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元「The Street Sliders」村越弘明が肺がん公表 化学療法で治療「今年は治療に専念」 [つぶやき]

元「The Street Sliders」村越弘明が肺がん公表 化学療法で治療「今年は治療に専念」
[ 2021年5月7日 20:51 ]

・・・
ああ・・・

※追記
そういや、↓を見始めたばかりだった。
"The Street Sliders / Cover Day1987 4/3 芝浦インクスティック「Slippin' And Slidin'」"
スライダーズ好きが最高潮の時分。ほとんどのライブへ行っていたが、これはファンクラブ限定だったかなあ、行われた後で知った。確か宝島に記事が掲載されてて。
ずっと見たかっただんよね。
動画に上がってて、へえこんなのもあるのか、と
もちろんもう気分は冷めてるから、そのまま見ることもなく。ようやく最近音楽動画、といってもニューオリンズものばかりだったけど、を見ている関係で、これまたようやく、昨日ちょっとだけ見た。あまり長いものでもないから一息に見れそうだったけど、なんかもったいない感じで。
そしたらこんなニュースかよ。
悲しい気分になった。

※追記5/8 夜
上記を見終えた。
モナとラヴ・ミー・ドゥが格好良い。リズムの塊のようなギター。
以前に、個々の曲がつべに上がってるのとをいくつか見てて、ラヴ・ミー・ドゥのほうは知ってたけど。
このセットリストのほとんどオリジナルから大きく逸脱はしてないが、ラヴ・ミー・ドゥだけはリズムがエイトビートになっているため大きく印象が異なる
そうそう、セトリのコピペ--
01 Pain in My Heart 02 Homework 03 Around & Around 04 Mona 05 Memphis Tennessee 06 Heart Of Stone 07 Love Me Do 08 Slow Down 09 Slippin' & Slidin' 10 Walkin' The Dog 11 Happy--
そういやこれどこからの映像なのだろう。関係者からの流出かな。カメラ1台ではなく、色々な角度のカメラからの映像が切り換えられている。またメンフィス・テネシーでちょっと映像が途切れる。音だけの動画もつべにあり、そちらは切れていない

買い物へ行った。ずっとハリーのことを考えていた。
どうでもいいことを思いつく
ハリーの愛称の由来
ハリー。ひろあき。HiRo-aKi
名前の前半、「ひろ」から子音を、後半「あき」」から母音を取ると、HaRiである

そういえばインクスティックのライブ、公式のバイオグラフィーにも掲載されてる。この公式サイト素っ気ないものだけど、必要情報がちゃんと掲載されてわかりやすい。
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(1987)
4/3 芝浦インクスティック「Slippin' And Slidin'」。ストーンズなどのカバー曲のみのGIG
雑誌「宝島」FC会員1万人達成記念イベント
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ん? スライダーズファンクラブじゃなくて「宝島」ファンクラブなの?

