
第3,4話視聴
第3話でマシンガンズ西堀登場
先に書いたゴングの場面、この回終盤では家族勢揃いではなく、3人のところでも出てくる
息子に魅力がないのが「俺の話は長い」との違いか。あちらは、それなりに魅力的なキャラクターで、だからこそ第1話から面白く感じたが、こちらは、単に嫌なやつである。まあ下記の「脱線余談」に書いてることともダブるが息子に意見なんぞされるとそれだけでイライラする、というか、意見なんていう資格あるのかねえ
さて、だいぶノれてきて、続きが見たいのだが・・・。放映途中で見だすとこういうことになるんだよなあ

*11/18(土)
第5話視聴
内容に特に感想はない。
この後放映されるたびに見るかどうしようかなどと考えていたのだが、まあちょっと間を置いても、内容を忘れてしまっていてついていけないということはなさそう。毎回放映されるたびに見ていこうか、むしろ溜めるまでに間が空きすぎて忘れる度合いが大きそう

*11/22(水)
第6話視聴、放映日当日
ゴング場面、今回はレギュラー以外の人がいるときに鳴るという新しいパターン、あまりこだわりがなく、口論が始まるところで鳴るということか
1回目は謙作(悠作の弟)がいる場面での謙作と悠作の口論
2回目は清美(万里江の母)と土門(悠作の担当編集)がいる場面、この二人はレギュラーではあるか。で清美と万里江の口論がメインで部外者の土門は早々に退散している。
この回では師島が志織に告白、好意を持ってるというのは前からわかっていたので唐突ではなかったし、口数が少なくなっての夜の場面でいかにも告白のシチュエーションなのに、なぜか意外に思えた。そしてそれに対する答えも意外感があった。好きです、(しばらく間があり)ごめんなさい、に、何で謝るんですか、というあたりだ。師島を演じているのがオクラホマという芸人コンビの片割れで、三枚目キャラなのでこれは成就しないだろうなと思ってたら、案の定その後の展開で、志織の恋人康彦が志織の元へ戻ってきて同棲復活、演じる中川大輔というのがいい男で、これも多分志織は元の鞘だろうなと思った理由
オクラホマはおにぎりあたためますかでコーナーを持ってたコンビ、見ている当時そこだけ飛ばしてたけど。
こじんまりした作品だなと思う。俳優のギャラはどうなのかわからないので別にして、あまり金のかかってない感じ、ほとんど同じメンバーの入れ替わりでの少人数シチュエーションコメディの連続というか。
そしてレギュラー以外、つまりゲストがとても少ない。ここでいうレギュラーとは、OPで顔入りで紹介される人のこと。で、マシンガンズ西堀が出てるが、そういやクレジットあったかな、と思って探した。目立たないわけだ、OPで顔入りレギュラーの紹介の後に、一枚画像で、数名それ以外のキャストのクレジットがあるが、スタッフクレジットかと思って見逃していた。それくらいさりげない感じなのだ。
一方レギュラーは毎回出すと決めているのか、野々村友紀子演じる霞田和恵、キッチンカーの店主、これはいつでも挿入可能だから安直に毎回出てくる。
東京03の豊本明長が深堀謙作役
登場で彼かなと思ったが、じっくり見てみるとちょっと違う。違う人かなと思ってたのだが、見終えてウィキを見て、やっぱりそうだったか、と。こういうことよくある。似ていると思ったけど、自分の知ってるイメージとちょっと異なっていて・・・、ということ。まあそりゃそうだ、ドラマ内の役作りとか、久々に見たとかそんなあたりの理由だろう。
キャストクレジットでは上にも書いたようなゲスト枠のクレジットはあまり目立たないところなので見落としがちである。

*11/30
第7話視聴
ゴングの件。今回は初めてだったと思うが、言い合いが終わった後に試合終了のゴングというのもあった
悠作が康彦に会う場面が最高の面白い。悠作に会えば結婚観が変わるという期待からこの会合が開かれたのだが、悠作は結婚についてネガティブに言うばかり。が、康彦が結婚に辿り着けば報酬がもらえることに気付き、話す内容を変える
ラストでは静かなトーンでのいきなりの達男から悠作への離婚して上げてほしいという懇願

*12/6
週に一回見るというペースも大分慣れてきたようで、今回も放映を楽しみにして即日視聴
ゲストクレジットが目立たず見にくいということを前に書いたが、今回はびっくり、安田顕が登場するも、クレジットなし、なしだtったと思う、見逃したかなあ。
まあとにかく。名前が思い出せず、なんて名前だった毛なあ、でも今回もOPのときにゲストクレジットを見て、その際に、今回は小堺一機というビッグネームがゲストでもあり、その名前を確認した際に、ほかに引っかかるような名前はなかったはずで。見ている間も名前が思い出せず、見逃していたかもと、再度OPのクレジットを見直したりもした。見終えてウィキで確認。そうだ安田顕だ。「俺の話は長い」には小池栄子の旦那役だったな。まあとにかく多分ノンクレジット
そしてもうひとつクレジットのとことで。
レギュラーの土門幸平(北村一輝)が今回は出演しないことが理由つき(悠作とケンカ中のためお休み)でクレジット。こういうのは珍しい。レギュラーに関してはOP映像として顔画像つきで表示されてるから直せないのではあるけど、別に出ていなくたってそんなことまでクレジットすることはないのだが。

*1214視聴
12/13放映の第9話
「ザ・カセットテープ・ミュージック シーズン2.1」のところにも書いたが、これの録画中にレコーダーがエラーが出て再起動してしまい、5分弱ほど録画が途切れた。この番組ではこういうことが二度目だ。
まあ取っておきたいほどのものでないからいいけどさ。その部分はTVerで視聴した。
次回が最終回、今回は大詰めで、悠作が離婚の過程をマンガに描きたいとのことで離婚を切り出し、という騒動。終盤では例のゴング場面では、リングアナがメインイベントの二人を呼び込むなんという映像つきの豪勢なもので、今シリーズ最大のゴング場面となっているようだ。なのでその騒動もなんとかおさまり、次回は余韻という感じで終わっていくものと思われる

*1220
最終回
頭の部分はリアタイ。といっても待ち焦がれてたとかいうわけではなく、水戸黄門の録画を見ていたのだが、HDの残量が少なく、2番組同時録画を予約していたため、再生不能になってしまい、だが、2番組同時録画は、その後すぐ、10分ほどで、終わる予定だったから、その間の10分間程度、これを見ていたというだけだ。そのまま続けて見てもよかったが、民放ドラマをリアタイで見るとCMがうざったいので、先ほど見ていた水戸黄門に戻して視聴。その後、こちらを、という形。
志織の家にこたつがあるのを見て、そういやこの作品にあるコタツってこれまで出てこなかったなと思う。志織の家の場面で出ていたかもしれない、そういやあったような気がする。
で、そのコタツ。この回ではセリフとしてもついに何度も出てくる。セリフとして出てくるのは初だと思うが。
まず悠作のちょっと前まで書いていた離婚に至る話の漫画のタイトルがまさに「コタツがない家」であり、そのタイトルの意味なんかも雑談の中で話されている。
さらに、達男が購入した室内サウナに家族が呆れるという場面で、やはり悠作、コタツがないのにサウナ、とげらげら笑いだし、それに付き合って笑いだした万里江だったが、いつしか本当におかしくなって、二人で笑い合うという場面。
そして最後はその書くのを止めたと言っていた漫画が完成し、「コタツがない家」の原稿、さらにラストは本屋に並ぶ「コタツがない家」と、まあうまい終わり方。
ちなみにラスト。もう一場面あってもいいような感じのところで終わってしまい、なんだかあっけない。でも思い起こすと、まあ全部の人物について決着はついてるかなとは思う
なんか最後は家族、さらにはレギュラー陣の多くが登場しての場面、またくだらないことで言い合いになるような場面で終わりそうと思ったのかもしれない。
まあまあ充実した面白い作品ではあった。「俺の話は長い」はインパクトがあったが、こっちはほのぼのとじんわり面白いという感じか

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木下恵介アワー「おやじ太鼓」 [連ドラ]

07/12(水) 17:00 - BS松竹東急|30分|12倍録
[新]木下恵介アワ―「おやじ太鼓」 #1[字]
10/10(火) 17:00 - BS松竹東急|30分|12倍録
木下恵介アワ―「おやじ太鼓」 #65[終][字]

この枠の木下恵介アワーシリーズを見るのはこれで3作目
これは続編も作られており、それも合わせての放映で、全65話(第一部39回、第二部26回の全65話)
まあ大して面白くもないし、2作見て作品傾向、出来もわかってるのだから見なくてもいいのだけど。1回が短くて、放映回数の多い作品という観点ならそれならNHKの朝の連ドラを、こういったBS局やそれこそ本家NHKでも現在放映中のもの以外にも過去の作品の再放送もやっており、そっちのほうが見る価値がありそう、などと思いながらも、最終回まで録画を終えたので、視聴開始。
今のところ第1話まで。主要登場人物、ある一家族の話のようで、その家族紹介という感じの始まり方。お馴染みのあおい輝彦(主題歌もまたこの人)、沢田雅美が登場。沢田雅美がとにかくよい。この人を見るだけでも価値がある。
またお馴染みといえば竹脇無我、菅井きんも登場。この二人は家族ではなく、竹脇は長女の婚約者、結婚の申し込みをしたという状況であり、これが今後のストーリーの中で大きな役割を果たすのであろう、すったもんだのあげく結婚に漕ぎつけるという感じだろうな。菅井のほうは女中
大家族らしく、子供が男4人、女3人、そして両親という陣容。終盤に家族での中華料理屋での食事会という場へ主役、その家庭の父親、いつも怒ってばかりという人物、が真打登場という形で怒鳴り散らしながら登場(その後に遅刻で長男が登場してるけど)。
自分の知ってる役者でいうと、津坂匡章が三男。主人公である夫婦は両方高名な役者、進藤英太郎と風見章子、この二人が字幕オンで色付き
まあまあまだ始まったばかりなので面白さもつまらなさもわからなく、どうなることやらという感じ、興味は続いている
主題歌が個性的なのだが、第1話の冒頭でその歌があおい輝彦(四男)でなく作品内で登場人物、次男がピアノ伴奏で歌っており、それはまだ作成途中という設定になっている。この曲が父親のことを歌っており、それが主題歌にもなっているという構図。カミナリ親父と称されててそのキャラを明確にしている。
そういや、モノクロである。この局の番組紹介欄で見ていたのは確かカラーだったはず、と不思議に思ったが、そうか、シーズン2から変わるのかなと予想、が、録画してあるやつを調べたら、シーズン1の途中からカラー化されていた。

※同日視聴
第3話まで
第3話で、高円寺のおばさんというのが登場してきて、そこでこの家庭の様子がよくわかってくる。このおばさんというのは、愛子がねえさんと呼んでいて、字幕オンでは義姉さんとなっている。亀次郎の姉かなと思ったが、亀次郎には気を使いまくりで怒鳴られて縮み上がっている。となると愛子の兄の嫁か。そのおばさんの亭主というのは亡くなっており、その際に亀次郎がアパートを建ててやって、アパート経営しているとかなんとかで頭が上がらないようだ。このおばさんの性格が面白い。家にやってくると女中に小言を言いまくり、そして、色々なものをがめつく食べていくという性格のようで、なぜそんなに偉そうなのがよくわからない。この回ではうなぎを肝吸いつきで頼んでいる。
そしてこの家がとても裕福であることが描かれている。それは愛子とおばさんの会話でもそうだし、子供たちもうなぎを肝吸いつきで頼んでおり、それを贅沢ともなんとも感じていないように描かれている。
会話で話が進んでいくのだが、脚本も演技も巧みだ。

※同日 第4話
この回では子供たちが連続して母親に金をせびりに来るという展開、長女が結婚を申し込まれているという話を持ち出し、一戸建てかマンション買ってと言い出す展開で不愉快。前回のうなぎくらいならいいのだけど。
父親が誕生日、第1話の冒頭で制作中とされていたあの主題歌をみんなで合唱してお披露目するところで終わる
父親を三男の三郎が「あの人」呼ばわりすると、愛子が「あの人は敬四郎(四男)だけにしてちょうだい」、と。なにかそう呼んでもいいような事情が、つまり敬四郎には出生の秘密でもありそう(※最後までなにもなかった)だが、そんなことは全然なく、単に、あの人呼ばわりなんてするのは一人だけにしてほしいというだけのことかもしれない。

※同日 第5話
高円寺のおばさん正子が秋子の縁談を持って来たところへ、第1話以来の登場である竹脇無我の神尾が秋子の見舞いにやってきて鉢合わせ、正子は偵察のため、神尾と対面しやり合う。ここが面白い。第3話に続いて、高円寺のおばさんがキーマン。
その正子は亀次郎の兄の嫁だとわかる。亀次郎が正子とも完全に上下関係で上であるから、「ねえさん」と呼ばないから、わかりづらいだけだった

※同日 第6,7話
6話では、次男洋二の足の負傷が空襲によるものだとわかる。
7話では、神尾が途中喫茶店兼ケーキ屋で正子と出会い、一緒に鶴家を来訪したことで騒動になる

