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しずかちゃんとパパ [連ドラ]

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2023年7月25日より9月12日まで、地上波のNHK総合『ドラマ10』枠にて再編集版が放送された
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これは昨年NHKBSで放送されたもので、比較的評価が良かったと記憶にあり、それが今回地上波NHKのほうで放送されることになったとのことで、まあ第1話放映前あたりに気付いたこともあり録画していた。別に見れなきゃ見れないでいいんだけどさ。
第1話視聴済みの時点
ウィキのよるとこの地上波版は再編集版ということで、放送時間が各回4分短くなっている。主題歌が「上田正樹「You are so beautiful」」なのだがこの地上波版ではカットとのこと。ちょっと残念
今週は録画している連ドラが次々と最終回となるようで、HDの残量のこともあり、どんどん見ては消し、ということをしなくてはならないのだが、その連ドラ視聴ウィーク第1弾。
というわけでちょっとせかされた気持ちの中で見ることになったこともあり、なんとなく気乗りせず。
聴覚障碍者を扱ったものであり、なんだか優等生ぶった意識高い系のような雰囲気が、まあおれの偏見だろうが、第1話序盤に感じられ、なかなか入り込めず。連ドラは入り込むまでが勝負、入り込んでしまえばあとは一気にノって見れるのだが。
主演の吉岡里帆、優等生なのにエロさを感じるという雰囲気で好きは好きだが、ここではなんだか過剰な演技で嫌な感じ。でもまあ難しい役だし、どういうのが正解かわからん。そして、そもそもそういう過剰さを出していしまう女の子の役ということでこれはこれでうまいのかもしれない
鶴瓶もなんだかわざとらしい演技に感じたが、こちらはさらに難しい役でもあり、どういうのが正解なのやら。
で、この回の中盤、静の圭一との接近の場面、ケバブ屋のあたりから、ようやく話に入りこめた。もう安心か。

※追記
同日は第6話まで視聴
連ドラを一気見するいつものペースなら余裕で全部見れたように思う。まあ、いま猛暑で体力がないとか、そもそも以前のような勢いで見れるような気力もないとか色々あって、感覚としてはゆったりめで視聴して、ここまで見れた。
面白かったかといえば、まあそうでもない。まあこんなもんか、とかありきたりというか、見たことある雰囲気だとか。NHKのドラマらしいなあと思うような箇所も多々。
いいなあと思った場面は2話、5話のラスト、そして6話静が長谷川真琴に怯える場面
2話のラストは、静の子供時代、学校の音楽会での合唱で、静がパパのために手話で歌うということがあり、それをパパは気に入らなかったのかと静はずっと思い込んでいたのだが、そのビデオを見返して見て、パパが泣いて喜んでる姿を発見
5話のラストは木村多江演じるさくら先生の息子にパパが会いに行き、その画像をさくらに送る場面で、まさに鶴瓶のタレントキャラ(家族に乾杯やそもそも鶴瓶が街中で庶民と触れ合うエピソードなど)どおり
6話はプラムでの真琴と静の対決の場面での吉岡里帆の演技、蛇ににらまれた蛙のような。
この真琴という女性、悪役として登場しならがもこの回の最後で和解となる。なんとなくそういう雰囲気はありながらも登場のところでは完全な悪役かなと思っていた。まあ完全な悪役というのは出てこないか、出てきても大袈裟な戯画的キャラであることが多いのがこの手のNHKドラマ。ヒロインの相手役の男が名前は知らないがジャニーズの人であることから、「これは経費で落ちません!」を思い出していたのだが、悪役の扱いもこんか感じだったように思う
聴覚障碍者の父の世話というのがまず全面に出てくるテーマで、さらには今ドラマのヒロインであるその娘とその相手方となる男性が二人ともコミュニケーションに相当問題があり、が、少なくともヒロインのほうは、そのまま、ありのままでいいんだよと肯定されていくという内容
ヒロインの相手方道永圭一は母親の溺愛ぶりに問題があり、鶴瓶の相手役として学校の先生鈴間さくらも息子に毒親と言われるその関係に悩んでいる

※追記
9/13最後まで視聴完了
さすがの鶴瓶、俳優、落語家としてのキャリアを至る所で感じさせる芝居
第7話のプラムで楽しくやりながら突然泣き出す場面、さらにそれに続く静との場面。
さらに8話での静にバカにするな、おれのせいにするな、お前自身がこの町を離れるのを怖がってる、お前の臆病を俺の耳のせいにするなと言う場面。
第8話ラストの声を発するのは想像できたが、もうちょっと感動的にやるかと思ったら、ドタバタした場面での発声でそれはそれで効果的なエンディング
主題歌が第7話と8話でかかる。
苦言
静の町にスマートシティ計画というのが持ち上がるというのがストーリーの発端。その担当者が道永圭一。その町の商店街を残す、そしてその歴史の詰まった優しい町を残すということを目的に圭一は計画の修正に向けて努力し、町の人をも説得していくという風に話が進んできたのに、終盤、第6話あたりから、そのプランBからプランAという血も涙もない計画、全員を強制退去させ、今の町を一掃して新たな町をつくるという実験に計画が変更されるという流れになる。
おれはこれを、圭一、さらにちょうどその回あたりから善玉ターンした真琴らがその計画変更を阻止するみたいな感じになるのかと思いきや、そんなことにはならず。プランAを受け入れさせようとする圭一、それに計画するパパ、しかしその中身が視聴者を納得させるようなものになっておらず、なんでそんなもん受け入れるの、という感じのまま、話が進行、結末に向かうのがなんとも解せない
ならさ、プランBからAに変更するなんていうストーリーはまったく必要ないとしか思えない。
理想の都市を作るために今そこにいる住人を犠牲にするなんて考え方は、当の住人からすればまったく受け入れられないもので、圭一「損失になります」康にぃの父「誰の損失だよ」というやり取りがあるが、まさにその通り、業者の損失なんて知ったことでないし、社会の損失だとしたら、それは行政がしっかりケアしなくてはならない問題で、ドラマでそちらの方向性を善としてしまう(善玉登場人物が推し進めるというのはドラマ的には善であろう)のは変すぎる。
その後はパパが圭一に「実験場になります」なんて言葉を見せられ、「この町は未来に撒く種になります」なんて言葉に説得され、それを住人に自分の言葉として説明し、説得している。ほとんど洗脳されて悪の手先になってしまったかのようである