考えてみるとおれは「天使たち」前後のほんの短い間がファン度最高潮で、行けるライブ全部行ってた。具体的に言えば都有3号地からで、渋谷公会堂2デイズ、中央大学の学園祭、そして初の武道館だ。で、あと1回行ってるはずだけど・・・、どこかのホール、確か八王子だったかなあ。これがいつだったのやら、と上記公式で見てみたら、87年にその武道館のライブ盤を出して、一応そのレコード(タイトルは「THE LIVE !〜HEAVEN AND HELL〜 」)に対応したツアーなのだろう、「4月~ 全国TOUR「THE LIVE」」とある。
今思い返してみてもあの時期、最盛期だったように思える。
なので、このライブでの演奏はおれにとってのスライダーズそのものである。
いってますか~ きてますか~のMCも懐かしい。多分上記渋谷公会堂あたりが初お目見え(というかそのツアー「天使たちのダンス天国」ということだろうが、おれの場合は)。おれの記憶では「いってますか~」曲を挟んで「きてますか~」という順だったと思うが、このライブでは逆になってる。おれの記憶違いか。
正確に言えばそれよりちょっと前あたり、「夢遊病」後のエンジェルダスター、バック・トゥ・バックの二枚のシングル(B面も良い)の時期。そのときのツアー「PARTY IS OVER」(これはその時期のB面の曲のタイトル)を見に行った友達がいて、その話を聞かされていいなあって思ったもんだ。
だからその時代のものは見れなかった決して届かない憧れである。
おれがスライダーズ知ったのもその友達の影響なのだが、いつごろだったのかは思い出せない。「JAG OUT」のレコードなんかを持ってきておれのうちで聞いたりしてた思い出がある。それが発売したばっかりだったのか、それともそいつが単にそれを購入したから持ってきた(それよりずっと以前に発売はされていたが)のか、というあたりだ。他のアルバムをそいつに聞かされたが、それらがニューアルバムだったのかどうかということはほとんど覚えていない。まあ自分の年齢から考えると、「JAG OUT」くらいから聞かされていたとしてもおかしくはないんだよな。おれはそのころスプリングスティーンが好きだったが、同時に聞いてたような気もする。
まあ音楽的にいえば、3枚目のアルバム「JAG OUT」で一皮むけたというかすでにそこで頂点だったように思える。天使たちは一般層向け商業的な殻を破ったという感じで、それゆえ一般人である俺も入れたのだろう。
 訂正。上記エンジェルダスター云々。二枚のシングルかと思ったが、正確にはバック・トゥ・バックは12インチ盤のみ。おれは「Party Is Over」「No Down」がそれぞれのシングルのB面かと思ったが、「No Down」がエンジェルダスターのB面、エンジェルダスター12インチには「Party Is Over」「No Down」がカップリング曲として収録されている。
その後ズズの怪我もあり、一旦活動が停止。そうやって露出が減ると、熱も冷めるのだろう。その後はそれなりに冷静に、ね。
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(1988)
4/10 復活の日!NHK「MUSIC WAVE」収録ライブ。RCサクセション、エレファント・カシマシとの初共演
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これは行われたことはよく覚えている。あのスライダーズの復活だぜ、トリかな、とか思ってたが、やっぱトリはRCだった。
へー、調べてみたら、これエレカシのデビュー直後なんだな。開場が汐留ピット(汐留pit)だったはずで、おれはその後この会場でエレカシのライブを見ている。多分売れていなかったのだろう、無料招待券が届いた。多分スライダーズなんかのライブに行ったとき、ちゃんと住所名前を記入していたので、コンサート製作会社の名簿に掲載されていたのだろうな。

