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木下恵介アワー「3人家族」  [連ドラ]

05/01(月) 17:00 - BS松竹東急|30分|12倍録
[新]木下恵介アワ―「3人家族」 #1[字]
06/05(月) 17:00 - BS松竹東急|30分|12倍録
木下恵介アワ―「3人家族」 #26[終][字]

オリジナルは1968
山田太一が脚本で、木下惠介が制作(制作というクレジットは最初と最後にあって、最初が木下惠介、最後のところでは松竹、木下恵介プロダクション、TBSとなっている。またプロデューサーというクレジットもあり、四方基。制作とプロデューサーは違う職種ということなのだろう)、監督を務めている
木下啓介 監督
6/10夜視聴開始
今のところ第2話まで

昔の現代ものドラマ。そういうものも多く放映されていて、そこには有名な作品、有名なキャストなどでちょっとはそそられるものがあるにはあるが、現代ものはどうも食指が動かない
こないだも「事件記者チャボ」を第1話から録画できていたが、同時間帯に他の番組が始まり、録画か重複して、どれかを削除となり、あっさりこれを削除した。これが始まると知り、録画をしようかどうかという段階から、あまり見る気は起きていなかったのだ。

これも第1話を見たところ、どうにも面白くないなあという感じでいつ脱落するかなどとも考えていた。でも30分もので全26回くらいなら、すぐ見終えるから頑張ろうかとも。
30分ものというのは、NHK朝ドラだとか、やすらぎの郷とか、その辺のペースであり、しかし全部の回数は短い。仕上がりが中編ものになる連載小説という感じか
感情移入できない一番の原因は現代との風俗の違いか。ここでは父親と息子二人という三人家族が主人公一家、この設定自体が当時でも変わったものでもあろうが、そこで交わされる言葉がどうにもね。弟である健(あおい輝彦)は浪人生で、他の家族の食事の用意などかいがいしく世話をしている。ご飯食べる前に「手を洗いなさい」とかね。
女性観なんかも、女性は家に入り家族の世話をするものという感じがそこかしこにありありで、今じゃとても受け入れられないもの。
現代の流行とは人は無縁ではいられないとおれは考えている。女性観なんかは、おれは現代のそれこそ進んだ考え方にはついていけてないと思うが、それでも古臭すぎるものには大きな違和感があるのだと改めて思う。
また製作者が常識 として描く部分、変な部分として描く部分とがフィクションの中にあると思うが、その前者に違和感があると、見てられない感じになってしまうのだなと思い知る。たぶんこのころの家庭、家族観、ある種の常識が、現代からするとかけ離れた感じなので、製作者が常識 として描いている部分が、全体的に変としか思えない。これは昔の作品だからと割り切って見ているが、これが現代の作品だったとすると、ギャグの場面となってしまうのだろう
おれが常に見ている時代劇だと、その日常の常識というあたりの描き方に、「まあそういうものだろう」と変であっても受けれいられるということになる
竹脇無我が石坂浩二や、勝村政信に見える。
ヒロインの栗原小巻は第1話ではセリフなし、謎めいた女としての出番
沢田雅美、鶴田忍が少しだけ出ていて、前者が栗原小巻の友人(レストランで一緒に食事)、鶴田忍は健の友人といった役どころ。
第2話に入り、女性側の家族というのが明らかになり、この作品の設定、タイトルの意味がうっすらとわかり、これは面白くなりそうとなった。沢田雅美は栗原小巻の妹役であった。そして、この姉妹も三人家族で、家族構成が男の柴田家と同じ、すなわち、母親と姉妹、妹のほうは浪人生
沢田雅美が圧巻。『渥美清の泣いてたまるか』のときと同じような役(同じころの製作だ)。当世風とでもいうか、ちゃっかりした娘。当世風と言ってもいつの時代をとっても、こういうちゃっかりした娘というのがフィクションもので登場するのだが。「おしゃま」だとか「こまっしゃくれた」とか「おてんば」とか色々形容できそう
それに呼応したあおい輝彦もまだまだ若く、世間というものをなにも知らない初心でそれゆえ恐れも知らない感じが面白そうである
第2話では柴田家の母親のいない理由が描かれており、母親は37で10年前に亡くなっている。父親の耕作は第1話で来年に定年(を前に課長に昇進)と言っているから59、年の差12であろう。

