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大奥(NHKのテレビドラマ) [連ドラ]

今年1月~3月放映のもので、始まったころの評判を見て、面白そうだなと録画を始めた。が、録画できたのは第2話から。たしかNHKの連ドラは各回放映後、次回放映までに再放送もあると思うが、それも録画を逃したのだろう。で、評判は大層高いことからすぐ再放送、例えば放映中に話題になってるから、そこまでを一挙放送とかやるかなと期待していたのだが、そういうのはなかったようだ(確かそのころは毎夕の録画予約のための作業時に「大奥」と入れて毎週検索していた)
で、最近ようやく再放送が始まり、そこで第1話を録画したらすぐ見ようかと思っていたのだが、なんだか見る気力が萎えており、また、再放送では時間を5分延長し、阿佐ヶ谷姉妹が感想を言い合うトークコーナーが挿入されてる(第1話にはなかったから次回からだろう)らしく、中盤まで録画を終えたころには、どうせなら、それも見ることにして、それなら再放送版を全部録画せにゃならんなあ、と結局再放送を全部の回録画し終えるタイミングで見ようということにして、今日見始めたわけだが。
再放送日程7/23-9/24 NHKBS103
この再放送は、シーズン2(10/3スタート)に先駆けての再放送とのことで、そのこともおれは知っており、ゆえに見始めたところで、どうせならシーズン2も全部録画してから一気してもよかったのでは・・・、とそこで見るの止めようかどうしようかとちょっと悩みながらも、結局うだうだと第1話は視聴完了。
というのも、第1話のとくに序盤あたりだが、見ながら、あんまり面白くなさそう、というか、おれの好みの題材ではない、いやむしろ大嫌いな題材だなあと気付き、どうもこれはノれないなあと思ってしまったのだった。
その題材ということについてだが、いや、見始めて気付いたわけでなく、見る前から知っていたことで、じゃあ、本放送の最初のころの評判を聞いたとき、そういう題材だと知りながら面白そうと思ったんじゃないかと言われそうだが、その辺はよく覚えていない。
その題材とは、つまり男女の役割が入れ替わり女性上位社会になってると言う件だ。
子どものころの記憶。多分小学生高学年か中学生のころ。家にあったんだと思うが、ポルノ小説があった。性に多感の時期で、おれは週刊誌やスポーツ新聞に掲載されてるようなエロな文章がむしろ画像なんかより好きという変な子であり、そのポルノ小説も読んでみた。それが実験的というかなんなのか、男女の役割が入れ替わり女性上位の世界が舞台になっていた。とても興奮なんぞできるものではない。どういうつもりであんなの出版されてるのやら。確か外国産で翻訳ものだったはずで、登場人物がみなカタカナだった。ジョンだとかパーシーだとか、そんな感じじゃなかったかな
最終盤に一瞬、現世界、つまり男性上位の社会を登場人物が見ることになり、が、それは一瞬のことで、「夢か」みたくつぶやいているシーンを覚えている。
で、まあそういう社会は性に多感な少年にとっては女性が覆いかぶさってくるわけだから恐怖でしかなく・・・、そしてこれを見始めてそのことを思い出したのだった。
どういう意図でこんなもの作ってるんだろう。と思う。
ここからは内容とは外れるかもしれない、自分がそういうテーマだと気付いてから思ったことである。多分男性上位の社会の中での女性の苦しみを、逆転させることによって、男性が下位である苦しみを見せることによって、これだけ女性は苦しかったのだということを言いたいのかなと思う。そして、ということは見る際には、いちいち男性と女性を、逆転させて考える、例えば男性の主人公水野が置かれてる立場は、本来は女性が受けていた役割なんだぞと、いう風に。で、見ているうちに結構それはいちいち面倒だなあと、ここら辺も嫌気が差した理由。まあ、嫌気の第一は、そもそもの男女逆転のことなのだが。