※同日 第8話
ひなまつり、そして武男の誕生日で31歳。ちなみに洋二、秋子と順に1年おきに生まれており、多分ここまでは戦前生まれ。
第1話で1月から始まっており、また豆まきの行事が描かれ、亀次郎の誕生日は立春となっていた。立春というのは日が毎年同じというわけではないがはずだが。
で、亀次郎は61になっている(第4話)。
確か愛子は5歳差、結婚は昭和11年で、武男が12年生まれだったはず、と一応メモ書き
トシという新たな主要登場人物と思われる女性が登場、幸子の友人で、洋二と仲良くなりそうな予兆。

※同日 第10話まで
9、10話と敬四郎の大学受験の話題。
ここでメモ書き補足
三郎は昭和21年に愛子の腹の中にいたという話が出てきており、21年か22年生まれ。そしてこの2回で再三出てくる話題だが、大学受験に二度失敗している。
これはもっと前の回にあったのだが、三郎と幸子は同じ大学で、多分同学年、三郎が留年するとと追い越してしまうことになるというような話があった。ということは2歳差で、同時に入学か、いや、幸子が後から入ったというようなことを言ってたから3歳差で三郎が一年留年したか。
幸子は社会運動、つまりはデモなどへの参加に熱心
かおるは高校受験に成功し、4月から高校生という年齢。
第9話では、夕食で夫婦とかおりだけという状況、子供たちはなにをやってるのかと思えば、武男、洋二と秋子は一緒に、そして三郎が親父の会社の経費と言いながら、盛大な会食という対比の面白さ。洋二と秋子は秋子の出版社部長との会食で、洋二の絵本出版を相談(出版は断られているようだが)している。
さらに敬四郎はスキーに出かけ、夜はダンス、バンドで歌ったり青春を謳歌
敬四郎の受験は失敗。敬四郎はスキーに行っており、愛子は亀次郎の小言は聞きたくないだろうからそのまましばらく家に帰ってこないでいいとお金を送金。一方亀次郎は、家族を箱根旅行へ連れ出す。自動車で箱根へ向かう場面で終わり。かおるだけ置いてけぼりのようだが。
前にも書いたが会話劇の面白さ、テンポが良い、つまりは演技がよい、内容もよい、つまりは脚本。
話自体は、亭主関白、雷親父、誰の世話にもならず裸一貫でやってきた叩き上げの父親と、その怒鳴り声に辟易し、また父親の帰宅では銅鑼が鳴らされ、家族一同気が引き締まっているというような家ではあるが、それに萎縮しているわけでなく、おうらかに過ごす家族の物語という感じ。当時のホームドラマの減速であろう、これが父親殺しだとか陰湿な話には当然ならないと思われる。
また家は離れのように、もう一軒子供用のものが建てられてるようで、そこに部屋があるのが、三郎と敬四郎が確実。さらに秋子や幸子もそうかもしれない。かおるはそちらへ行かせてもらってないというのも確実。武男と洋二は本家のほうだと思われる

※10/17視聴
第11話
かおる置いてけぼりの件だが、箱根へは、ドライブがてらみんなで行っただけで、父親と合流し遊覧船に乗った後、子供たちは帰宅。この遊覧船のエピソードで家族は少ししんみりしたいい場面だった。
かおるの同級生として木内みどりと鷲尾真知子。クレジットもあったから鷲尾真知子は見て気付いた。木内みどりはどんな顔の人だっけ(木之内みどりというそれなりに有名なんだろうが、おれは記憶にもないし顔も知らない人がいて、その人とごっちゃになったというのもある)と思ったが、ネットで画像を見て、ドラマを見直したら、なるほどとなった。

第12話
カラー化。

※同日
13-14話
12話以降は敬四郎の受験失敗後の鶴家の様子といういかにもお茶の間ホームドラマという感じが続く。
13話と14話にこの後も出番のありそうな、敬四郎の高校の同級生で開始牢がほのかに恋心を寄せる久代が登場
13話では高円寺のおばさんの家へ敬四郎とかおるが訪問。高円寺のおばさんの家が映るのは初だったと思う
14話は三郎が敬四郎を連れてお気に入りの女の子がいる渋谷の喫茶店へ。

15-17話
15話は食事騒動とでもサブタイトルがつきそうな内容で中心は高円寺のおばさん。鶴家は田園調布という設定らしいのだが、その最寄り駅を降りると、出前持ちが次々と声を掛けるとうところから始まる。鶴家ではうなぎの出前を五人前頼むが客が帰ってしまい(亀次郎は追い返したと言っている)余ってしまう。そこへやってきた正子だが、正子は正子で、色々事情があり、うなぎ屋へ寄って食べてきたところ。さらには、何の手違いか、蕎麦屋がざる五人前を正子の注文だと言って持ってくる。さらに敬四郎もうなぎを持ち帰り・・・。
この回ではすでに1回登場しているが武男の恋の相手になりそうな女性が登場。1回目は後ろ姿が
朱だったが、今回は顔も映っている。
16話は三保の松原へ夫婦と高円寺おばさんが旅行

18-19話
18話は母の日でこともたちが母親に楽をさせようと早起きして掃除
亀次郎の期限が良くなるものの、そこへ神尾光の祖母が来襲、その顛末。
19話では三郎と敬四郎が神尾の祖母を家まで車で送る。
神尾の祖母が東山千栄子。クレジットはトメでなぜか他の人よりフォントがでかい。意識的なのかどうかはわからない。ほかにも例えば三人並記が連続する際に、その三人の間隔が違っているときがあったりもする。
トメに関してはそれほど重要視されていないようにも見える。最後が数名並記で終わる回もある。
19話では、数名並記が終わったあとに、竹脇が出て、小夜福子、香山美子と単独表記、トメが東山。竹脇、小夜福子、香山美子は常に後ろの方で単独表記
単独表記というのは格が上ということではありそう。

※10/18
20-21話
20話は朝早くからの下水工事。大音量に鶴次郎の機嫌をみなが心配するが、建設業でのし上がった亀次郎は上機嫌で、皆があっけに取られるという話。工事現場に差入れでお茶を持って行き、その茶道具全部を壊されても鷹揚にしていたが、塀を壊されたと聞き激怒など、喜劇でよくあるパターンで面白い
脚本が山田太一となっている。そこら辺のクレジットはいつも飛ばしているので、これまでにもあったのかもしれない、少なくとも前回(19話)は違った。21話も山田太一
21話は、洋二、三郎、敬四郎の女関係といったところか。洋二はトシと付き合い始め、三郎は女の子をデートに誘ってるが、相手は乗り気でない、敬四郎はあの久代と偶然に二度も会い、しかも一回は男連れ、一緒にいた親友の杉本と愚痴のこぼし合い。杉本を家に誘うも、亀次郎の雷が杉本にも襲い掛かり、意気消沈。最後は杉本が久代に電話で確認したことを敬四郎に伝えてくる。恋人はいない、と。

22-25話
22話で、三郎の演劇を夫婦や子供たちが見に行く。三郎出演の劇が始まる前にやってる劇で鶴次郎はいびきをかいて寝てしまい、周りに迷惑、ちなみにその芝居に出ているのは河原崎次郎と清水良英で、彼らは学生結婚をして、25話で鶴家にしばらくの間住みたいとやってくることになる。
23話ピンポンダッシュのいたずらをされ、亀次郎とお敏が追いかけとっちめる。その子の姉、片桐貴枝子がやってきて亀次郎といい合いになる。この片桐貴枝子、これまでに数回登場していて、武男が一目ぼれしていた女性
24話では唐突に初子が結婚をしてお手伝いを止めたという展開。23話では休みを取って兄のところへ出かけている(その際にお見合いをしてそのまま結婚という成り行き)ということで登場しておらず、22話が最後の出演、といってもこの後復帰するのかもしれないが。
さらにお敏の母親が危篤という知らせが入り、田舎へ帰ってしまう
25話ではそのお敏の母親イネというのが来訪、イネ夫婦の喧嘩で、イネが家を出ていき、旦那のほうがお敏を呼び寄せツネを説得してもらおうとしたというのがあの電報、イネは捕まるのを嫌い東京へ出てきてしまったというわけ
武男は片桐とデートの約束をしており出ていきたそうであるが、三郎の演劇仲間の学生結婚夫婦がやってきてしまい、子供たちだけでその夫婦の話を聞いてやってるところへ、鶴次郎が登場、雷が始まる

26-28話
26話、イネ、昼から三郎相手に酒、さらには正子もそれに加わって・・・。
この回で三郎が大学三年生だとわかるが、そうやって計算すると、二年浪人の大学三年生は23歳。昭和22年生まれとすると今が昭和45年となり、武男が昭和12年生まれの31歳で昭和43年となり、ちょっと計算が合わないような気もする。まあ最初の方はちゃんと見てなかったので、武男の昭和12年生まれが正しいかどうか、そして早生まれだとかで1年くらいはずれそうではあるけど。
27話、お盆。お敏は帰ってきている。亀次郎の会社の堀部長の浮気相手が亀次郎の家に捨て子するという捨て子騒動
28話、その結末。武男は片桐と、そして洋二はトシと進展している様子。秋子と神尾はなかなか結婚まで行きつけない。

29-32話
29話では亀次郎が8月に軽井沢の別荘を借りたということで行くことになる
27話がお盆だったのに、ここでは8月と聞いて、8月なら近いじゃないなどと言っている。お盆は7月だったのか
30話では軽井沢の別荘を借りる件が中止に
31話は軽井沢へ旅行。別荘がだめになったからということで旅館での旅行となる。この回の最後に、秋子が急遽オーストラリアへ仕事で行くことになるという電話が入る
32話は軽井沢旅行は日程を繰り上げて帰ってきて、秋子のオーストラリアへの旅立ちを見送りに家族が出る。この回の最後では軽井沢旅行の日程を切り上げたので、その代わりに北海道へ行くと亀次郎が言い出す

※10/19
33-35話
33話、北海道旅行。
江幡高志が亀次郎に蕎麦屋で雷を落とされる客として登場、これは端役であり1回限りだろうと思われる
34話、神尾に頼まれ敬四郎が父親に対し秋子の結婚を認めてやれというも、雷を落とされる。しかし後で呼ばれ秋子の結婚については認めないがその敬四郎の反抗心を根性があると褒められる
35話、イネの恋人である六さんが登場、イネを夫の元へ連れて帰ろうとやってきたのだった。かおるは憧れの英語教師の西川(山口崇)を家へ連れてくる。すると幸子が西川に夢中になってしっまう

36-37話
36話は、敬老の日。亀次郎は武男を連れて電信柱の街灯の蛍光灯を入れ替えしようとし、武男がはしごから落ちて下にいる亀次郎が怪我
初子が鶴家に顔を見せる。結婚した相手の愚痴を聞いてもらいに来たようだ。次の回には出てないし、女中復帰ではなさそう
37話はお彼岸。亀次郎はイネを連れて浅草観音様へ。
他には子供たちの恋愛の状況がそれぞれ描かれる。武男は片桐に騙されてるのではないかと疑念、洋二はうまく行っている、そして秋子は神尾の祖母が神尾との恋愛を公認し、さらには亀次郎とも再度会って決着をつけると明言、第1シリーズ最終回に向け、これは進展していきそうで、最終回が二人の結婚ということになりそう。幸子は西川とつき合いを始めた様子。
三郎は高円寺のおばさんのアパートに住まわせてる演劇部の友人夫婦のことで揉めている。

38-39話
38話では、捨て子騒動の堀の母親が挨拶に来たいということで午前に来訪、そして午後に来るはずだった神尾の祖母も都合で午前にやってくることになりあたふた。結局鉢合わせになってしまい、しかも神尾の祖母については亀次郎に事前に話してもおらず、愛子が亀次郎にそのことを話す間、来訪していた高円寺の正子に相手をしたもらうことになる。なんだかんだいってもこういうときには頼りになる感じ。さらにそこへお茶を持って来たイネも加わり4人のおばあちゃんという図。そこへ亀次郎が現れるが、愛子に諭されたか、友好ムードで神尾の祖母と握手、で終わる。
このシリーズでわりと多い終わり方。昨今のドラマでは次の回の最初の部分をその回の最後に持ってくるという手法があり、それに慣れてるからか、それを思わせるような終わり方。つまり亀次郎が部屋へ入ってきて、さて、どうなる、でその回が終わる、のだけど、次回ではその続きでなく、そのエピソードはもう終わったものとされる。今回でいえば、神尾の祖母とは話がついた、秋子と神尾は結婚が認められたということだ、そして堀の母親の来訪という件は、先に説明されていたとおり、本当に御礼の挨拶だけということなのだろう、ドラマ上は放置。
これと同じような回の終わり方が何度もあったと思う。思い出すのは、幸子と西川の談笑の部屋へ亀次郎がやってきて、さて、どうなるで終わった回があったが、次の回の冒頭はその続きではなく、その後回を数回おいてだったと思うが、幸子と西川のデートで、そのときのことを回想して話している場面があった。お父さんが部屋へ入ってきたとき、咳ばらいをし、ごゆっくりと言ってすぐ部屋を出て行った出て行ったとかなんとか。
39話、第1部の最終回。番組の最後に、この回の最後に鶴家にいた全員が勢揃いして並んで視聴者への挨拶を進藤英太郎がするという「らしい」演出。その際に、「第2部でまたお目にかかります」と言っており、すでに制作が決定していたことがわかる。
「らしい」演出は他にも。洋二の絵本がコンクールで1等を獲ったと連絡があり、まだ帰ってきていない洋二を迎えるため表門を開けておこうと外へ出る亀次郎、そこへ洋二が帰ってきて抱き合う。そこへ家から皆が出てきて、亀次郎を先頭に前の人の肩に手をやり隊列を組んで、ちょうど「グレイシートレイン」のように、家に向かって練り歩く、空にはまん丸のお月様に「第一部 終」というテロップというのが本編の終わりで、その後上記挨拶となる
そういやほかにも、家に最初に帰宅したのがかおる、そして敬四郎と続き、お敏が下から順に帰ってきてます、と言っており、その後その準で、幸子、三郎と帰宅。その後の上三人は順序通りではなかったけど、こんなのも最終回らしいといえないこともない。
六さんが再度迎えに来て、イネは帰ることを決心する。
---第1部を終えて
変に思えたところ
11話。箱根遊覧船のエピソード。武男と洋二を連れて行ったと言っているが、その二人の年齢を聞くと、秋子も生まれていたはず。
15話。鶴家で三人の客が帰っただか追い返しただかしたというエピソードだが、そのうち一人は武男であるようで、それなら二人の客とそれを送って行った武男である
18話、母の日。「母の日ですからね。それに、ちょうど日曜日でしょ」というセリフ。母の日は日曜日に決まってるじゃないか
その流れの中で、9月の第3日曜日を「老人の日」と言っているが? 敬老の日が9月15日で、それがその年は日曜日ならばおかしくはないけど、普通は「9月の第3日曜日」なんて言い方せずに「9月15日」と言いそうなものだ。そもそも老人の日って?