*6/11
3-4話
中谷一郎、菅井きん登場、中谷は弥七のイメージが強いが現代劇にもすんなり馴染む風貌。40歳くらいの中年としての登場で敬子を口説く役。菅井きんは家政婦役
そういえば前回に菅勘太郎の名前があったはず、と思い出して見返す。第1話にも3話にも出てないということはあの人だなと思い見返すとやはりその通り、雄一にケチをつける営業社員。
沢田雅美、この回も活躍、今作品でのコメディリリーフの一番手であろう
第1、2話は木下惠介が監督であったが、この回は違う人だ。
4話では東野孝彦が登場
稲葉家の父親のいない理由が明らかになる。
敬子は23歳、舞台は横浜ということがわかる(横浜というのはこれより前の回にもあったのかもしれない)
林家珍平の名があった。公園で敬子と明子に話しかける珍妙な労働者だろう
そしてこの回の最後で、ようやく雄一と敬子が会話をする

5-6話
5話
勤電車での雄一と敬子の出会いの場面。横浜から新橋へ通ってることがわかる。雄一が田村町、敬子が霞が関勤務。
永井智雄登場、敬子の上司
ナレーションに特徴が出てくる。雄一と敬子、二人の思いがナレーションで並列で語られる場面が多い。「敬子は思った」に続いて「~と雄一は思った」となる感じだ
6話
予想外というか予想通りというか、健と明子の出会いとなる。こういう対称的であり似通った家族構成なので、この二人が呼応しているのだから、予想通りとも言えるし、でもなかなかここまで出会うきっかけもなさそうで、そういうわざとらしいことはしないのかなとも思ったり。
雄一と敬子の出会いはなんだか昔風にわざとらしさや、なかなか進まない関係にまだるこっしさを感じたりしたが、こちらはいい。わざとらしいといえばそうだが、明子のキャラを生かした演出が比較的リアリティを保っている。
そしてその後の展開、健と明子の江の島へのデートに敬子がついてくるとなり、敬子が雄一が健の兄だということをどう知るかという、ここら辺もわざとらしいありがちな仕掛けではあるが、王道ともいえる展開に今後突入となっていくであろう

7-8話
7話では健と明子と敬子三人での江の島デート
敬子に夢中な健への明子の嫉妬がありきたりだが面白く仕上がってる
8話ではメインは健の撮ってきた江の島での明子の写真を見る雄一ということになるが、その前段階として昼に家政婦のハルがやってきて、健とのやり取りが延々、時間稼ぎのような冗長さ。
この回での敬子の写真を見てのハルも含めて柴田家では敬子の美貌にやいのやいのと、ルッキズム全開
7話の最初には、二つの家族が男と女で正反対ということに気付いた後にこんな会話
敬子「じゃあ 炊事 お洗濯 どなたがなさるの?」健「僕です」敬子「まあ 大変」健「いえ 割と好きですから」敬子「この子は愚痴ばっかりなのよ」明子「だって 嫌いだもん しょうがないわよ」敬子「すぐ こうなの」明子「大体ね 男がやると大変で 女がやると当たり前ってのが気に入らないわよ」敬子「それが理屈よ。なんていったって男の人がやる方が大変よね」健「いえ フフ…」
当時は、明子の言ってることが当たってるけど、それは言わないということがお約束、でそれを言ってしまう明子の存在が際立つという構図。現代だとこんなやり取りはドラマでは描かれないだろう。明子の言うことが当たってるし、だから敬子のようなことを言う人がドラマには出てこない