多くの時代が描かれるようで、またこの第1話では吉宗が登場しているが、第2話以降は時代をさかのぼってのエピソードで、吉宗が登場するのはシリーズ後半という構成なのだが、まあとにかく第1話。吉宗を演じるのが冨永愛で、これまた適役というか、なんというか。今作品の宣伝でずいぶんインタビューなどで番組出演していたようで、この作品と言うと彼女が連想されるくらいの主役なのだが。
まあ彼女のイメージというのがこれがまた、個人の見解だが、一切性欲をかき立たせない美人とでもいうか、すごい人気らしいのだが、その人気の意味がわからない、新しい時代の人という感じだ。まさに男性に覆いかぶさって恐怖を感じさせるというのにうってつけであり、だから一方で嫌悪感が先立つ、まあおれにとってはだが。
意識高い系とでもいうか、男性上位社会に異議を唱えるという作品の趣旨にもピッタリである。
さて男性の主役、あれ、この人ちょっと前に見たじゃんということで、中島裕翔。しずかちゃんとパパでのヒロインの相手役である。NHK御用達なのかねとうんざり。そしてこの人選の方も興味深く、今話題のジャニーズ、肛門性向をさせそうになる描写が今ドラマにあり・・・、急にシーズン2ってもしかして放映延期にでもなったんじゃないかと、すぐ検索してしまったくらいだ、そんなことはなかったけど。
まあこの題材とジャニーズの連想と言うのはたやすいことで、美男を性交のために集められた大奥というその設定はジャニーズ事務所内での性加害問題の本質そのものである。見ていてドキドキ。
極めて性の連想を掻き立てられる作品である
作品の中盤以降はまあ面白く見れて、あれこの後どうなるのかなと思ったところで終わるかと思いきや、一応のハッピーエンド的結末もつけられた。つまり、水野が首をはねられることになるかと思いきや、吉宗の働きで、それは免れ、町に町人として戻るという結末である
ケチをつければ、この設定の発端がわからない。いや発端は若い男子だけが死ぬ病の蔓延で、というのは受け入れるが、で、そのまま女性上位の社会になるかどうかということだ。武士階級の家がどう対応するのかというあたりが一番の疑問ではある。女が武士になるのか? とかそのあたりだ。
でも徳川時代は安定の時代でもあるわけで、だれも政府転覆は目指されず、政府主導でそういうことになるのもありかなとも思った。ここら辺が第2話以降に描かれるようで楽しみではある

※追記 同日 第3話まで
第1話は「八代将軍吉宗・水野祐之進編」だったが、第2ー5話が「三代将軍家光・万里小路有功編」(第5話は「三代将軍家光・万里小路有功編 五代将軍綱吉・右衛門佐編」)となっており、まだその途中。
吉宗の時代から家光の時代へと戻ることになるが、第2話冒頭に吉宗が御右筆の村瀬正資の部屋へ入ってきてのやり取り。村瀬はこの奇妙な大奥についての発端から記録をしているという設定であり、その記録を吉宗が見るという形でドラマの舞台設定は時代をさかのぼることになる。この二人が狂言回し的役割を担うのだろう。
第3話の終盤でなにやらやっと盛り上がってきた。家光と有功が結ばれる。どちらにも感情移入のしようのない、時代が異なるうえ、設定もSFであり、さらにこの二人の異様なほど過酷な人生、ながらその悲惨さを庇い合う形で結ばれる。と、吉宗、村瀬の場面となり、村瀬がその恋に感情を入れて「なんとも悲しく美しいおふたりでございました」と喋るも、吉宗はリアリストで冷めた調子で、「これでは記録ではなく読み物ではないか、(村瀬の喜んだ調子を見て)褒めてはおらぬ」をボソッと言うあたりの緩急のつけ方も良い。
字幕オンでは第1話で水野祐之進が黄色だった。そして第2話以降、万里小路有功が青。最初の内は編が変わるたびに、主役が黄色になるのかなと思ったが、そうではなくシリーズ通じて色付きが3人。その3人はちょうど編は3あるので、男性側の主役が色付きとなっていく、つまり右衛門佐というのが緑となるものと思われる。主役は将軍のほうのような気もするが。
斉藤由貴が徳川の治世を終わらせてはなるまいという狂気の春日局役で異様な迫力