会話劇の面白さ、そして家庭内の細々したトラブルエピソードで構築といったところが特徴か。後者なんかは、「渡る世間は鬼ばかり」なんかがそういう作品だと聞いたことがあり、おれは同じ橋田壽賀子の「おしん」にも名作と言われてるけど、結構こじんまりとしたそういう傾向を感じた。
山田太一の名前があったからと思い出したのだが、「ふぞろいの林檎たち」とは会話の面白さに共通点を感じなくもない
会話のテンポがとても良いのは特徴的だ。ここを見どころにしようとしているのだろう、たくさんそういう場面がある。
最終回で酔っ払った正子が亀次郎を亀さんと呼ぶ。これまで卑屈なほどの態度を亀次郎の前で見せてきており、溜まったものを出すという場面だ。で、これに関連して、鶴家は亀次郎に対して、委縮しているということはまったくなく、父親を恐れているということもないのだが、でも父親の前では、返事がよく、ちゃんとしようとしている。特に武男がそうで、あと女中連中。そういやイネはお敏の口真似とも思える態度を返事をするときなどで見せる。「ハイ」という返事がとにかくよい
ここはドラマのテーマでもある「雷親父」という演出だ。亀次郎の帰宅時には銅鑼が鳴らされ、在宅している家人が玄関にお出迎えである。まあそこらがコミカルなのだけど。
クレジット順に触れておく。
まずトップは単独表記で進藤英太郎。その後は、回によって出る人数が上下する関係で、二名並記だったり三名並記だったりなのだが、風見章子、園井啓介、津坂匡章、あおい輝彦、西川宏、高梨木聖、沢田雅美、 菅井きん、新田勝江というような準。風見章子が単独表記になってたこともあった。
その後も並記でその回だけの俳優などのクレジットがあり、終盤に単独表記で数名出る。
そこに家族の一員である香山美子も入る。他には小夜福子、竹脇無我、岸輝子、東山千栄子あたり。ここらは最後に出るのが偉いのか、先に出るのが偉いのかよくわからんが、東山千栄子は常にラストに出ていたあたりから察せられそう
---
40話
第2部の第1回だが、OPは変化なしで、通番も「第四十回」となっている
「六カ月後」とテロップで始まる。
始まりは拍子抜けというか、意外というか、武男の新婚旅行の様子から。嫁役が春川ますみである。OPのクレジットでも家族が順にクレジットされる中に入っていたので、どんな役なのやらと思っていたのだが。
前回がお月見の夜。10月だとすると、6か月後は4月。武男を31歳と言っているが、ひなまつりで誕生日を迎え32歳のはず
三郎は大学4年生、敬四郎が受験失敗で浪人二年目に入っている
武男の新居が隣の家となり、三郎と敬四郎が、本家に戻り、武男の部屋に二人で入ることになる。
部屋割りは第1部では、途中まではっきりとはわからなかったのだが、本家のほうに、武男、洋二、かおりがいて、他が隣の家だったのだ
新シリーズになり、ちょっとだけ設定が変更されるということがドラマの世界ではよくあるが、ちょっとだけそれを感じた。気のせい程度だが。
洋二は気弱で優し気な青年だったが、この回では引っ越しのことでリーダーシップらしきものを見せている。
お敏のあつかましい性格を家族が奇異な目で見ている。これは以前から女中にしては異様なほどあつかましい行動を取りまくっていて、そっちが変に思えていたくらいなのだが、家族はそれをほとんど咎めることがなかったのに、この回になって急にそんなことを話している。
第1部での第1話のときもそうだったが、亀次郎の登場は最終盤、真打登場とでもいうように。ただこの回は冒頭が武男というのも意外(ちょっと地味なキャラ)だったが、亀次郎の登場もただ単に怒鳴り散らすというお約束ではなく、帰宅したら武男が旅行先で病気になったと聞かされ気勢を削がれた感じで、でもそこから怒鳴り散らして終わっている
秋子や幸子には触れられていない

41-43話
40話で4月かと思っていたが、43話が母の日(5月)、これが新婚旅行から帰る日、その経過を見る限り、それほど長い旅行であったとも思えないのだが。
41話では、武男がはしかになったとの連絡を受け、亀次郎と敬四郎がタイへ行くことを決めるという展開。さらには前回登場していなかった子供たちも含め、各々の恋愛の様子が描かれる。
42話は亀次郎たちがタイへ到着で、そっちの場面ばかり。風見章子が登場していない。一方43話では、上記の通り一行が帰国する日であり、それを待ち受ける鶴家の様子が描かれ、なんと進藤英太郎が登場しないという回。
ここまで、進藤英太郎と風見章子は全部の回に登場していたはず。
ここらははっきりしないが、レギュラーの中で、津坂匡章とあおい輝彦以外は出ない回というのも多かった。この二人も登場しない回が会ったと思うが、もしかしたら全部の回に出ていたのかもしれない。だとしても、この41と42話で、津坂は42話に、あおいは43話には登場しない。
43話は母親の愛子に母の日だということでカーネーションをプレゼントしながら、相談と称して問題事がどんどん持ち込まれる。ラストでは今ドラマで初めてともいえそうな深刻な感じで、洋二が家を出ると言い出す。
喜劇というジャンルなのだと思う。で笑いのためともいえそうな不自然な展開、登場人物の言動が多く見られ、それは笑いのためだとわかれば大抵許せるが、なんか不快に思える場面や、変に思える場面が多い。
それこそお敏のあつかましすぎる女中というのがそれであるが、それ以外にも例えば今回の亀次郎がタイへ行くといういきさつというか理由、息子がはしか、もう治ったというのに、そして出かけて行ったってなにもできないだろうに。
神尾が結婚の日取りを決めようとする秋子に向って、ドラマの主演を頼まれたとやにさがり、秋子ともめて、それを鶴家に言って愛子にぶつけるとか、尋常でない。
三郎の友人の学生結婚夫婦の言動も異様だったな。
ここら辺の許せる範囲許せない範囲についてはもうちょっと考えてみたい

※10/20
44-46話
43話で洋二が家を出ると言い出す場面で終わるも、44話ではその話の結末はわからないまま、次の場面へ。前に書いたように結末が気になるところで終わるも次回の頭がその続きでないというパターン。が、この回で結局洋二は出て行ってしまったことがわかる。また三郎は女の子の家に泊まったのを相手の父親に見つかってしまい、その父親が鶴家に電話をしてきて、亀次郎にその件がバレてしまい、三郎も家出、これは正子のところで世話になってることが45話でわかる。45話で三郎は正子に連れられ家に謝りに来るのだが、その前にうなぎを食べて行こうとなり、しかしそれが亀次郎にバレてしまい、三郎はそのままトンボ帰り。正子はやってくるも、亀次郎の雷に辟易し退散。
46話の出来がいい。愛子が子供たちのトラブル諸々と亀次郎の雷に辟易し、言い返すのを止めてしまう。とまどう亀次郎。これはこれまでにない展開。そして、そこへ今のところ亀次郎のお気に入りである待子の「アンパン作戦」発動。
亀次郎の雷。これは落語化け物使いで、旦那の人使いの荒いのは、一回で済む用事を2回、3回に分けて言うとたしなめられる場面が中盤にあり、それに似ているところもあるが、まあそれよりひどい。なんの意味もない小言も多数あり、単に怒鳴りたいから怒鳴ってるだけというか。小言幸兵衛なんかにも近いような気がするが、それだって意味のある、指摘自体は正しい小言であるのに比べて、亀次郎は意味のない小言が多いからなあ

※10/21
47-50話
47話
愛子が三郎、洋二と一緒に中華料理。
武男の回想場面がある。武男が子供のころ、泣かされて、亀次郎が悪がきを追いかけるという場面、多分武男が5歳くらいだろうと思われ、すると25年以上前、でも進藤英太郎と風見章子(愛子は洋二を背負って登場する)が演じている。あまり若作りもせず。一人で遊びに行くくらいなら武男は5歳くらいと思われ、そうすると秋子も生まれてるはずだが。
敬四郎が家を出ると言い出す
洋二が愛子から言われていた父親への電話、しかし亀次郎は素っ気ない態度
48話
父の日
武男が結婚で別の生活、ほかに二人の子供も出ていってしまい、段々と寂しくなる鶴家というのが露わになってくる
亀次郎は時間を気にしており、愛子には出て行った子供たちが会いに来ることを期待していることがわかっているが、武男のところに連絡があり、今日は来ない、と。
敬四郎は大学受験をやめ、コック見習いをやりたいと言い出す
49話
洋二が病気になったと正子から連絡が入り、愛子が会いに行く。初めて訪れる洋二の部屋、ボロアパートである。
家族を集めて亀次郎が説教、その怒鳴ってる様子を見て待子が父親を思い出し泣き出す(ここでこの回は終わるのだけど、この涙に意味上がるのか、イマイチわからない、つものように尻切れトンボで終わっている)
50話
洋二の家。トシが訪れてきて、洋二に実家へ帰るように言う。ここらは上層階級には世の中を正しく帰るという理想をわかりあえない様子が描かれている。全学連になるには、苦労をしなきゃみたいなことか。まあこのころの作品を見て、一番白けるのは学生運動を善のように描いていることだ、善でないにしても否定ではない。でも今の目からすると、学生運動なんて、ね。
6月29日。日曜日
運転手の田村が退職の挨拶。ここで、亀次郎と愛子がいつものように言い合いになり、洋二の家へ一度行ってみればいいと愛子が詰る。亀次郎が怒って出て行ってしまい、田村から洋二のアパートの下まで亀次郎が行ったこと、そして、足の悪い洋二を思い、一晩で階段を直してしまったことを愛子は聞く
待子に妊娠の兆候

51-52話
51話は七夕。三郎が久しぶりに家へ。
亀次郎は七夕の竹を買って帰り機嫌が良い。三郎の気付かずにいたが、ふと気付いて、怒ろうとするも愛子に諭され、少しだけの雷で終わる。
待子はいよいよ妊娠とのこと
敬四郎はコック見習いの話が出て以降、料理を作ってる場面がよくあり、最近では家の台所を手伝っている様子で、愛子と幸子はコック見習いなんて行かずにこのまま手伝ってくれれば助かるみたいなことまで言っている。
52話ではお盆の話をしており、7/15をお盆としていると見られる
正子がやってきて、三郎は一体どうしたんだ、と。前回以来、鶴家に住んでいるようで、住むなら住むで、突然来られても夕食の準備ができないし、荷物を運び出して部屋を空けてほしいということだ
シリーズ初期に正子が鶴家にやってくると女中に細々と小言を言っていたが、それがこの回で久しぶりに復活している。
秋子が久々に登場、神尾は俳優業を始めているようで、結婚については伸び伸びになっている様子。
お敏はしばしば「海ゆかば」を口ずさんでおり、それを愛子が陰気臭いからちょっと陽気な歌にしたらなどと言ってる