9-10話
9話では雄一からの電話で敬子の初デート
10話ではしばらく会っていない二人だったが、明子のおせっかいで、二度目のデートとなる(明子が健にと吹き込む、これを県が雄一に伝える際、明子を「跳ねっ返り」と言っている、上の方に「当世風」とかその他の言葉で言い表したが、こういう娘の表現として「跳ねっ返り」というのもあるな)
そして沢野の元嫁(かと思ったがウィキによると元恋人)が敬子の職場へ襲来。
敬子は雄一からは結婚の意思のないことを知らされ、沢野からもあっさり立ち去られ、物足りなさを感じる。そして沢野の自動車で送るという誘いに乗るというところで終わる
9話で雄一が26歳であることがわかる。
9話は始まり方が変わった。10話は元に戻っている。始まり方はOPの歌と各種クレジットだが、9話はこれまでの総括のようなナレーションから始まる
また、そのOPタイトルでのキャストクレジット順が変更になっている。これまでは割と平凡というか、重要な順に表示’(ゲストというものはない)、キャストが終わったら、ナレーター、監督、制作と表示されていたが、この回からは、各家族の母親と父親である賀原夏子と三島雅夫が、ナレーターが表示された後に表示されている’(賀原、三島の順)。実質この二人がトメということだろう。これまではナレーターは単独表記だったが、この回では、キャストクレジットの最後の二人(トメの二人、賀原、三島は除く)と並記になっている。賀原、三島はこれまでは、竹脇無我(単独表記)、栗原小巻(単独表記)、あおい輝彦、沢田雅美(並記)の後に二名並記されていた(二名とも出ているとき。それぞれが出ない回はまた別の表記だが、順番はさほど変わらない)
また、10話からはOPタイトルの前に「優秀映画鑑賞会推薦」という画面が表示されている。これはなんだろう、4:3の画面だから、当時のものをそのまま放映してるのだと思うが。

11-12話
11話ではクリスマスイブの一コマ。柴田家は各々が別行動、健は稲葉家へ、雄一は先輩の家へ、そして耕作は息子たちが出かけているので一人で天丼の出前で夕食、そこへハルがやってきて、一緒に酒(ビール)、ハルは酔いつぶれる。ここで、ハルは一人っきりの四畳半の家に帰るの嫌、と駄々をこねる。こんなところから、ハルにも色々あることがわかる。ハルにキャラを持たせる効果。
上に書いたように多くの場面で制作側が常識的なやり取りとして描いていることに違和感を感じるという古い作品だからこその欠点があるが、ここは制作側がある種の意図をもって入れ込んだ見る側に変な感じ(違和感)を感じさせようとしている場面かと思う。そういえば、第2話で耕作が今から嫁にもらうなら若い娘だということを雄一に言ってる場面なんかも妙に引っ掛かるが、同種の場面だと思う
12話では、敬子が沢野につきまとわれ、押しの強さに負けそうになる。ひとりでは負けてしまうと思い、雄一に電話をして会ってもらい、相談をし、楽しい時間を過ごす。
この回は9話以来、ナレーションから始まっている。そこで「既に二人は愛し合っていると言ってもいいのかもしれない」とされている。えっ、いつの間に、という気もするが、まあ一目ぼれ相思相愛的な描かれ方だったから、逢瀬を重ねて愛を育むとかいう過程はないのだろう

*6/12
13-14話
森幹太登場、キクの元夫で13年前蒸発、50歳
13話からあおい輝彦、沢田雅美がクレジットで単独表記(前にもあったかも。出演者の数の多い少ないで変えているのかもしれない)