番組最後の阿佐ヶ谷姉妹が感想を言い合うトークコーナー「大人の大奥サークル」。第2話から始まったが、その始めで、特に挨拶もなく二人が感想を言い合うところから始まっており、ひょっとしたら、第1話にもそれがあったのかもしれず、だが第1話は通常より時間が長くなっており、そんな関係で、同じ番組枠内ではなく、次の番組枠として5分番組で放送したのかもしれない。それなら予約録画はできないわけだ。
こういうコーナーの最初の回は、どういうコーナーか説明するもので、その辺違和感だったのだ。
このコーナーは大して面白くもなく。まず阿佐ヶ谷姉妹の二人が感想を少し言い合い、その後は大奥についての小ネタ紹介を専門家(歴史作家 河合敦)が解説するというもの。ここは別番組枠なのか、字幕オンの色付きで、ナレーションが黄色、河合(緑)と阿佐ヶ谷姉妹の渡辺江里子(青)が他の色という風になっていた
(※見直してみたら阿佐ヶ谷姉妹の感想の後に、タイトルコールとその趣旨説明的な慣れレーションが第2話のみあった、やっぱここが初回だろう。そもそも第1話だけ番組枠外ということは変だしね。第1話のみ60分、他の回は本編が45分でこの「大奥サークル」が5分。1時間番組で22時-23時までやった後にその余興みたいなものを23時から5分やるわけがない)

※追記 同日 第4話
前に書いたことの繰り返しにもなるが、この異様な設定にはまったく惹かれず、またその設定ゆえに感情移入のできる登場人物がひとりもいないので、ストーリーにも本来まったくノれないような作品なのだが、その割にストーリーはうまくできてる。面白くないのに面白くできてるという言い回しになってしまう。
どうやってその女性上位の仕組みができたのかが、この「三代将軍家光・万里小路有功編」で描かれそうで楽しみと前に書き、特に武士階級でどうそれが成立するのか、町人はなんとかするだろうし、できそうに思え、そこら辺に興味があったが、この回でそのおれの疑問そのものともいうべき場面があった。春日局が時代から取り残されていくと村瀬が言う場面の後だ。で、その後の展開、この回の最後に女が家督を相続することを許すと上様が宣言する場面に繋がっている。
三人の主要人物、とりわけその中でも、春日局と上様は悪役じみて登場してきたが、最終的にはみなわかり合い、みないい人みたく決着。それも強引でなく自然な感じに見えて、うまく作られてるというのはその辺だ。
「三代将軍家光・万里小路有功編」はもう終わり間近という感じ。次回はそのまま次の「五代将軍綱吉・右衛門佐編」に入る。この回の阿佐ヶ谷姉妹のコーナーで玉栄が綱吉の母親という話をしていた。作中人物は全部史実の中にモデルがいるらしいのだが、そんな風になってるとは思わなかった。この玉栄は、史実では桂昌院で綱吉の母。玉栄はまだそんな素振りを見せておらず、次回はその辺が描かれた上で「五代将軍綱吉・右衛門佐編」になだれ込んでいくのだろう。

※追記 同日 第5話まで
思った通りこの回の最初に玉栄が家光のところに上がるという件。
この回のちょうど真ん中あたりから「五代将軍綱吉・右衛門佐編」。その最初のところで、雰囲気が変わったことを強調するためであろうか、阿佐ヶ谷姉妹が町人役として登場して、五代将軍綱吉についての噂話をするという形で物語の前提を説明。
右衛門佐が字幕オン色付き、緑

※追記 9/25
第6、7話
「五代将軍綱吉・右衛門佐編」を最後まで。
相変わらず面白くはないのだけど、でも面白い作りにはなってると感心という状態が続く。
この「五代将軍綱吉・右衛門佐編」は前の「三代将軍家光・万里小路有功編」より地味目である。メインに山本耕史が登場し、これまた癖の強い俳優でこの癖の強い作品に合いそうで登場のところはやってくれそうな雰囲気でもあり、だが意外にも大暴れというほどでなく、この編はたった2回半なのに、中だるみというか途中で話は停滞し、よく考えてみればこの山本の右衛門佐ってさして活躍してない、というか綱吉と結ばれてさえいないじゃんか、と。でもまあそれは仕掛であり、終盤にこの二人がやはりわかり合い結ばれるという風になっていくあたりに感心。