※10/22
53話
三郎が正子を洋二がピアノを弾くバーへ連れていき、正子はしこたま酔っ払い、鶴家へ来襲。
鶴家では敬四郎のコック見習いの件がとうとう亀次郎に知れ、家族会議を始めようとしていたところ。正子は前シリーズ最終回のとき以来「亀さん」呼ばわり。
54-56話
54話は前回の最後の場面の翌朝、三郎と正子をいい加減に起こしないと亀次郎が言っている
洋二のバーへ幸子と西川が来訪、そこへ三郎と神尾が連れ立ってやってきて合流。三郎は酔った神尾を連れて帰宅。竹脇無我と山口崇が共演(大岡越前が始まる前である)
55話では三郎の帰宅がないことに愛子は説教をしようとするが、逆に亀次郎は機嫌がよく、三郎と昼間からビールを飲みだす。
洋二から電話、三郎はトシの洋二への本心に疑念を持ち、トシの仲間のところへ乗り込んで徹夜で議論していたことを知る。
家の者一同で洋二のバーへ行く。洋二と亀次郎は久々の再会である
56話、夏休みで夫婦は箱根、この回では進藤英太郎は声だけの出演(クレジットでも「声」となっている)。
正子が来訪、鶴家では敬四郎が女中業。お敏も主人夫婦がいないことをいいことに映画。
敬四郎がハヤシライスを制作中、正子は得意のちらし寿司を持って来た。
という中、土用の丑の日でうなぎ屋から「うなぎはどうですか」と営業電話
待子の母親(初井言栄)も来訪しており、うなぎをとるかどうかでみんながいろいろ議論
初井言栄が若い。お婆さん女優で知られた人だと思ったが、60歳と若く亡くなっており、今作品では40歳くらい。画像検索しても、そんなに老けたものはない。
この回の終盤では夫婦が予定を早めて帰宅している。
この回を見ていてこの作品には誰にも共鳴できないということを痛感する。両親はでたらめに怒り、子供たちは贅沢三昧、甘ちゃん、女中はあつかましく、おばさんは勝手に電話に出ちゃうし。
待子の母親が比較的真っ当なことを言ってたかな。女一人で商売(パン屋である)をやる厳しさとか
57-58話
57話で運転手を探していた鶴家に正子からの紹介で黒田(小坂一也)登場。これが変人、断られること前提のような最初から突っかかるような態度。
58話、運転手として雇われた黒田が、今の仕事を辞めたことを報告に鶴家へ。亀次郎が相手をする。
黒田は鶴家を辞去した帰り道、見合い話を持ち込まれ、亀次郎の配慮ですし屋へ出かけていたお敏と出会い、嫌な感じの本性を見せる。
夫婦の結婚前の回想シーンがある。ここでも進藤と風見が演じている
59-60話
59話、8月31日で、明日から敬四郎はホテル勤務で家を出ていく。
雑誌に神尾のスキャンダル記事、それが新聞広告に掲載。
秋子はプリプリ、愛子と子供たちで話し合うも、亀次郎はそれを聞きつけ、部屋へ乗り込んできて、意外な名演説。神尾のことは信用しているから心配していない、むしろ秋子はなぜ神尾のことは信用してやれないんだ、と
その雑誌記事の話題で、デヴィ夫人の名前が出てくる。この頃から有名人か
黒田が引っ越してきた。鶴家に下宿する
60話、敬四郎がホテルの仕事から帰ってくる。久しぶりの帰宅らしいから、家を出て週末に帰るとかそんな感じか。
相変わらず黒田の変人ぶり。見ているほうがイライラするくらいだ。
亀次郎は信用して金を貸していた中華料理屋が夜逃げ、裏切られしょんぼり。黒田に言って、ドライブへ。
61-65(最終回)話
61
彼岸がもうすぐという時期。風鈴を外す時期ではという待子に彼岸過ぎるまではいいでしょ、と返す愛子
お敏が体調を崩す
敬四郎がホテルを辞めたいと言い出す
三郎は家へあまり戻ってこないが、正子がやってきて三郎がこっちにもほとんどやってこないと言う。
幸子の就職話が持ち込まれる(最終話で就職が決まったと言っている)
これは変、三郎は4年生で今度の春に卒業予定(その卒業も危ないという話ではあるが)、幸子は同学年ぐらいだったはずで、三郎を追い抜いてはいないはず。そしてこの就職の話は来春の新卒就職の話ではないような感じだった(最終話でもそんな感じを受ける話しぶり)
62
彼岸。浜松へ5人で旅。夫婦とかおる、そしてお敏と運転手黒田。亀次郎の大昔(亀次郎の結婚前)の友達イッちゃんの墓参り、亀次郎がイッちゃんと別れて1年後に愛子と出会った。
ホテルのバーで黒田は女房を寝取った男を見つける
浦辺粂子、イッちゃんの隣人で、その消息を話してくれる。墓は売られてしまっており、亀次郎は金を出して墓を建て直す。
この回はこういう風に旅の回なのでちょっとイレギュラーではあるのだが、この回を境にちょっと雰囲気が変わったような気がした。この回以降はちょっと暗めであり、また問題がどんどん広がって収拾つくのかなという感じになっていく
63
お月見の夜で、冒頭がバーの場面なので、いつもは前回の最後の続きというやり方はしないのだが、これは前回の続きかなと思わす(前回は話を聞いた亀次郎がホテルのバーへお敏とともに乗り込んで行こうとする場面で終わった)
が、このバーの場面は秋子と神尾。しかしそこで秋子が浜松での出来事を話すという形での回想場面となり、亀次郎とお敏がバーへ乗り込んでいった顛末が描かれる。お敏がヒートアップし、亀次郎が止めるという展開で、黒田の女房は男に捨てられていた
秋子と神尾は結婚の日を約束するためのデートであったが、しかしやはり喧嘩別れ。
黒田は黒田の女房探しを夜の時間帯にし始め、お敏もそれを応援している
幸子と西川は幸子が冷静になってきており、しかし別れたわけではないという状況
かおるは蓼科旅行の際に出会った男を東京で探している。
三郎から電話、洋二が振られた、そして夫婦は月に誘われての散歩が、月に浮かれて洋二の店へ出かけて行く、もちろんそのことを知らずに。
64
イッちゃん(一造)の娘金髪のアイ子来訪。金をせびりにきたのであった。
敬四郎、調理場の仕事に入れずポーターの仕事ばかりで、嫌気が差し、ホテルを辞め家へ戻ってくる
黒田の息子は母親が手放し横浜のどこかに預けられているということがわかる
洋二を訪問しようと亀次郎が歩いていると、金髪サングラスの三郎に出くわす
ここまでで特にどうなるのかと気になるのが、三郎がどうなるのか、敬四郎は仕事を辞めてしまいどうなるのか、そして洋二はこれからどうするのか、というあたり。他にも、秋子の結婚、幸子の恋愛などあるにはあるが・・・、そして最終回へ。
その最終回はザ・最終回とでもいうようないかにもな演出。すべての伏線回収をぶち込んだ作り、なのだが、上に書いた3点についてはなかなか出てこなかった。結論をいえば、洋二はトシが鶴家を訪れて、話をよくよく聞いてみると、嫌いになったわけではなく、恋愛と学生運動との板挟みで悩んでいたというだけで、復縁。敬四郎がこれからどうするのかは不明。三郎は金髪を染め直し(芝居のための金髪だった)家へ戻る、愛子へ芝居をやっていきたいと打ち明けるという感じでなんとなくうやむやに終わる。
伏線回収というのは、子供たちの恋愛関係の話のことであり、相手が次々と鶴家を訪れてきて、対応する愛子、そして正子もやってきて一緒に対応に当たるのだが、二人がてんてこ舞いになるという演出。
まず、三郎の芝居を鑑賞する鶴家の子供たちという場面から始まり、舞台には金髪の三郎。
黒田の息子の健を探していたお敏が家へ電話をかけてきて健が見つかったことを報告、手続きが大変だと聞き、亀次郎が黒田とともに引き取りに行くことにする。
正子がやってくる。家には愛子と正子ということになる。
ここから、鶴家に来訪ラッシュ。
まずは、かおるの相手の谷村(蓼科旅行で一目ぼれした相手)。
大手から電話、これは三郎が夜を一緒に過ごして父親に見つかったという件で、その父親が今から窺うと。
続いて西川がやってくる。ここで幸子の就職の話が出てきて、就職を辞めて結婚させてくれと言い出す。
続いて神尾。竹脇無我と山口崇の共演再び。
続いてトシ。
続いてすし屋の娘、敬四郎の友達とのこと。
そして大手が登場。この大手を演じるのはこの枠常連の三島雅夫。大手というのは44話で声が出てくるが三島のクレジットはない。聞き比べてみたがまあ同じ声なのかなあ。それよりも、44話のところではカンカンになって怒ってるという状態なのに、ここでは温和なおじさんでにこやかに登場、今さら鶴家に何の用があるのやら。
そこへ三郎の演劇が終わり子供たちが帰ってくる。上司の出産祝いに出かけていた秋子も戻る
で、やってきた子供たちの相手とのカップルが成立しラストに向かっていく
まずは風鈴、度々出てきていたのだが、これは三郎の修学旅行の土産で、だからこれがあるうちは三郎が近くにいるような感じがすると愛子が言っていたもので、三郎が戻り、愛子は三郎としみじみ語りあい、さあ、もう風鈴を外しましょうかと言って風鈴を外すと銅鑼が鳴り、亀次郎帰還。
黒田の息子健を連れて戻る亀次郎一行をみなが出迎えて、どうだ坊や、このうちは面白いぞ、雷親父がいるんだ、ほら愛子、世話が焼ける子供がひとり増えたよ、鰻の好きなおばちゃん(正子のこと)もいるんだ、という亀次郎の言葉で終わっていく





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大奥(NHKのテレビドラマ) [連ドラ]

今年1月~3月放映のもので、始まったころの評判を見て、面白そうだなと録画を始めた。が、録画できたのは第2話から。たしかNHKの連ドラは各回放映後、次回放映までに再放送もあると思うが、それも録画を逃したのだろう。で、評判は大層高いことからすぐ再放送、例えば放映中に話題になってるから、そこまでを一挙放送とかやるかなと期待していたのだが、そういうのはなかったようだ(確かそのころは毎夕の録画予約のための作業時に「大奥」と入れて毎週検索していた)
で、最近ようやく再放送が始まり、そこで第1話を録画したらすぐ見ようかと思っていたのだが、なんだか見る気力が萎えており、また、再放送では時間を5分延長し、阿佐ヶ谷姉妹が感想を言い合うトークコーナーが挿入されてる(第1話にはなかったから次回からだろう)らしく、中盤まで録画を終えたころには、どうせなら、それも見ることにして、それなら再放送版を全部録画せにゃならんなあ、と結局再放送を全部の回録画し終えるタイミングで見ようということにして、今日見始めたわけだが。
再放送日程7/23-9/24 NHKBS103
この再放送は、シーズン2(10/3スタート)に先駆けての再放送とのことで、そのこともおれは知っており、ゆえに見始めたところで、どうせならシーズン2も全部録画してから一気してもよかったのでは・・・、とそこで見るの止めようかどうしようかとちょっと悩みながらも、結局うだうだと第1話は視聴完了。
というのも、第1話のとくに序盤あたりだが、見ながら、あんまり面白くなさそう、というか、おれの好みの題材ではない、いやむしろ大嫌いな題材だなあと気付き、どうもこれはノれないなあと思ってしまったのだった。
その題材ということについてだが、いや、見始めて気付いたわけでなく、見る前から知っていたことで、じゃあ、本放送の最初のころの評判を聞いたとき、そういう題材だと知りながら面白そうと思ったんじゃないかと言われそうだが、その辺はよく覚えていない。
その題材とは、つまり男女の役割が入れ替わり女性上位社会になってると言う件だ。
子どものころの記憶。多分小学生高学年か中学生のころ。家にあったんだと思うが、ポルノ小説があった。性に多感の時期で、おれは週刊誌やスポーツ新聞に掲載されてるようなエロな文章がむしろ画像なんかより好きという変な子であり、そのポルノ小説も読んでみた。それが実験的というかなんなのか、男女の役割が入れ替わり女性上位の世界が舞台になっていた。とても興奮なんぞできるものではない。どういうつもりであんなの出版されてるのやら。確か外国産で翻訳ものだったはずで、登場人物がみなカタカナだった。ジョンだとかパーシーだとか、そんな感じじゃなかったかな
最終盤に一瞬、現世界、つまり男性上位の社会を登場人物が見ることになり、が、それは一瞬のことで、「夢か」みたくつぶやいているシーンを覚えている。
で、まあそういう社会は性に多感な少年にとっては女性が覆いかぶさってくるわけだから恐怖でしかなく・・・、そしてこれを見始めてそのことを思い出したのだった。
どういう意図でこんなもの作ってるんだろう。と思う。
ここからは内容とは外れるかもしれない、自分がそういうテーマだと気付いてから思ったことである。多分男性上位の社会の中での女性の苦しみを、逆転させることによって、男性が下位である苦しみを見せることによって、これだけ女性は苦しかったのだということを言いたいのかなと思う。そして、ということは見る際には、いちいち男性と女性を、逆転させて考える、例えば男性の主人公水野が置かれてる立場は、本来は女性が受けていた役割なんだぞと、いう風に。で、見ているうちに結構それはいちいち面倒だなあと、ここら辺も嫌気が差した理由。まあ、嫌気の第一は、そもそもの男女逆転のことなのだが。
多くの時代が描かれるようで、またこの第1話では吉宗が登場しているが、第2話以降は時代をさかのぼってのエピソードで、吉宗が登場するのはシリーズ後半という構成なのだが、まあとにかく第1話。吉宗を演じるのが冨永愛で、これまた適役というか、なんというか。今作品の宣伝でずいぶんインタビューなどで番組出演していたようで、この作品と言うと彼女が連想されるくらいの主役なのだが。
まあ彼女のイメージというのがこれがまた、個人の見解だが、一切性欲をかき立たせない美人とでもいうか、すごい人気らしいのだが、その人気の意味がわからない、新しい時代の人という感じだ。まさに男性に覆いかぶさって恐怖を感じさせるというのにうってつけであり、だから一方で嫌悪感が先立つ、まあおれにとってはだが。
意識高い系とでもいうか、男性上位社会に異議を唱えるという作品の趣旨にもピッタリである。
さて男性の主役、あれ、この人ちょっと前に見たじゃんということで、中島裕翔。しずかちゃんとパパでのヒロインの相手役である。NHK御用達なのかねとうんざり。そしてこの人選の方も興味深く、今話題のジャニーズ、肛門性向をさせそうになる描写が今ドラマにあり・・・、急にシーズン2ってもしかして放映延期にでもなったんじゃないかと、すぐ検索してしまったくらいだ、そんなことはなかったけど。
まあこの題材とジャニーズの連想と言うのはたやすいことで、美男を性交のために集められた大奥というその設定はジャニーズ事務所内での性加害問題の本質そのものである。見ていてドキドキ。
極めて性の連想を掻き立てられる作品である
作品の中盤以降はまあ面白く見れて、あれこの後どうなるのかなと思ったところで終わるかと思いきや、一応のハッピーエンド的結末もつけられた。つまり、水野が首をはねられることになるかと思いきや、吉宗の働きで、それは免れ、町に町人として戻るという結末である
ケチをつければ、この設定の発端がわからない。いや発端は若い男子だけが死ぬ病の蔓延で、というのは受け入れるが、で、そのまま女性上位の社会になるかどうかということだ。武士階級の家がどう対応するのかというあたりが一番の疑問ではある。女が武士になるのか? とかそのあたりだ。
でも徳川時代は安定の時代でもあるわけで、だれも政府転覆は目指されず、政府主導でそういうことになるのもありかなとも思った。ここら辺が第2話以降に描かれるようで楽しみではある