番組最後に少女の写真が出てくる。その少女の写真は段々成長していくのだが、第4話のところで気付いたが、これが吉岡里帆の写真、最終回では鶴瓶とのツーショット

なにかそれ専用の道具を使って筆談をする場面が多くあるのだが、ふと、この書かれた文字って鶴瓶や役者当人が書いてるわけじゃないよなと思い、ちょっと気になりだし始めてしまい、静止画像などで見比べてみた。
書いている場面は顔は映ってなくて手元だけだとしても、それは当人なのだろうし、それはそうと仮定してみて、そういう手元の映っている文字を書いている場面と、書き終わったものを見せている場面で比較してみた。
第2話。音楽についてパパがさくら先生に語る場面
異なってました
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NHKといえばジャニーズの俳優業について
「これは経費で落ちません!」でもヒロインの相手役がジャニだった。
昨今話題になってるジャニーズ
そのこととは関係はあまりないが、ずっと気になってたことがある。そうそうおれの大嫌いな、意見にはひとつも賛同できない人で、茂木健一郎という人がいて、また注目を浴びたいがための投稿を行っている
「ジャニーズにだまされないで」茂木健一郎が批判も物議 過去「国民的アイドル」と称賛...「見事なまでの手のひら返し」
>「ジャニーズを聴くんだったら、モーツァルトやビートルズ、ボブ・マーリーを聴いた方がはるかに深く世界に通じる教養が身につく」
ここで出す名前が笑 ボブ・マーリーの名前出すなよって思う。

なのだけど。実はおれも似たようなことを考えており、アイドル、とりわけジャニーズなんてお子様向けのものだろと思っている面がある。
おれは小学生高学年くらいがたのきん、松田聖子のあのアイドル黄金期で、影響を受けないわけはない、が、一方で大人の目を窺ってもいたので、それが子供向けのまったく価値のないものだみたいな意見も、自分が大人ぶってそうだそうだなどと思っていたこともだった。
いま振り返っても、あの時期が黄金期で爆売れしてたことはわかる(そもそもおれが好きになったものの多くは振り返ってみると、その当時急激に売れたブームになったものというのが多い、洋楽、バンドブームなどなど)
その考えが根底にあったからか、その後青年期になって以降のジャニーズにはその考えで見ていた。もちろん年齢的にもそれらに夢中になるわけはない。少年隊、光GENJI、そしてSMAPとそれ以降である。
で、事務所の勢力拡大の考えもあったのであろう、その後、アイドル、歌と踊りだけでなく、俳優業やキャスターなどの分野にまで、当たり前のように出てくるようになり、さらに、もう一つ、それらや過去のジャニーズ作品を真っ当に扱う風潮までが出てきておりこれがとても嫌な感じ。
後者は例えば、たのきんのヒットした楽曲を作品として見るような番組、それこそカセットテープミュージックもそうだし、関ジャムもそうだ。
まあヒット曲だし昔を懐かしむ意味でも面白いし、それが実はどういう楽曲構造になっていて、これぞプロの仕事と賞賛されてるのも納得はいくものであるが、ジャニーズ賞賛に繋がってるようでキモいなという思いもあった。
キャスター業についてはキモいの一言。まだ成功している分野でなく、だれも成功はしておらず、今回の件もあり、今後は首だろうとは思うが。東山のニュース番組では彼が突然の降板後、そのニュースを扱わなかったとのことで笑止千万である
という長い前置きで俳優業。
ここがおれにはどうにもやもや。ここについては認めざるを得ないようにも思う。ジャニーズ所属や、元ジャニーズで相当にうまい部類の人が何人もいる。草彅剛だとか岡田准一だとか、二宮和也だとか。それでも全面的に信頼できる感じではないのだけど
キムタクなんかはつまらんと思うが、それでも金を取れる俳優ではあろう。
たのきんあたりになると俳優業はまったくダメだったと思う。おれはたのきんのただいま放課後なんての好んで見てたのだけどね。子供心になんだこれ笑という気分でもあった

ジャニ俳優はスタート時点で下駄をはかせてもらってたり、キャスティングで優遇されてる面はどうしたってあると思う。
もちろんそこで実力がなければ沈んでしまうのだろうが。
なんてことを今回のキャスティングを見ても思う
今回の圭一の演技については・・・、単調に見えたがまあこういう無表情のキャラというのはそもそも単調なのだろうし、うまいのかどうかはわからん
まあでもこういうのはなくなっていくのだろうか。視聴者集めのためには仕方ないのだろうか

それにしてもジャニーズ。ジャニー喜多川ほぼ一人で作り上げた、少なくとも人材集めに関してはそうだろう、それが男性アイドルグループとはなんともおぞましい