山本耕史は冨永愛と同じような意味で出てきたところで良いキャストのように思え、そして二人ともいい意味でその期待通りではないところも似た印象である
字幕オンでの色付きは男で統一されてるが、キャストクレジットでは、この編では綱吉の仲里依紗がトップで山本は二番目。「三代将軍家光・万里小路有功編」では、福士蒼汰と堀田真由がトップで並記だった。
今作品のテーマは性、つまりセックスであり、またセックスを伴う後継を産むことの壮絶さ。この編でも色狂いとされる綱吉が実は、子供を作るプレッシャーと戦い、色狂いと見せかけていたという風なことを吐露する場面もある。まあ白か黒かみたくとらえるよりは、色狂いというの見方、つまり綱吉(今作品の中の)が異様なほど好色という面もあるし、だけどその裏ではそういうプレッシャーもあったということだろう。
さて、ここまで見て。「三代将軍家光・万里小路有功編」までを見て、セックスがテーマということながら、その描写はもちろん控えめで、そのもの(例えばキスだとかもその口元が見えないような感じの映像だし、行為に関しては始まりそうなところで終わる)みたいのは映さない、というあたりが良いと思った。またセリフでは、セックスに色々な言い回しがあり、その言葉を直接使わず、といっても時代背景からセックスなんて言葉はなかったにせよ、だけどセックスのことを話題にし続けるあたりが面白いと思った。
「五代将軍綱吉・右衛門佐編」ではセックスについての演出では比較的激しい描写がいくつかあり、そこらへんはちょっと前の編とは異なる。
コンプライアンスのためと称して、いまテレビはどんどん表現の範囲を狭めていて、昔より狭まった境界のそのギリギリあたりを攻めている感じで、それは昔のものからすれば、生ぬるすぎるのだけど、まあそのものを映せばいいってもんでもないしね。というか、そういうのは余計であり、ここでは見たくないなと視聴しながら思ってた。見たけりゃそのもののエロ動画なんていくらでも見れるわけだし、そもそも自分の年齢が上がり、そういうのはもういいや、という感じ。
そう考えるとかつてのテレビや一般映画で、女優のヌードとかって何だったんだろうと思う。視聴率だとか客を呼び込むためとかであり、また脱がせることが監督の実力みたいな言われ方もしてたようだが。
でも一方で映像文化として、例えば映画とはなにかというときに、美しいものを映像にするとかがあり、それの対象として女優の裸だったり、交合している姿だったりするのかもしれない。
面白くないけど面白い、のために微妙にバンバン見進める気分にならず、今日はここまで。
続きを見るのが楽しみでなく、またこれ見終えたらすぐ忘れるだろうな。現に第1話で吉宗と水野の間でどんなことがあったやら覚えていない

※追記 9/26視聴 第8ー10話
これまでと趣が異なり、吉宗一代記のダイジェストというか、大きなエピソードを淡々と順に描いていく感じ。また、大奥との攻防というのがこれまでのテーマであったが、そこら辺が非常に薄い。まあ第
1話でそこら辺はやっており、第8話でも大奥の状況が描かれるが、第9、10話ではほとんど大奥の内情的なことは描かれない。
字幕オンでの色付き、黄色は水野、名前を変えて進吉となっているが、そこは第1話と変わらずで、また大奥に上がってくるのかと思いきや、そんなこともなく、薬種問屋の主として吉宗を支える立場としての登場となり、その再登場、杉下や藤波との再会の場面などでは劇的に描かれるものの、はっきりいって影は薄い。
むしろ杉下が、ずっと大奥に勤め、最終的に総取締となっており、吉宗の娘を育てたこともあり、最後は吉宗と夫婦のようだなどと言われながら死んでいくという形で目立っている。