※追記 同日 第3話まで
第1話は「八代将軍吉宗・水野祐之進編」だったが、第2ー5話が「三代将軍家光・万里小路有功編」(第5話は「三代将軍家光・万里小路有功編 五代将軍綱吉・右衛門佐編」)となっており、まだその途中。
吉宗の時代から家光の時代へと戻ることになるが、第2話冒頭に吉宗が御右筆の村瀬正資の部屋へ入ってきてのやり取り。村瀬はこの奇妙な大奥についての発端から記録をしているという設定であり、その記録を吉宗が見るという形でドラマの舞台設定は時代をさかのぼることになる。この二人が狂言回し的役割を担うのだろう。
第3話の終盤でなにやらやっと盛り上がってきた。家光と有功が結ばれる。どちらにも感情移入のしようのない、時代が異なるうえ、設定もSFであり、さらにこの二人の異様なほど過酷な人生、ながらその悲惨さを庇い合う形で結ばれる。と、吉宗、村瀬の場面となり、村瀬がその恋に感情を入れて「なんとも悲しく美しいおふたりでございました」と喋るも、吉宗はリアリストで冷めた調子で、「これでは記録ではなく読み物ではないか、(村瀬の喜んだ調子を見て)褒めてはおらぬ」をボソッと言うあたりの緩急のつけ方も良い。
字幕オンでは第1話で水野祐之進が黄色だった。そして第2話以降、万里小路有功が青。最初の内は編が変わるたびに、主役が黄色になるのかなと思ったが、そうではなくシリーズ通じて色付きが3人。その3人はちょうど編は3あるので、男性側の主役が色付きとなっていく、つまり右衛門佐というのが緑となるものと思われる。主役は将軍のほうのような気もするが。
斉藤由貴が徳川の治世を終わらせてはなるまいという狂気の春日局役で異様な迫力
番組最後の阿佐ヶ谷姉妹が感想を言い合うトークコーナー「大人の大奥サークル」。第2話から始まったが、その始めで、特に挨拶もなく二人が感想を言い合うところから始まっており、ひょっとしたら、第1話にもそれがあったのかもしれず、だが第1話は通常より時間が長くなっており、そんな関係で、同じ番組枠内ではなく、次の番組枠として5分番組で放送したのかもしれない。それなら予約録画はできないわけだ。
こういうコーナーの最初の回は、どういうコーナーか説明するもので、その辺違和感だったのだ。
このコーナーは大して面白くもなく。まず阿佐ヶ谷姉妹の二人が感想を少し言い合い、その後は大奥についての小ネタ紹介を専門家(歴史作家 河合敦)が解説するというもの。ここは別番組枠なのか、字幕オンの色付きで、ナレーションが黄色、河合(緑)と阿佐ヶ谷姉妹の渡辺江里子(青)が他の色という風になっていた
(※見直してみたら阿佐ヶ谷姉妹の感想の後に、タイトルコールとその趣旨説明的な慣れレーションが第2話のみあった、やっぱここが初回だろう。そもそも第1話だけ番組枠外ということは変だしね。第1話のみ60分、他の回は本編が45分でこの「大奥サークル」が5分。1時間番組で22時-23時までやった後にその余興みたいなものを23時から5分やるわけがない)

※追記 同日 第4話
前に書いたことの繰り返しにもなるが、この異様な設定にはまったく惹かれず、またその設定ゆえに感情移入のできる登場人物がひとりもいないので、ストーリーにも本来まったくノれないような作品なのだが、その割にストーリーはうまくできてる。面白くないのに面白くできてるという言い回しになってしまう。
どうやってその女性上位の仕組みができたのかが、この「三代将軍家光・万里小路有功編」で描かれそうで楽しみと前に書き、特に武士階級でどうそれが成立するのか、町人はなんとかするだろうし、できそうに思え、そこら辺に興味があったが、この回でそのおれの疑問そのものともいうべき場面があった。春日局が時代から取り残されていくと村瀬が言う場面の後だ。で、その後の展開、この回の最後に女が家督を相続することを許すと上様が宣言する場面に繋がっている。
三人の主要人物、とりわけその中でも、春日局と上様は悪役じみて登場してきたが、最終的にはみなわかり合い、みないい人みたく決着。それも強引でなく自然な感じに見えて、うまく作られてるというのはその辺だ。
「三代将軍家光・万里小路有功編」はもう終わり間近という感じ。次回はそのまま次の「五代将軍綱吉・右衛門佐編」に入る。この回の阿佐ヶ谷姉妹のコーナーで玉栄が綱吉の母親という話をしていた。作中人物は全部史実の中にモデルがいるらしいのだが、そんな風になってるとは思わなかった。この玉栄は、史実では桂昌院で綱吉の母。玉栄はまだそんな素振りを見せておらず、次回はその辺が描かれた上で「五代将軍綱吉・右衛門佐編」になだれ込んでいくのだろう。

※追記 同日 第5話まで
思った通りこの回の最初に玉栄が家光のところに上がるという件。
この回のちょうど真ん中あたりから「五代将軍綱吉・右衛門佐編」。その最初のところで、雰囲気が変わったことを強調するためであろうか、阿佐ヶ谷姉妹が町人役として登場して、五代将軍綱吉についての噂話をするという形で物語の前提を説明。
右衛門佐が字幕オン色付き、緑

※追記 9/25
第6、7話
「五代将軍綱吉・右衛門佐編」を最後まで。
相変わらず面白くはないのだけど、でも面白い作りにはなってると感心という状態が続く。
この「五代将軍綱吉・右衛門佐編」は前の「三代将軍家光・万里小路有功編」より地味目である。メインに山本耕史が登場し、これまた癖の強い俳優でこの癖の強い作品に合いそうで登場のところはやってくれそうな雰囲気でもあり、だが意外にも大暴れというほどでなく、この編はたった2回半なのに、中だるみというか途中で話は停滞し、よく考えてみればこの山本の右衛門佐ってさして活躍してない、というか綱吉と結ばれてさえいないじゃんか、と。でもまあそれは仕掛であり、終盤にこの二人がやはりわかり合い結ばれるという風になっていくあたりに感心。
山本耕史は冨永愛と同じような意味で出てきたところで良いキャストのように思え、そして二人ともいい意味でその期待通りではないところも似た印象である
字幕オンでの色付きは男で統一されてるが、キャストクレジットでは、この編では綱吉の仲里依紗がトップで山本は二番目。「三代将軍家光・万里小路有功編」では、福士蒼汰と堀田真由がトップで並記だった。
今作品のテーマは性、つまりセックスであり、またセックスを伴う後継を産むことの壮絶さ。この編でも色狂いとされる綱吉が実は、子供を作るプレッシャーと戦い、色狂いと見せかけていたという風なことを吐露する場面もある。まあ白か黒かみたくとらえるよりは、色狂いというの見方、つまり綱吉(今作品の中の)が異様なほど好色という面もあるし、だけどその裏ではそういうプレッシャーもあったということだろう。
さて、ここまで見て。「三代将軍家光・万里小路有功編」までを見て、セックスがテーマということながら、その描写はもちろん控えめで、そのもの(例えばキスだとかもその口元が見えないような感じの映像だし、行為に関しては始まりそうなところで終わる)みたいのは映さない、というあたりが良いと思った。またセリフでは、セックスに色々な言い回しがあり、その言葉を直接使わず、といっても時代背景からセックスなんて言葉はなかったにせよ、だけどセックスのことを話題にし続けるあたりが面白いと思った。
「五代将軍綱吉・右衛門佐編」ではセックスについての演出では比較的激しい描写がいくつかあり、そこらへんはちょっと前の編とは異なる。
コンプライアンスのためと称して、いまテレビはどんどん表現の範囲を狭めていて、昔より狭まった境界のそのギリギリあたりを攻めている感じで、それは昔のものからすれば、生ぬるすぎるのだけど、まあそのものを映せばいいってもんでもないしね。というか、そういうのは余計であり、ここでは見たくないなと視聴しながら思ってた。見たけりゃそのもののエロ動画なんていくらでも見れるわけだし、そもそも自分の年齢が上がり、そういうのはもういいや、という感じ。
そう考えるとかつてのテレビや一般映画で、女優のヌードとかって何だったんだろうと思う。視聴率だとか客を呼び込むためとかであり、また脱がせることが監督の実力みたいな言われ方もしてたようだが。
でも一方で映像文化として、例えば映画とはなにかというときに、美しいものを映像にするとかがあり、それの対象として女優の裸だったり、交合している姿だったりするのかもしれない。
面白くないけど面白い、のために微妙にバンバン見進める気分にならず、今日はここまで。
続きを見るのが楽しみでなく、またこれ見終えたらすぐ忘れるだろうな。現に第1話で吉宗と水野の間でどんなことがあったやら覚えていない

※追記 9/26視聴 第8ー10話
これまでと趣が異なり、吉宗一代記のダイジェストというか、大きなエピソードを淡々と順に描いていく感じ。また、大奥との攻防というのがこれまでのテーマであったが、そこら辺が非常に薄い。まあ第
1話でそこら辺はやっており、第8話でも大奥の状況が描かれるが、第9、10話ではほとんど大奥の内情的なことは描かれない。
字幕オンでの色付き、黄色は水野、名前を変えて進吉となっているが、そこは第1話と変わらずで、また大奥に上がってくるのかと思いきや、そんなこともなく、薬種問屋の主として吉宗を支える立場としての登場となり、その再登場、杉下や藤波との再会の場面などでは劇的に描かれるものの、はっきりいって影は薄い。
むしろ杉下が、ずっと大奥に勤め、最終的に総取締となっており、吉宗の娘を育てたこともあり、最後は吉宗と夫婦のようだなどと言われながら死んでいくという形で目立っている。
ここまでサブタイトルに書かれた将軍と男性側主役の二人と、さらに将軍側に近しい一人、という三人がメインという形、「三代将軍家光・万里小路有功編」では、斉藤由貴、「五代将軍綱吉・右衛門佐編」では倉科カナ、そしてこの「八代将軍吉宗・水野祐之進編」では貫地谷しほりであるが、男性側主役が、多少水野祐之進の影が薄く、まあかといって杉下が主役を取ってかわるというほどではないが、ちょっとあやふやになった感じはある。それは大奥のこと、つまりは性のことが描かれなくなっていったことも原因かと思われる。杉下が吉宗に誘われる場面というのはあるにはあるけど、そこは種無しだといって断りすぐ終わっている。
この編でほかの注目は小川笙船の片桐はいり、そして、大岡忠相のMEGUMI。どちらも見ただけでは演じているのが誰かわからなかった。特に前者、一瞬片桐はいりかなと思ったが、男に見えた。
第8話では吉宗のアスペっぽい対応とそれを指摘しつつ止めていく藤波の場面が印象的、すなわち、大奥は種付けの場であるのに違いないのだが、そこをそうでないかのように飾って、男女の恋を演出しているのに、あからさまにそう言ってしまう上様、もう少し大奥の男に情をかけてくれ、と。
第9話以降は世継ぎ問題。ここで出てくる吉宗の娘たち、三女は子役だから仕方ないとして、他の二人はそれなりの役でもあり、有名な人かなと思ったが、両方とも知らない名前だった。
家重、三浦透子。宗武、松風理咲。前者は障害があるという役でアホ面、おれは柄本明の息子のどっちかかなと思ってしまった。後者はそれに対比して目鼻立ちのくっきりした美少女で、こちらも名のある人かと思ったが。
大岡忠相が登場してくると、大岡越前なんかでも描かれるエピソード、小石川養生所など、が多く、見やすい。忠相は吉宗の配下という風に描かれ、メイン三人衆に入るほどでなく、最初から存在感抜群だった貫地谷しほりの加納久通がやはり終盤に見どころがあり、吉宗を将軍にするための異様なほどの工作が明らかになる
第10話の最終盤にシーズン2への布石がガンガン登場してくる。そして最後にシーズン2が10/3から始まる告知があるところを見て、あれっひょっとして、最後のほう作り替えたのかなと思ってしまった。だって、その布石というのはよくわからない新たな登場人物が出てきており、それがクレジットで「旅人 鈴木杏」などと出てきて、それについては、この回としては誰なのか何なのかわからないまま投げっぱなしで謎のまま終わるのだから。最終回としては変すぎ。
一番最初に書いたが、最初の放送の時、第2話以降は録画してあり、第10話はそれが放映されるまでは残してあったので、もう少し削除するのを待てばよかった、残念、と思った。
で調べてみたが、まあすでにシーズン2を作ることは確定としての登場だったようで、そんな記事がいくつか出ている(※)
(※)見直してみたら、これは作り替えでないなと思えることがいくつもあった。そもそもクレジットにそのシーズン2キャストの名前、鈴木杏など、が入っているのもそう。クレジットのところを改変なんかするわけがない。また10/3から始まるという告知については、「シーズン2乞うご期待」という黒画面白抜きの部分が画面としてあり、そこに10/3スタートを被せた感じになっており、「シーズン2乞うご期待」のほうは前回放送時にもあったものであると想像できる。
第1話ではキャストクレジットで中島裕翔がトップ、冨永愛はキャストクレジット終盤の塊(トメといっていいだろう)の中の最初だったが、第8話以降では冨永愛がトップ、中島は入れ替わるかのように、キャストクレジット終盤の塊のトップだった。
吉宗と村瀬が狂言回しになってると前に書いた。ゆえに二人は毎回登場しており、その際のクレジットは確か中盤に一つの塊があり、そこに出ていた。
その狂言回し的存在としてのふたりが演者となる「八代将軍吉宗・水野祐之進編」ではナレーション的なものを若い村瀬役の岡山天音が勤めているようである。そしてこれは考えてみると吉宗と村瀬が狂言回しになってることを踏まえたもののようで、「八代将軍吉宗・水野祐之進編」では吉宗と石橋蓮司の村瀬が演者であるから、村瀬の若いころを担当した岡山天音がその狂言回し的にナレーションをやっていると考えられる。一方で、それ以外の編ではそのナレーション的なものがない。しっかりと確認をしたわけではないが、石橋蓮司がナレーション的なことをやっており、そのままそれが吉宗と村瀬の場面になるという演出があり、それ全体が吉宗と村瀬による過去の振り返りなのだということを思い起こさせる演出で、それを見て、岡山天音のナレーションの意味がわかったような気がした