15話
キクが柴田家へ来訪、明子と健が頻繁に会って遊んでいることを心配して。
ハルも来ており、キクへの嫉妬から、耕作とベタベタ。キクは早々に退散。
16話
雄一と敬子の喫茶店でのデートに沢野が割り込む
再度キクが柴田家へ来襲
17話
明子が雄一の会社を訪れ一緒に昼食。この二人の組み合わせは目新しく面白い
江幡高志登場、耕作の以前の同僚で、耕作が会社をずる休みしての競輪場で出会う。耕作にも色々事情があることが仄めかされる
敬子は沢野とダンスへ出かける。
18話
敬子は沢野とドライブデート。明子は勉強でキクが世話を焼くのをうるさがる。キクはここまで子供を育てたのに、せっかくの自分の休みにこんな仕打ちと愚痴る。キクにも色々心労があることがわかる。その晩、稲葉家は三人で焼肉(一方柴田家ではハルも含めて一家ですき焼きという風に対称的に描かれる)。
19話
吉田義夫登場、ハルが家政婦として勤める家の主人
健、明子の受験が始まる。
柴田家では雄一がハルのことをけじめをつけるべきだと言い出し、耕作がそれを言い渡すため、ハルを中華街へ誘う。一方稲葉家は三人んで中華街へ。鉢合わせになる
耕作は55歳とのこと。このころは定年というのは55なのかな
20話
雄一、留学試験合格。行き先はカイロとなる。それを敬子に報告、恋人になれないことを二人が認識。出発まで頻繁に会おうと約束
21話
健が大学合格。滑り止めに受かり、しかし入学手続きを本命発表の前日までにやらなくてはならなくなり、耕作はその13万円を渡すも、健はそれをもったいなく思い、入学手続きをせず。しかし本命も合格。
ハルにも報告。ハルは中華街の一件以来、柴田家には顔を出していない
雄一と敬子は恋人としてでなく友達としてならばという言い訳で気楽に出会える関係になり頻繁に会うようになり、雄一はこれまで見せていなかった明るい面を見せるようになる。
明子が柴田家でお留守番、洋子が健の大学合格を聞きお祝いを言いに来るも、説教。明子の場面に面白い場面が多い
また主人公は雄一と敬子なのだが、健と明子のカップルの描写に惹かれる。初々しい感じ、そしてこちらが主人公ではないからか、多少大雑把な演出で、それに演者が伸び伸びとやってる感じがよい。こちらもそれなりの尺が取られているが。

22話
雄一と敬子がドライブデート、レンタカーを借りて敬子のうちまで迎えに行くも、そこには沢野がいて、敬子を誘っていたというひと悶着。
ドライブは夜遅くまでになり、敬子のうちまで送ると、その車内で二人は抱き合う

*6/13
23話
健がお祝いでステレオを購入してもらってのアレコレ。
江幡高志が再び登場。江幡高志の吉本は18話で耕作に最終力の斡旋をしておりその後は登場がなく、あれで終わりだと中途半端だなと思っていた。いや、単に元同僚が親切心での再就職斡旋ならいいが、何しろいかにも詐欺師面した江幡高志が善良そのものといった耕作へ再就職の斡旋である、
その話し合いをしていた喫茶店で近くの席にいたハルがこれは詐欺かと気を揉み色々動く。
遊園地でデートする雄一と敬子。敬子は二年間待つと言い、雄一はそれを受け入れる。
24話
前話のアレが結婚の約束なのであった。ということで、それを知り、キクが耕作の会社へ話し合いをしに行くと、その日は耕作の定年退職の日。社員食堂で二人で食事をしていると周りの社員が耕作へ別れの挨拶、キクはすっかり気勢を削がれてしまう。
この結婚の約束もそうだし、ハルの耕作への結婚願望もそうだが、それとはっきり言わずに、しかし、それが終わった後のやり取りで、アレがそれだったのかとわかる展開が多い。この頃の人たちはわかったのだろうか。
23話の最後で触れられた兼一からの手紙に揺れる稲葉家
25話
入学式へ健と耕作が出かける。一方明子の学校が学生運動の影響らしく、入学式は延期。
明子が手紙を出したのに応じて兼一が日本へ。明子がこっそり会う。4この場面も良い
ハルが吉本を呼び出し、耕作へ謝罪手の手紙を書かせ、耕作の再就職問題は解決。この場面での耕作、名演技に思えたけど、その後のやり取りを見ると、どうなのか。
まず手紙が留守中の柴田家の玄関に。「留守だったからだろう」とか言ってるが、勝手に入れるのか。
で、その手紙を耕作がそっと読む。そして健とのやり取り。
健「どうしたの、お父さん、イヤなこと」耕作「人生なんてえてしてこういうもんさ」健「どうしたのさ、仕事のこと?」耕作「お前は勉強してればいいんだ」健「急にしょんぼりしちゃったじゃない」
手紙を読んでほとんど表情を変えずに、「人生なんてえてしてこういうもんさ」といういつも通りの鷹揚なお父さんという風に見えたのだが、健が「しょんぼりしちゃった」とそれを感じる応対をしており、ということはそういう演技をしなくてはならない場面なのかなと。
健が冒頭、入学式の準備で父の靴磨きの際、「愛しちゃったのさ 友達の恋人を~♪」と歌っている。検索してみると、西郷輝彦の歌。西郷輝彦とあおい輝彦、とても似ていると前から思っているが、この頃どんな評判だったのだろう。
26話(最終回)
娘たちの説得でキクが兼一を受け入れることを決める。14年(年が改まったからか14年と言っている)ぶりに帰ってきた夫をそう簡単に迎え入れるかねえと疑問ではある
最後は中華料理屋で二家族の顔合わせ、そこには兼一もハルも同席となる。なんとなく、稲葉家復縁、耕作とハルも結ばれるみたいになるのかなと思っていたが、まあそれはやり過ぎ(両家三人ともカップル化)でもあり、どうかなと考えていた。耕作とハルは結ばれず(一緒になることははっきりと耕作が断っておりそれをハルも了承している)ではあるが、この場面で周りからお似合いだと冷やかされている
その中華料理の場面後に、雄一と敬子の歩く場面(敬子がローマ(雄一の赴任地カイロに近い)へ赴任の希望を出したと話している)で終わっていく
雄一の出発の日は4/15とされているが、この回のオリジナル放送は1969年4月15日とのこと