ここまでサブタイトルに書かれた将軍と男性側主役の二人と、さらに将軍側に近しい一人、という三人がメインという形、「三代将軍家光・万里小路有功編」では、斉藤由貴、「五代将軍綱吉・右衛門佐編」では倉科カナ、そしてこの「八代将軍吉宗・水野祐之進編」では貫地谷しほりであるが、男性側主役が、多少水野祐之進の影が薄く、まあかといって杉下が主役を取ってかわるというほどではないが、ちょっとあやふやになった感じはある。それは大奥のこと、つまりは性のことが描かれなくなっていったことも原因かと思われる。杉下が吉宗に誘われる場面というのはあるにはあるけど、そこは種無しだといって断りすぐ終わっている。
この編でほかの注目は小川笙船の片桐はいり、そして、大岡忠相のMEGUMI。どちらも見ただけでは演じているのが誰かわからなかった。特に前者、一瞬片桐はいりかなと思ったが、男に見えた。
第8話では吉宗のアスペっぽい対応とそれを指摘しつつ止めていく藤波の場面が印象的、すなわち、大奥は種付けの場であるのに違いないのだが、そこをそうでないかのように飾って、男女の恋を演出しているのに、あからさまにそう言ってしまう上様、もう少し大奥の男に情をかけてくれ、と。
第9話以降は世継ぎ問題。ここで出てくる吉宗の娘たち、三女は子役だから仕方ないとして、他の二人はそれなりの役でもあり、有名な人かなと思ったが、両方とも知らない名前だった。
家重、三浦透子。宗武、松風理咲。前者は障害があるという役でアホ面、おれは柄本明の息子のどっちかかなと思ってしまった。後者はそれに対比して目鼻立ちのくっきりした美少女で、こちらも名のある人かと思ったが。
大岡忠相が登場してくると、大岡越前なんかでも描かれるエピソード、小石川養生所など、が多く、見やすい。忠相は吉宗の配下という風に描かれ、メイン三人衆に入るほどでなく、最初から存在感抜群だった貫地谷しほりの加納久通がやはり終盤に見どころがあり、吉宗を将軍にするための異様なほどの工作が明らかになる
第10話の最終盤にシーズン2への布石がガンガン登場してくる。そして最後にシーズン2が10/3から始まる告知があるところを見て、あれっひょっとして、最後のほう作り替えたのかなと思ってしまった。だって、その布石というのはよくわからない新たな登場人物が出てきており、それがクレジットで「旅人 鈴木杏」などと出てきて、それについては、この回としては誰なのか何なのかわからないまま投げっぱなしで謎のまま終わるのだから。最終回としては変すぎ。
一番最初に書いたが、最初の放送の時、第2話以降は録画してあり、第10話はそれが放映されるまでは残してあったので、もう少し削除するのを待てばよかった、残念、と思った。
で調べてみたが、まあすでにシーズン2を作ることは確定としての登場だったようで、そんな記事がいくつか出ている(※)
(※)見直してみたら、これは作り替えでないなと思えることがいくつもあった。そもそもクレジットにそのシーズン2キャストの名前、鈴木杏など、が入っているのもそう。クレジットのところを改変なんかするわけがない。また10/3から始まるという告知については、「シーズン2乞うご期待」という黒画面白抜きの部分が画面としてあり、そこに10/3スタートを被せた感じになっており、「シーズン2乞うご期待」のほうは前回放送時にもあったものであると想像できる。
第1話ではキャストクレジットで中島裕翔がトップ、冨永愛はキャストクレジット終盤の塊(トメといっていいだろう)の中の最初だったが、第8話以降では冨永愛がトップ、中島は入れ替わるかのように、キャストクレジット終盤の塊のトップだった。
吉宗と村瀬が狂言回しになってると前に書いた。ゆえに二人は毎回登場しており、その際のクレジットは確か中盤に一つの塊があり、そこに出ていた。
その狂言回し的存在としてのふたりが演者となる「八代将軍吉宗・水野祐之進編」ではナレーション的なものを若い村瀬役の岡山天音が勤めているようである。そしてこれは考えてみると吉宗と村瀬が狂言回しになってることを踏まえたもののようで、「八代将軍吉宗・水野祐之進編」では吉宗と石橋蓮司の村瀬が演者であるから、村瀬の若いころを担当した岡山天音がその狂言回し的にナレーションをやっていると考えられる。一方で、それ以外の編ではそのナレーション的なものがない。しっかりと確認をしたわけではないが、石橋蓮司がナレーション的なことをやっており、そのままそれが吉宗と村瀬の場面になるという演出があり、それ全体が吉宗と村瀬による過去の振り返りなのだということを思い起こさせる演出で、それを見て、岡山天音のナレーションの意味がわかったような気がした