変に思えた箇所を二つ。
ひとつは難癖だ。
小石川養生所ができたが、無料で診療など幕府がそんなすばらしいところを貧乏人のために作るわけがない、あそこでは薬草を作ってるらしい、実験台にされると噂が立ち、一人も訪れないという場面。この話の構成からしたら、小川笙船がまず多くの患者を引っ張ってくるだろう。人物的にも善玉扱いだし、作り物であるドラマとしたら、まず小川先生が患者を連れてきて、それでも診療所は空いていて、患者を治したら、そんな噂も立って、閑古鳥としたほうがよさそう
もう一つ、こちらはうーん、自分の見間違いなのだろうけど、なんか腑に落ちない。
「五代将軍綱吉・右衛門佐編」の最終盤、第7話の中盤以降だ
綱吉が右衛門佐に「そこまで言うのならあの日私を抱いてほしかったがな」というセリフがある。その後綱吉が右衛門佐に身体を差し出さずに力を得てみたい、とどのつまりは父(桂昌院、欲得ずくで綱吉を利用しており、それを綱吉は慈しみとすり替えてすがっていると右衛門佐が綱吉に向って言っており、それに対する言葉)と同じだと喝破するセリフに繋がっていく。
で、このふたりの対話の場面に続くのが、綱吉とともに閨に入った男が暗殺しようとし、という一騒動の後で、ついに二人が結ばれる場面で、その後二人の死の場面となり終わるというハイライトシーンだ。おれはこの二人が結ばれる場面を「あの日私を抱いてほしかったがな」の回想シーンと見間違えたのだ。あれ? 抱いてほしかったって言ってるけど、抱かれてるじゃんとなってしまい、見間違えたかなと再度見直してもやっぱり回想のように見えるのだ。
一方性の演出はそのもの自体は避けられていて(この編ではそれなりにそのもの自体が演出されてるけど)、ここでも二人が結ばれたのかどうかそのもの自体は映っておらず、だけどどう見ても結ばれたという演出であり、おれの観方が悪いのかとネットでこの回についてを検索。
「あの日私を抱いてほしかったがな」があり、閨での暗殺未遂、そして二人が結ばれるという順番となっていて、そうか、回想じゃなかったのかとおれの見間違いに気付く。
でもなあ、それならもっとはっきりと場面転換をしてほしいような。大袈裟に言えば、「その数日後」、だとか「数か月後」とかのテロップを入れる、もしかしたらその後ずいぶん経っての出来事なのだとしたら、年号を入れたり、二人を老けメイクにしたりとかはっきりわかりやすくするという趣向もあろう。
なんで見間違えたか。回想場面というのはその人の顔がアップになり、ちょっとぼやかした映像から始まるというようなことがあり、また音楽がそのまま続くというのも、その場面の続きということを思わせやすいのだが、ここでもそんな感じなのだ。
ただ、見間違えるわけなかろうという面から見てみると、「そこまで言うのならあの日私を抱いてほしかったがな」の後に、その「あのとき」の回想場面がちゃんと挿入されていて、ということはある。その回想場面の後も二人の会話が続き、その後がおれの見間違えた次の場面への転換だった。ただ、おれはその回想がどの場面のことか忘れており、であるから、「あのとき」ってどのときだろうとちょっとモヤモヤしていたという点が見間違いの原因であろう。最初の回想場面に続き、「あのとき」がよくわかる詳細な回想場面に入ったように思ってしまったのだ。

「大人の大奥サークル」
結局全部見た。結構参考になる話があった。登場人物の相関関係のことなどで。
感想を言い合うコーナーと書いたが、よくよく見直すと、まず冒頭で二言三言やり取りがあり、その後なにかテーマを設けて解説で、解説のほうがメイン。冒頭の感想というのは、ドラマ受けというのが流行っているからそれを模倣してということだと思う。




VIVANT [連ドラ]

堺雅人主演、前評判もかなり高かったから録画
しかし開始後、その評判は予想以上のものとなっており、またおれが毎日聴取しているナイツのラジオでナイツ両人特に塙が激ハマリで、逐次視聴に切り替えたい誘惑も少しはあったが、その一方で内容を少し聞いて、おれがはまれるかという疑問も。
まあとにかく第1話を視聴開始
いまは第1話の途中まで。1話は時間延長版で2時間弱。おれは1時間くらい視聴したところ
いまのところ「うーん」といった感じか。まあこれから意外な展開、どんでん返しがどんどん出てきて、今の作風とはまた異なってくるのだろうけど。
そういや第1話あたりで塙なんかも含めて評価としては映画並みの予算をかけており、それに値するようなアクションシーン満載の作品とのことで、そもそもおれもいま見ているが、爆破シーンカーアクション、外国舞台、砂漠からの脱出、とかそういう類のものがおれはあまり苦手でねえ。
連ドラで話に入り込むというのは、見るのが止まらなくなる状態なのだと思うが、まだその回の途中で見るのを止められるというのは、まだまだ入りこめていない感じだな、まあ今後に期待。どうせ全部見るのだし、社会的話題にもなっており、録画も残すつもりだ

※追記 同日
第2話まで済み
第1話残り
日本大使館への逃げ込み場面は迫力あり。この場面をいいものに見せるための1時間半強だったか。
まあ第1話ってのは次回以降のための伏線を作ったり、作品世界や登場人物キャラの説明など色々やらねばならないことがあるのだけど
外国、モンゴルに隣接する架空の地を舞台としており、その現地人役を日本人が演じているっぽい。ドラムがまずそうだし、二宮和也や役所広司もそうかな(※)。まあモンゴルは日本人に似た顔のいる地域ではあるけれど。(※)役所広司は元は日本人という役か
濃い顔の日本人にやらせている。なんか昔の時代劇、現代劇にもあるかな、で外国人役を日本人でやるチープさを思い出す
その筆頭である阿部寛は日本人の役であるけど
第2話
話題の別班という言葉が出てくる
ドラムの変換器の声とナレーションが林原めぐみという声優。おれはまずドラムの声を聴いて、マイファミリーの一龍斎貞弥かなと思い調べて、林原めぐみだと知り、今度はナレーションを聞いて、今度こそ一龍斎貞弥かなと思い、調べ、同じく林原めぐみだと知った。同じ人が二役やってるとは思わなかったのだ
大使が裏切り者。登場人物誰も彼もが疑わしいとなると見るのが疲れる
檀れいが演じていたようだ。見たころあるなあ、というかむしろすぐ檀れいとわかりそうなものの、なんか見慣れたものとは一味違う顔で、そういうところは流石女優という感じ
薫は二階堂ふみという人で、かなり有名女優だがおれはこの人をあまり見たことないのかな。なんか新鮮。今ドラマ主演クラスがたくさん集められていることで話題だが、この人は自分にとっては新鮮な顔だし、さらにもう少し小さい役で出ている人にさほど見覚えのない人がチラチラとおり、そういうところで余計なこと(あれに出てた人だ、とか、この人誰だっけなあとか)を考えないで済むので酔い。が、一方でこの福澤ドラマでよく見るような顔もチラホラと、
ジャミーンという少女のため、寄り道をし、結局治療のためそこにしばらくとどまるという場面。もちろんとくに薫の今後の伏線のためということで単なるヒューマニズムでもないのだろうが、なんか白ける。ストーリー上ここにとどまることで起きる困難を演出するための場面に見えてしまう。
もしこんな場面に送風したら薫を置いて進むだろう。
そのジャミーンが治り、別れの場面、十分別れの儀式をやっただろうに、車でちょっと行った後に、再度そこから降りて駆け寄り抱き合うとかいらん場面だ。
やっと少しノれてきたか。明日が最終回放映日、できれば明日中に見終えたい。本来もう就寝前の飲酒タイムだがもう少し続けて見よう

※追記同日
第5話の途中で眠くなり、中断。この日は久しぶりに飲酒なし
第3話 日本へ帰国
第4話ラストに乃木が別班であることが明らかに
なかなか面白くならない中、乃木が別班であることがわかりようやく、という感じ。というかそれは塙のラジオでおぼろげながらわかっており、おれは登場人物が出てきた最初の肩書以外に裏の顔を持つ話のように思っていて、まあそれは勘違いかもしれないけど、この後どんどん、実は誰々の正体は何々だった! みたいなことが起きるのかな、と。

※追記5/17
午前中に昨晩途中だった第5話から第6話まで
まあここまで見て、面白くないということではないが、それほどかなあという印象。それほどという比較は世評と比してだ
日曜劇場でこれまでやってきた作品の要素を組み合わせ、さらにそこにお金をかけたという程度だ。
第6話では上に書いた薫のジャミーンへの愛情場面にどういう意味があった(肉親愛を知らない乃木が世界にはこういう美しいものがあるのだと知る)かわかるような場面があった。といってあの場面がとても良かったという風に思うようなったわけではなく、やはり白ける
そうそう、あと所々で説明セリフとでもいうか説明のための長いセリフがあるのも少し鼻白むね。これまで起きたことのまとめやトリックのネタ明かし
さて午前中にここまで見たことで、午後の2話、夜に最終回も含め2話見れば、完了できる目途
立て続けに10話程度のものを視聴しているが、全部二日間で見終えられた。

※追記
昨日就寝までこれを見ていて、今日は朝からこれを見て・・・、という具合に、なにも挟まずに見てきており、そのまま行こうと思っていたが、時間に余裕もできたので、ほぼリアタイで「日本の話芸の」の時間に放送された特別番組、志ん生を視聴。
それで思い出した、今作、何話だったかな、志ん生が出てくる。凄腕ハッカー・ブルーウォーカーの太田梨歩が部屋に志ん生などの落語CDを大量に所持。野崎がいい趣味だなとつぶやいている。まあこんなメジャーなもの(志ん生以外に圓生、文楽)を見ていい趣味もなにもないと思うが。
そしてふと思いつき、それを再生してみると、志ん生の出囃子一丁入り、が、そのCDの中に隠しファイルとして収納されているハッキングの記録が出てくる
志ん生が終わった後テレビに切り替えたら、TBSでVIVANTの総集編、株価チャートを前に堺雅人が二宮和也がストップ安を解説。いやあ、見たくなかったなあ。このふたりが共闘していく形になるのか。ネタバレをみんなが嫌がる気持ちがわかる

※追記5/17
夕方までに第8話まで視聴
結局乃木の目的は、そして結末は? というところには興味はあるが、別班を裏切り仲間を殺害してテントに入り込むという展開はなあ、どうにも納得いく結末にもっていくのが大変そうで収拾がつかなくなりそう。
そして。やはり主演は堺雅人であり、乃木の活躍がメインなのだなとわかる。乃木がテントに入ると、そこまでダブル主演のようだった存在感の阿部寛が急に出番が少なくなり、結局出ずっぱりは堺雅人だけ

