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ジャニーズ会見

本日14時より、とのことであまり関心はなかったのだけど、なんとなく煽られて(ラジオショーまで生中継をやるようだ)、こういうのは祭りだしリアタイだよなあ、ということで視聴
14時からのNHK。15時あたりでNHKは改憲生中継は終わってしまったので、その後は民放、民放はこの後16時ごろから番組が夕方のニュースの時間帯になり、その切り替えのためCMが多くなってきたので、15時半ごろまで視聴してテレビを消した。まだ会見は続いていた。16時以降もやるのだろうか。
新社長東山にも性加害の噂があるということを知った。この体制でいけるのでしょうか。まあ、いまはなにをやってもダメでしょうなあ。一族のジュリーを完全追放するくらいまでやらないと。
また東山にこういう追求が来るのを見ると、今後はジャニーズタレント皆がきついことになるだろうし、うまくジャニーズから退所した人らでも、特に直前くらいのタイミングで辞めた人だってうまく逃げられたなんて言ってる場合ではないかもしれない。

※追記
後日こんな記事を見つけた。フライデーの記事で「取材・文:中森明夫」となっている
この記事の中の川崎大助氏の連続ツイートの部分、言葉は衆目を集めるためわざとどぎつくされているが、これをソフトにすればおれがジャニーズに思うことってこれなんだよね。
藤島ジュリー社長自らが登場し…ジャニーズ事務所の存在価値を揺るがした「人間宣言」の重すぎる中身
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さまざまな意見を目にした。音楽誌の元編集長であり、作家の川崎大助氏の連続ツイート(5月15日)に注目する。ジャニー喜多川の性加害の特殊性を、氏は以下のようにまとめた。
<1:未成年への性加害者本人が「加害対象」である児童や少年を「アイドル」としてプロデュースし続けていたこと。2:その「プロデュース術」が大成功して、ジャニーズ・タレントが芸能界やマスコミ、果ては政財界にまで「とてつもなく大きな支配力」を発揮し続けていたこと。3:支配力とは、すなわち「影響力」でもある。だから日本の芸能業界はもとより、若年層向け大衆文化の隅々にまで「ジャニーズ風」の美意識・価値観が蔓延し続けていた、こと>
その上で<舞台上で輝くジャニーズ・アイドルとは、はっきりとこれは「性的捕食者」であるジャニー喜多川の「性的視線」を外面化していた>とし、<つまり、ジャニー喜多川の「芸能プロデュース能力」と「彼の暗い性虐待衝動」というのは、切っても切れないどころか「まったく同じ」根から発したものだったわけです。(略)そうした「彼の視線」によってコーティングされた少年たちを「みなさん、いっしょにどうですか?」とお皿に乗せて差し出したもの、これが「商品化された状態のジャニーズ・アイドル」だったわけで。そして実際問題、無数の少女ほかが「ともにテーブルを囲んだ」わけです。意味論的には。当たり前ですが、性的捕食者の視線を「共有」してしまったならば、その者らはまぎれもない「共犯者」となる>
これは痛烈な論だ。ジャニーズ・アイドルのファンたちもまた、ジャニー喜多川の性加害の「共犯者」だというのだから。
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ジャニーズを楽しんだことは共犯者だとまでは思わないが、ジャニーが自分の性対象を商品化して売っていたというのはその通りであろうし、ジャニーズ入所を決めるという部分に強大な権力をジャニーは持っていた、まあ実際にはジャニー一人で選別していたのだろう、その選別において自分の性加害対象を選んでいたということなのだろう、おぞましい。

※追記
10/2
会見第二弾
14時から
NHKでリアタイ。NHKは15時ごろに中継を打ち切ったので、民放へ。日テレを基本に、そこがCMになったら隣のテレ朝へ。夕方のニュースの時間ころは他が次々とCMになってる中フジテレビが中継していたので、それを見ていた。夕方のニュースが始まる際に少しだけスタジオの音声で、会見が続いてる旨入って、そのまま継続で中継。記者会見終了は16時の予定で、それを数分過ぎたところで終わった。そこまで視聴
終了間際にまだ質問があると大声で言ってた記者などがおり、それを騒然とか混乱の中とか表現している記事があったけど、数人変な人が紛れ込んだだけ、という感じである
さて、これで混乱は収束するのだろうか