変に思えた箇所を二つ。
ひとつは難癖だ。
小石川養生所ができたが、無料で診療など幕府がそんなすばらしいところを貧乏人のために作るわけがない、あそこでは薬草を作ってるらしい、実験台にされると噂が立ち、一人も訪れないという場面。この話の構成からしたら、小川笙船がまず多くの患者を引っ張ってくるだろう。人物的にも善玉扱いだし、作り物であるドラマとしたら、まず小川先生が患者を連れてきて、それでも診療所は空いていて、患者を治したら、そんな噂も立って、閑古鳥としたほうがよさそう
もう一つ、こちらはうーん、自分の見間違いなのだろうけど、なんか腑に落ちない。
「五代将軍綱吉・右衛門佐編」の最終盤、第7話の中盤以降だ
綱吉が右衛門佐に「そこまで言うのならあの日私を抱いてほしかったがな」というセリフがある。その後綱吉が右衛門佐に身体を差し出さずに力を得てみたい、とどのつまりは父(桂昌院、欲得ずくで綱吉を利用しており、それを綱吉は慈しみとすり替えてすがっていると右衛門佐が綱吉に向って言っており、それに対する言葉)と同じだと喝破するセリフに繋がっていく。
で、このふたりの対話の場面に続くのが、綱吉とともに閨に入った男が暗殺しようとし、という一騒動の後で、ついに二人が結ばれる場面で、その後二人の死の場面となり終わるというハイライトシーンだ。おれはこの二人が結ばれる場面を「あの日私を抱いてほしかったがな」の回想シーンと見間違えたのだ。あれ? 抱いてほしかったって言ってるけど、抱かれてるじゃんとなってしまい、見間違えたかなと再度見直してもやっぱり回想のように見えるのだ。
一方性の演出はそのもの自体は避けられていて(この編ではそれなりにそのもの自体が演出されてるけど)、ここでも二人が結ばれたのかどうかそのもの自体は映っておらず、だけどどう見ても結ばれたという演出であり、おれの観方が悪いのかとネットでこの回についてを検索。
「あの日私を抱いてほしかったがな」があり、閨での暗殺未遂、そして二人が結ばれるという順番となっていて、そうか、回想じゃなかったのかとおれの見間違いに気付く。
でもなあ、それならもっとはっきりと場面転換をしてほしいような。大袈裟に言えば、「その数日後」、だとか「数か月後」とかのテロップを入れる、もしかしたらその後ずいぶん経っての出来事なのだとしたら、年号を入れたり、二人を老けメイクにしたりとかはっきりわかりやすくするという趣向もあろう。
なんで見間違えたか。回想場面というのはその人の顔がアップになり、ちょっとぼやかした映像から始まるというようなことがあり、また音楽がそのまま続くというのも、その場面の続きということを思わせやすいのだが、ここでもそんな感じなのだ。
ただ、見間違えるわけなかろうという面から見てみると、「そこまで言うのならあの日私を抱いてほしかったがな」の後に、その「あのとき」の回想場面がちゃんと挿入されていて、ということはある。その回想場面の後も二人の会話が続き、その後がおれの見間違えた次の場面への転換だった。ただ、おれはその回想がどの場面のことか忘れており、であるから、「あのとき」ってどのときだろうとちょっとモヤモヤしていたという点が見間違いの原因であろう。最初の回想場面に続き、「あのとき」がよくわかる詳細な回想場面に入ったように思ってしまったのだ。

「大人の大奥サークル」
結局全部見た。結構参考になる話があった。登場人物の相関関係のことなどで。
感想を言い合うコーナーと書いたが、よくよく見直すと、まず冒頭で二言三言やり取りがあり、その後なにかテーマを設けて解説で、解説のほうがメイン。冒頭の感想というのは、ドラマ受けというのが流行っているからそれを模倣してということだと思う。