※追記5/17
第9話視聴
株の信用取引で儲けようという話になり上に書いたストップ安の解説の場面。テントはテロを請け負い稼いでいたという流れで、乃木が死人を出さずに稼げるという流れで信用取引である。なんだか笑ってしまうほど白ける。そんなことできるのかとか驚いてるテントの連中もなんだかなあ。
そしてベキによるテントの歴史語り。上に書いた説明セリフの一つであり、そして最たるもの。
ラストは、ほう、そう来たか。という感じ。乃木がやはり別班を裏切っておらず、テントへ近づいたときの仲間には知らせずの潜入捜査だったという流れになってきてこの回は終わり。
まだまだ結末は気になる。
一方で、なにがイマイチなのかなあと考えてみると、感情移入がしづらいこと。上にアクションものが苦手と書いたが、これもその登場人物へ感情移入できづらいからなのだとも気付いた。
今回の場合、乃木が主人公だが、ここへの感情移入がしづらいキャラで共感がない。9話のラストで裏切っていなかったことはわかったが別班への裏切りでテロ組織へ入るという流れでは、どうにもならない感じ。
でも別班を裏切っていないとなれば、どうだろうか。最終回に期待。
テントの目的が子供の救済という風にしているのも、なんだか甘っちょろい感じ。
そして二宮和也。この人はイーストウッドの『硫黄島からの手紙』を見て非常に感心、ただのジャニタレじゃないなと思ったが、その後見るものはいつも同じような演技、いやそもそも『硫黄島からの手紙』でも同じような感じだったように思うが。なんか不貞腐れた若者というそのキャラがなんか不快なのだ

※追記5/17
最終回視聴
さすがうまく着地点ができているなと思い見ていたが、最終盤のベキが逃走して以降の橋爪功パート。そこが始まった瞬間は余計な付け足しで、あとであの場面はいらなかったなとならないかとハラハラ。特にモニターで新庄というのは安直すぎて。まあでも最後まで見て世界観壊してはいないかな。というか見てしまうと、そうか最後は息子に殺される父親というところもとても重要で、あの場面なしとはいかないか。

考察が流行ったと聞く
でもこれ考察欲が出る作品なのかねえ。

日本人俳優が外国人役をやってる件について。
上にも書いたが、意図は色々わかる。結局は日本の役者でやる日本のドラマであり、それを日本語メインでやりたい。が日本国外をも舞台にした作品でその国外場面もたくさんある。その場面を日本のお役者で日本語でやるための工夫、つまり実は日本出身者であるだとか、実は日本語ができるとかで、日本語での会話に切り替える場面などがあり、そこら辺から日本人俳優を活用しているのだな、と。でもチャチに見えるのも確かなんだけどね。
阿部寛が「テルマエ・ロマエ」でそういう役をやったときもよく見りゃさほど外国人顔ではないなあと思ったものだった。もちろん「テルマエ・ロマエ」も今作もそうは現地人に見えなくてもいいんだけどね。
特に今作は架空の国だし、モンゴルの近くだし。
そういう枠で特に気付いたのはまずはアリで山中崇。それからこれは少しだけの出番だが、第6話のバヤルで、谷田歩。この二人は見たことある人だからすぐわかった。谷田歩は日曜劇場の下町ロケットに出ている。
見終えてから、この人もかと思ったのはワニズで河内大和。この俳優は覚えがない

この素晴らしき世界 [連ドラ]

2023年7月20日から9月14日まで、フジテレビ系列「木曜劇場」枠にて放送

9/14視聴開始
まずは2話まで

見た感想は特にないかなあ

9/14最終回放映日に視聴開始したのだが、1話を見終えその最終回がちゃんと録画できたかちょっと確認してみたら、翌週に特別編とのこと。そういうのがあるなら、これ見始めるの後回しにしてもよかったし、1話見終えたけど、視聴ストップしちゃおうかなと思ったが、まあその特別編が本当の最終回ならそうしたほうがよいのだけど、ストーリー的に最終回は最終回で、特別編は番外編みたいな感じである可能性にかけて、視聴継続。
まああまり面白くなかったからここで止めても支障はないし、けどストップしたらそのまま断念ということにもなりそうだが。
ウィキを見てみると、特別編はその1年後の世界とのことで番外編的な意味あいのようで、まあとにかく最終回まで一気見継続
驚いたのは字幕オンで色付きがなし、つまり主役も色付きでない。こういうのを見ると色がついてるだけで見やすくなっていることがわかる。主演が二役だからかな
そもそもこれを録画したのは主演が若村麻由美ということへの違和感、これについては後述(※)
なおウィキにこうある「当初、主演には鈴木京香が正式発表されていたが[1]、放送開始前の5月11日に体調不良による降板を発表[3]。同月18日、新たに若村が主演を務めることが発表された」とのこと
なあんだ、代役かあ、それならまあわからんではないけど
主題歌、小田和正
これはコメディだと思うのだが、コメディに小田和正は似合わない、というか、コメディも幅広いし、これは笑いが前面に出ているわけでもないから、別に小田和正でもいいのだろうけど、まあなにが言いたいのかといえば、この作品のこの作風に小田和正の正に小田和正風のこの楽曲が似合わないという風に感じたまでだ

※追記9/15
第4話まで視聴
妙子が調子にのりはじめ、ファンの前を若菜扮装で歩くだとか、七瀬の体調不良を心配のあまり以前介護の仕事をやっていたということを言ってしまう場面。まあそうしないと話が進まないのだろうけど、わざとらしくて不自然な展開。天然で無神経に言わなくてもいいことを言ってしまうキャラと言うことなのだろうが、それがキャラなら好きでないなあ。主人公なんてのは視聴者に共感されたほうがいいのではなかろうか
色々盛り込み過ぎに見えてくる。平祐奈の育田詩乃にすごい秘密があったり、プロダクション曼珠沙華
では若菜の件意外にも自殺未遂の社員がいたりして。まあ事件がなきゃシリーズをドキドキで引っ張れないから仕方ないか

※追記9/15
7話まで
第7話で一揆に話が動き、そしてこの回の終盤と次回予告を見る感じではこの後一気に収束に向かう感じ
7話の前半までを見ると、まあとにかく盛り込み過ぎという嫌いがあり、登場人物一人一人に各エピソードがあり、それが段々と全部繋がってる感じになってくる。そういう中、妙子のうざさというのもいくらか顕著に。例えば6話にある莉湖の娘亜美の元夫が亡くなる場面、その夫婦の息子である信男は夫を覚えていないだろうから会わせたくないという亜美の頼みを独りよがりの会わせるべきという思い込みで連れて行かせる。結果はとてもよいものなのだが、それはまあドラマだからねえ。
7話での育田を帝都テレビに潜入捜査をさせるのも同じでうざさを感じる。主人公なんてのは視聴者に共感されるべきなのになあ。もちろんこれも結果的にはよかったとなるのだろう(まだなってはいないが)。それはまあドラマだから。
7中盤以降に、帝都テレビの沖野島の犯罪という件が浮上してくるところでは、またエピソード追加かいなと思ったが、それが曼珠沙華の先代や芸能界の大物が絡んだものということが明らかになっていくあたりは感心。まあ最近の連ドラの常道という感じでもあるけどね。多くのエピソード、登場人物が全部絡みあっての大きな事件の真相が浮かび上がるというやつだ。
そもそも。失踪した女優の替え玉なんてまずうまくいかなそうなことが発端としてあるので、そこを嘘だと言っちゃ見るの止めるしかないわけで、そこは飲み込んでるのだから、フィクションファンタジーとして見るしかなかろう。
で、そこは受け入れるとして、最初の替え玉案件、この作品では記者会見、がうまくいったからといって次々に色々やりだす、そして妙子は調子に乗るというのはそれにしても、なさそうな展開ではある。そこも受け入れるとして、このように替え玉という嘘を重ねると収拾がつかなくなり、というのが7話の中盤までの雰囲気であり、こりゃどうしようもなくなって破綻しちゃうというのもストーリーとしては面白いがドラマなんだからそうはならないだろうな、と思っていたところでの、7話の後半で、まあ替え玉自体は次回で白状するみたいで、そして事件も解決してという結末なのだろう、悪くない感じだ。
6話から7話あたりでは、もう一つつけくわえておきたい
妙子の旦那陽一が妙子の嘘に気付く(ラビットへの電話)という件と若菜の帰還というのが6話終盤にあり、この件どうなったのかあいまいにしたまま話が進んでいく。それも頭がパンパンになった一つの理由なのだが、例えば、若菜の帰還があるのなら、妙子の替え玉はさっさと止めりゃいいのにと思う。でもそれを知ってる曲者夏雄が止めているのであろうが。
前者は、時系列も多少ぐちゃぐちゃに入れ替えられており、陽一が妙子に問い質しのかどうかわからないまま話が進むのでモヤモヤしっぱなし。7話の終盤での息子あきらと蛍へ警察が訪問してきたのを契機に、陽一は妙子に話していなかったのだなとようやくはっきりするようになっている
※追記9/15
第9話(最終回)まで
かなりの充実。第8話、9話はどんでん返し的な意外な展開の連続で、いちいちの流れでここは変だなとかここは不自然とか思ったところが、その後のどんでん返しで否定されたり、否定されないまでも、その部分を指摘してもあまり意味はないということになってしまうような感じなので、結局最終盤の結末のみが印象に残る。
まず見てたのはセシル。この人は最終的に善玉だろうなとはここまで見てきて思わせる感じながら第8話の冒頭で一旦悪役へターン、そりゃあと2回残ってるんだから、1回はこういうことになるわなと思っていたが、なかなかその後善玉ターンしない。この引っ張りはよかったと思う。おれは、セシルは悪役なのかなあと思い始めながらも、考えてみるとこういう存在感のある若い女の子が悪役になるケースって少ないよなあ、と。
善玉としての正体を明かす場面より前に、1,2回不自然にアップになる場面があり、もう悪役のままなら用済みなのにアップになるなんて、まだ見せ場があるのかなと思っていたら、やっぱりそうか、しかも首謀者とはね。
色々ドッタンバッタンと展開する中でひょっとしてここまで全く地味な悪役側の人間としか見えなかった菅原大吉が実は善玉なのかなと思ったりもした。もちろん違った。
まあ悪役ってのはおじさんだねえ。
一人の権力者の糾弾の場面がそうそう、ジャニーズの問題を想起させる。
ただ最後のテレビ番組内での演説はちょっと長すぎ、そして終了でスタッフが拍手するのは白けた。
8話の刃月と水田夏雄の対話の場面も長すぎだな
「Mr.Summer Time」の正体は夏つながりで水田夏雄だと思っていたのだがなあ、そんなに単純にはしないか。
そうそう水田夏雄が暴露組の仲間として登場したときは、スパイかなとか思ったが、そんなことはなく、そういう風にミスリードさせようとする場面もなく拍子抜け。例えば、不自然に外部と連絡したりする場面の挿入とかあってもよさそうだし、それこそおれは「Mr.Summer Time」の正体の場面に彼が呼ばれており、正体を見てもさほど表情を変えないので、実は二人目の正体というのがそれなのかな、と。表情を変えないのは、刃月と若菜の件をよく知っているからだということがその後明かされておりわかる。


中盤までから最後にこんな風な謎解き、一発逆転ドラマになるとは思わなかった。序盤までを見て小田和正の歌が似合わないと言ったが、まあ聞き慣れたという面もあるし、ドラマの色彩が終盤で変わったので、まあまあ馴染んだようにも思えた。ピッタリはまったとはとても言えないが。
サスペンスタッチで一発逆転ものというのは連ドラで大流行り、というか、そういう作品にしか人気作はないのではという感じだが、そういう作品の場合第1話からそういう雰囲気が充満しているもので、今作のように、序盤は主婦が女優の替え玉というコミカルな展開から、終盤になっていきなりそういう色になっていくというのは珍しいのではないか

俳優について
マキタスポーツにはただただ感心。登場人物の中ではさほど上位の役ではないが、この人の場面の多くに感心。いやあうまい。
木村佳乃。おれはこの人を「後妻業」くらいでしか知らない。むしろそれだけを覚えていて、またそれが結構印象に残ってる。だから今作に出ていると知ったとき、今作も「後妻業」と同じく関西テレビなのかなと思ったくらいだ。「後妻業」ではコミカルに大阪弁を操っていたと思う。その作品しか知らないので、今作のキャラには驚いた
また、若村麻由美より主役向きじゃねとも思った
若村麻由美(※)
この人が主役の地上波ゴールデンの連ドラということ。実はそのことのみがこの番組を録画した理由。
なんとも不思議な女優。どういえばいいのかなあ。
若いころの作品を見てずいぶん感心した。御家人斬九郎、夜桜お染である。別次元にいるかのような美しさと演技。
で、この人のウィキやらネットの噂なんかを見ると、なにやらスキャンダルめいた異様な感じもある。結婚相手が宗教団体の代表で、彼が死んでから女優業を再度活発にしているのだそうだ。
御家人斬九郎の渡辺謙とのうわさなんかもある。
で、おれは以前の素晴らしい女優という印象も持ちつつ、夫との死別以降に出ている作品なんかをかなりの興味本位で見ていて、それは今作品と同じ印象だが、なんだか地味になったなあとか、なんだか普通になったなあとかそんなKな次だった。
なんというかいまだに女優をやってるというのが変に思える。別次元の演技派とその結婚相手とのことで、あまり普通のおばさん女優みたいのにおれの頭が馴染めないのだ。
しかも俗な言い方をすれば旬の過ぎた女優であり、なぜ地上波ゴールデン連ドラ主演に彼女を、ととても奇異に思えた。まあそれについては代役ということであるから、まあわかったけど。
ちなみに今作での見た目の印象、伊藤蘭、浅田美代子