終盤回でのクレジットについて
22話、最終回では、ナレーターの前に賀原夏子と三島雅夫という順にクレジット。キャストクレジットされる人数が少ないため(二家族6人以外に22話では中谷、最終回では森幹太と菅井きんが並記)かもしれない
また25話では、ナレーターの後に、森幹太、賀原夏子、三島雅夫と単独表記

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三島雅夫、賀原夏子どちらもここで初めて名前を聞いたがいい俳優だ。賀原夏子は声は聞いたことあるような気がする。
菅井きん、初登場シーンこそちょっと若く見えはまだギラギラした中年という感じではあったが、その後の場面では、必殺のせん役とそう変わりはない感じ、役柄はかなり異なるけど。
二家族以外でもっとも出番が多い

主人公とその周辺を設定して、あとは色々試練が起きるという朝の連ドラの有りがちパターンというだけの作品という感じだ。
とくに中盤以降ちょっとつまらなく感じ、以降(この枠での次の放送がまた「木下恵介アワ―」で「二人の世界」)見るのを止めるつもりでいたが、その「二人の世界」というのが「1968年に放送された第4弾作品で大人気となった竹脇無我・栗原小巻コンビの『3人家族』が、すれ違う恋人同士を描いたのに対し、その二人が結婚し、夫婦となったらというコンセプトでゴールデンコンビの再登場」とのことで、どうしようかな
また沢田雅美はこの「木下恵介アワ―」によく出ているようで、他の作品ももし放送されたら見たいものだ。この「木下恵介アワ―」の作品は確かTVKで以前「兄弟」というのをやっていたような気がする

二つの相似形、対称的な家族を舞台設定にしているからだろうが、二つの家庭の同じようなことをしている状況を続けるという演出がとても多い。例えば健と明子が外で会い、家に帰る。一方が「ただいま」と帰宅の場面に続けて、もう一方の「ただいま」だとか。明子が敬子と少しチグハグな会話の末、健のお兄さんが好きなのねと指摘する場面の後に、柴田家での同じような状況の場面とか。

音楽:木下忠司
「二人だけ」
作詩・作曲:木下忠司 / 唄:あおい輝彦、瀬間千恵