※追記
09/21(木) 22:00 - フジテレビ|54分|DR
<木曜劇場>この素晴らしき世界 特別編【妙子が消えた!今度は家族で隠蔽?】[字][解][デ]
同日視聴
連ドラの特別編というのはいくつかのパターンがあり、今回のものもそのパターンのうちの一つだと思うが、ざっくりいうと新たなエピソードにかこつけての総集編ということになるだろう。
「かこつけて」という言葉を調べたら「他の何事かを要因として半ば強引に関連付けるさま」とあり、まさに「強引」というのが当てはまる
見始めたらなんか見たことあるなと思い、前回終わった後に次回予告があったけなと、前回分を見てみると、予告ではなく、本編の最後がこの回に繋がる形であるのだが、作品の舞台の「1年後」となっており、そこで例えば真由美が離婚したことなんかが語られており、それこそ登場人物のその後を軽く報告するような形のエピローグ。で、若菜が本編で語られていた1年後に始まる海外での映画の撮影を前にまたもや失踪、西條とセシルによって真由美の見ている前で妙子がラビットから連れ出される、とこれが第9話(最終回)の最後であり、1年後に妙子がまたもや若菜の影武者をやることになることが示唆されて終わっているが、この特別編はそれを新エピソードとして扱ってはいるが、それについてどうこう描かれるわけではなく、その後真由美が妙子を心配して、浜岡家を訪れ、あきら、陽一にこのことを話すも二人は心配する様子もなく、そこで真由美が色々妄想して殺したのではないかと疑い出し、育田に相談し・・・と言う風に探り出すという展開の中、登場人物が次々に出てくるたびに、その登場人物にフィーチャーした本編ダイジェストが流れるという形の総集編。終盤になるまでは、その形であり、その総集編映像のほうが新撮影部分より多いくらい。終盤だけは、その総集編はなくなり新撮影部分だけで構成されてはいるが。
そしてその新撮影部分、これがなぜか恐ろしくお粗末なもの。でもそういうお粗末なものになってるのは理解はできる。今でもあるのか、連ドラで、その本編に連動してウェブで10分ほどの番外編のようなものを配信することがある。そういうものにも色々なパターンがあると思うが、そのうちのひとつで、主役は出ていないで、作品の脇役が主役になり、作品のテーストもかなり異なるものということがある。で、その出来は同じ人が作ってるとは思えないくらいの雑なものというのを見たことがある。いや、多分制作、つまり監督、演出している人がそもそも異なるのだろうと思うが。
で、今回の特別編もそれくらい出来に差があった。まあこちらは多分作ってる人は同じで、でもここは総集編にちょっとだけ添え物として作る新撮影部分ということで、本編も作り終え解放された気分で作ったおまけということなのだろう。


しずかちゃんとパパ [連ドラ]

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2023年7月25日より9月12日まで、地上波のNHK総合『ドラマ10』枠にて再編集版が放送された
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これは昨年NHKBSで放送されたもので、比較的評価が良かったと記憶にあり、それが今回地上波NHKのほうで放送されることになったとのことで、まあ第1話放映前あたりに気付いたこともあり録画していた。別に見れなきゃ見れないでいいんだけどさ。
第1話視聴済みの時点
ウィキのよるとこの地上波版は再編集版ということで、放送時間が各回4分短くなっている。主題歌が「上田正樹「You are so beautiful」」なのだがこの地上波版ではカットとのこと。ちょっと残念
今週は録画している連ドラが次々と最終回となるようで、HDの残量のこともあり、どんどん見ては消し、ということをしなくてはならないのだが、その連ドラ視聴ウィーク第1弾。
というわけでちょっとせかされた気持ちの中で見ることになったこともあり、なんとなく気乗りせず。
聴覚障碍者を扱ったものであり、なんだか優等生ぶった意識高い系のような雰囲気が、まあおれの偏見だろうが、第1話序盤に感じられ、なかなか入り込めず。連ドラは入り込むまでが勝負、入り込んでしまえばあとは一気にノって見れるのだが。
主演の吉岡里帆、優等生なのにエロさを感じるという雰囲気で好きは好きだが、ここではなんだか過剰な演技で嫌な感じ。でもまあ難しい役だし、どういうのが正解かわからん。そして、そもそもそういう過剰さを出していしまう女の子の役ということでこれはこれでうまいのかもしれない
鶴瓶もなんだかわざとらしい演技に感じたが、こちらはさらに難しい役でもあり、どういうのが正解なのやら。
で、この回の中盤、静の圭一との接近の場面、ケバブ屋のあたりから、ようやく話に入りこめた。もう安心か。

※追記
同日は第6話まで視聴
連ドラを一気見するいつものペースなら余裕で全部見れたように思う。まあ、いま猛暑で体力がないとか、そもそも以前のような勢いで見れるような気力もないとか色々あって、感覚としてはゆったりめで視聴して、ここまで見れた。
面白かったかといえば、まあそうでもない。まあこんなもんか、とかありきたりというか、見たことある雰囲気だとか。NHKのドラマらしいなあと思うような箇所も多々。
いいなあと思った場面は2話、5話のラスト、そして6話静が長谷川真琴に怯える場面
2話のラストは、静の子供時代、学校の音楽会での合唱で、静がパパのために手話で歌うということがあり、それをパパは気に入らなかったのかと静はずっと思い込んでいたのだが、そのビデオを見返して見て、パパが泣いて喜んでる姿を発見
5話のラストは木村多江演じるさくら先生の息子にパパが会いに行き、その画像をさくらに送る場面で、まさに鶴瓶のタレントキャラ(家族に乾杯やそもそも鶴瓶が街中で庶民と触れ合うエピソードなど)どおり
6話はプラムでの真琴と静の対決の場面での吉岡里帆の演技、蛇ににらまれた蛙のような。
この真琴という女性、悪役として登場しならがもこの回の最後で和解となる。なんとなくそういう雰囲気はありながらも登場のところでは完全な悪役かなと思っていた。まあ完全な悪役というのは出てこないか、出てきても大袈裟な戯画的キャラであることが多いのがこの手のNHKドラマ。ヒロインの相手役の男が名前は知らないがジャニーズの人であることから、「これは経費で落ちません!」を思い出していたのだが、悪役の扱いもこんか感じだったように思う
聴覚障碍者の父の世話というのがまず全面に出てくるテーマで、さらには今ドラマのヒロインであるその娘とその相手方となる男性が二人ともコミュニケーションに相当問題があり、が、少なくともヒロインのほうは、そのまま、ありのままでいいんだよと肯定されていくという内容
ヒロインの相手方道永圭一は母親の溺愛ぶりに問題があり、鶴瓶の相手役として学校の先生鈴間さくらも息子に毒親と言われるその関係に悩んでいる

※追記
9/13最後まで視聴完了
さすがの鶴瓶、俳優、落語家としてのキャリアを至る所で感じさせる芝居
第7話のプラムで楽しくやりながら突然泣き出す場面、さらにそれに続く静との場面。
さらに8話での静にバカにするな、おれのせいにするな、お前自身がこの町を離れるのを怖がってる、お前の臆病を俺の耳のせいにするなと言う場面。
第8話ラストの声を発するのは想像できたが、もうちょっと感動的にやるかと思ったら、ドタバタした場面での発声でそれはそれで効果的なエンディング
主題歌が第7話と8話でかかる。
苦言
静の町にスマートシティ計画というのが持ち上がるというのがストーリーの発端。その担当者が道永圭一。その町の商店街を残す、そしてその歴史の詰まった優しい町を残すということを目的に圭一は計画の修正に向けて努力し、町の人をも説得していくという風に話が進んできたのに、終盤、第6話あたりから、そのプランBからプランAという血も涙もない計画、全員を強制退去させ、今の町を一掃して新たな町をつくるという実験に計画が変更されるという流れになる。
おれはこれを、圭一、さらにちょうどその回あたりから善玉ターンした真琴らがその計画変更を阻止するみたいな感じになるのかと思いきや、そんなことにはならず。プランAを受け入れさせようとする圭一、それに計画するパパ、しかしその中身が視聴者を納得させるようなものになっておらず、なんでそんなもん受け入れるの、という感じのまま、話が進行、結末に向かうのがなんとも解せない
ならさ、プランBからAに変更するなんていうストーリーはまったく必要ないとしか思えない。
理想の都市を作るために今そこにいる住人を犠牲にするなんて考え方は、当の住人からすればまったく受け入れられないもので、圭一「損失になります」康にぃの父「誰の損失だよ」というやり取りがあるが、まさにその通り、業者の損失なんて知ったことでないし、社会の損失だとしたら、それは行政がしっかりケアしなくてはならない問題で、ドラマでそちらの方向性を善としてしまう(善玉登場人物が推し進めるというのはドラマ的には善であろう)のは変すぎる。
その後はパパが圭一に「実験場になります」なんて言葉を見せられ、「この町は未来に撒く種になります」なんて言葉に説得され、それを住人に自分の言葉として説明し、説得している。ほとんど洗脳されて悪の手先になってしまったかのようである

番組最後に少女の写真が出てくる。その少女の写真は段々成長していくのだが、第4話のところで気付いたが、これが吉岡里帆の写真、最終回では鶴瓶とのツーショット

なにかそれ専用の道具を使って筆談をする場面が多くあるのだが、ふと、この書かれた文字って鶴瓶や役者当人が書いてるわけじゃないよなと思い、ちょっと気になりだし始めてしまい、静止画像などで見比べてみた。
書いている場面は顔は映ってなくて手元だけだとしても、それは当人なのだろうし、それはそうと仮定してみて、そういう手元の映っている文字を書いている場面と、書き終わったものを見せている場面で比較してみた。
第2話。音楽についてパパがさくら先生に語る場面
異なってました
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NHKといえばジャニーズの俳優業について
「これは経費で落ちません!」でもヒロインの相手役がジャニだった。
昨今話題になってるジャニーズ
そのこととは関係はあまりないが、ずっと気になってたことがある。そうそうおれの大嫌いな、意見にはひとつも賛同できない人で、茂木健一郎という人がいて、また注目を浴びたいがための投稿を行っている
「ジャニーズにだまされないで」茂木健一郎が批判も物議 過去「国民的アイドル」と称賛...「見事なまでの手のひら返し」
>「ジャニーズを聴くんだったら、モーツァルトやビートルズ、ボブ・マーリーを聴いた方がはるかに深く世界に通じる教養が身につく」
ここで出す名前が笑 ボブ・マーリーの名前出すなよって思う。

なのだけど。実はおれも似たようなことを考えており、アイドル、とりわけジャニーズなんてお子様向けのものだろと思っている面がある。
おれは小学生高学年くらいがたのきん、松田聖子のあのアイドル黄金期で、影響を受けないわけはない、が、一方で大人の目を窺ってもいたので、それが子供向けのまったく価値のないものだみたいな意見も、自分が大人ぶってそうだそうだなどと思っていたこともだった。
いま振り返っても、あの時期が黄金期で爆売れしてたことはわかる(そもそもおれが好きになったものの多くは振り返ってみると、その当時急激に売れたブームになったものというのが多い、洋楽、バンドブームなどなど)
その考えが根底にあったからか、その後青年期になって以降のジャニーズにはその考えで見ていた。もちろん年齢的にもそれらに夢中になるわけはない。少年隊、光GENJI、そしてSMAPとそれ以降である。
で、事務所の勢力拡大の考えもあったのであろう、その後、アイドル、歌と踊りだけでなく、俳優業やキャスターなどの分野にまで、当たり前のように出てくるようになり、さらに、もう一つ、それらや過去のジャニーズ作品を真っ当に扱う風潮までが出てきておりこれがとても嫌な感じ。
後者は例えば、たのきんのヒットした楽曲を作品として見るような番組、それこそカセットテープミュージックもそうだし、関ジャムもそうだ。
まあヒット曲だし昔を懐かしむ意味でも面白いし、それが実はどういう楽曲構造になっていて、これぞプロの仕事と賞賛されてるのも納得はいくものであるが、ジャニーズ賞賛に繋がってるようでキモいなという思いもあった。
キャスター業についてはキモいの一言。まだ成功している分野でなく、だれも成功はしておらず、今回の件もあり、今後は首だろうとは思うが。東山のニュース番組では彼が突然の降板後、そのニュースを扱わなかったとのことで笑止千万である
という長い前置きで俳優業。
ここがおれにはどうにもやもや。ここについては認めざるを得ないようにも思う。ジャニーズ所属や、元ジャニーズで相当にうまい部類の人が何人もいる。草彅剛だとか岡田准一だとか、二宮和也だとか。それでも全面的に信頼できる感じではないのだけど
キムタクなんかはつまらんと思うが、それでも金を取れる俳優ではあろう。
たのきんあたりになると俳優業はまったくダメだったと思う。おれはたのきんのただいま放課後なんての好んで見てたのだけどね。子供心になんだこれ笑という気分でもあった

ジャニ俳優はスタート時点で下駄をはかせてもらってたり、キャスティングで優遇されてる面はどうしたってあると思う。
もちろんそこで実力がなければ沈んでしまうのだろうが。
なんてことを今回のキャスティングを見ても思う
今回の圭一の演技については・・・、単調に見えたがまあこういう無表情のキャラというのはそもそも単調なのだろうし、うまいのかどうかはわからん
まあでもこういうのはなくなっていくのだろうか。視聴者集めのためには仕方ないのだろうか

それにしてもジャニーズ。ジャニー喜多川ほぼ一人で作り上げた、少なくとも人材集めに関してはそうだろう、それが男性アイドルグループとはなんともおぞましい