話変わって。色々雑多に
いまいろいろデータを見ていて。
・へえ、スライダーズの最初の夜ヒット出演、1988年の6月である。《Boys Jump The Midnight》が演奏されている。よく覚えているが、てっきり「天使たち」発売のころかと思った。
・天使たち、CD盤は2曲多く、その頃のシングルカップリング曲を足している。というのは知っていて、CD盤のほうがよかったなと思いつつ、まだおれはレコードを買っていた。
今見たら、「Up & Down Baby」が収録されてる。これって「Lay down the city」の詞を変えたやつじゃないの? こんなの同じCDに入ってるの。そもそも、これって
「Lay down the city」(6th Single (12inch) カップリング)
「Up & Down Baby」(7th Single カップリング(CDのみ収録))
となっていて、大胆な選曲だ。
と、調べてみたら、アップダウンベイビーとされるのは二つあるようだ。過去にライブでやってた「Up Down Baby 」というのが「Lay down the city」になり、また別の曲として、同じフレーズを使い「Up & Down Baby」となったということのよう。(つべの動画で調べた)
天使たちは、そう、新曲と既発の曲が半々くらいという構成。既発というのは前のアルバム後に発表されたシングル曲とそのカップリングというすでに知ってる曲。
・蘭丸が甲斐よしひろのツアーに参加してるというニュースを聞き、雑誌でバンドメンバーとステップを踏んでる写真を見て驚いたものだが、そのころ夜ヒットに出ていたという動画が2ちゃんねるで紹介されていた。レインという曲で、動画タイトルにレイン (構わずやらせてもらうぜ)とされている。この曲に「構わずやらせてもらうぜ」ってフレーズあるのかと思ったわ。スライダーズ(イージーアクション)からの拝借か。
いいギターだ。
・思い出したこと
パクリの指摘じゃないよ。
1
「なにかはじめよう、あたらしいこと」というフレーズ、ストーンズの「ダンス」「Get up, get out, into something new」からじゃないか
2
チャンドラーのコード進行、ひとつずつ上がっていくところ斬新。キース・リチャーズのソロアルバムの曲"Whip It Up" が全然違う印象の曲だが同じ手法。もちろんキースのが後。
3
HOLD ONという曲(BAD INFLUENCE所収)とストーンズのファイト(ダーティ・ワーク所収)、曲が展開するところで同じ印象を受ける。同じようなコード進行なのかな
4
ハリーの最初のソロアルバムの中の曲、タイトルは知らないが、ストーンズのハンド・オブ・フェイトのリフとそっくりなものがあった。Am,G,F,Cといくところ。
5
「空は晴れてるのに雨」ってCCRの「雨を見たかい」からなのかな。そういや、いま気づいたけど、スライダーズには「虹を見たかい」なんて曲もあるしなあ
6
You're not the only one ありふれたフレーズかもしれないが、ストーンズのミックスドエモーション(Mixed Emotions)にあるけど、ハリーもなんかで使ってた
7
EASY ACTIONとダンシング・イン・ザ・ストリート。前者が87年、ミック・ジャガーとデビッド・ボウイのデュエットが85年か
8
「のら犬にさえなれない」と「マーシー・マーシー」。有名ではある。似てはいるしオープニングは真似たのだろう。同じようなコードを使いながらコード進行は違う。まあサビのところが同じか
昔おれが購入したストーンズの本、ストーンズを知ったばかりのころ買ったやつで宝島別冊だったかな、81年のツアーの映画公開に合わせたものだと思う、そこにスライダーズのインタビューが載ってた、他にも、沢田研二やら村上龍やら、今考えると貴重なものだった。そこでインタビュアーが、そののら犬のことと、あと「ブラウン・シュガー」を思わすギターというような指摘もしてて、それは多分、「Let It Roll」のことだと思うが、あれも刻み方がキース・リチャーズのオープンGでの一番格好良いやつというだけのことで、そっくりのパクリという感じではない。あれなら、「オール・ダウン・ザ・ライン」と似てるといってもいいわけで。
そういやその本の別のところに評論が載ってて、ストーンズは日本のストーンズっぽいものとは似て非なるものみたいなことが書いてあって、名前は明かさないとしながら、文章が進むに連れ、ちょっとずつ名前を出しては「あ、出さないつもりだったが出してしまった」みたいなことを書いてた文章があった。そこにスライダーズの名前があり、おれは文章評論に弱かった(というかロック初体験期で、なにもかも初体験だったのだ)ので、それや、その他洋楽ジャーナリズムの日本のバンドへの偏見の影響で日本のバンドを変に色眼鏡で見ていたものだった
多分これが、ストーンズのアンダーカバーが出る前の夏くらいの話のはずで、となると83年の夏、スライダーズは「がんじがらめ」の前だ。
8
そういや、ミッドナイトサンの最初のフレーズってRCでチャボの歌う「ハイウェイのお月さま」に同じフレーズがある。「涙の河の~」だったかな、そんな始まり。
おれは、チャボの歌を後で聞いたのだけど、びっくりした覚えがある

※追記
蘭丸のツイート、JOY-POPSの写真とともに--
土屋公平
@kohey_tsuchiya
待ってるよ
またBlues演ろう
--
ジェームス(ブログとツイッターが連動しているのか、同じ文章が掲載)--
jamesichikawa
@jamesichikawa
ご心配なく、とのことなので、とりあえずひと安心ですね。どうか、そっとしておきましょう。
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※追記
レッド・ウォーリアーズの武道館(1月だった)にジョイポップスが前座。
変なこと覚えてる。その日の夜のなんかのラジオで、田所に電話を入れてて。
田所が「ハリーに代わります」
DJ「おめでとうございます(多分正月の挨拶)」ハリー「あ、ありがとうございます」
ハリーとの対話はなかなか微妙な間が空いたりして。で、そのDJ、確か関秀章という人で。
TVKだったかな、番組(ミュージックトマトとかいうやつだったと記憶)持ってて、そのちょっと前にスライダーズをゲストに呼んでた。で、そのことを踏まえてだろう、「覚えてますか」とか間抜けな質問してた。
そういやそっちの番組(スライダーズがゲストで出た関さんの番組)も覚えているなあ。ボーイズ・ジャンプ・ミッドナイトのシングル盤が出たころなのだろう、その話をしていた。ということは、スライダーズの武道館のころのはずだ。ということはレッズの武道館の1年前ってことか。
蘭丸が「中音域を上げて昔のAMラジオのようなサウンドにして」みたいなこと言ってたな。
あと、都有3号地の話もしてたな。前日が雨で下がぐしゃぐしゃで、とか話したら、関さんが「ウッドストック状態で」とか合いの手入れてた。スライダーズはあまり喋らないから苦戦してる感じが伝わってきた。
テレビのスライダーズといえば。
この当時、深夜の番組なんかにも時折でては、最新シングル2曲くらい、つまりはエンジェル・ダスターとバック・トゥ・バックなんてのをパッケージにして演奏してた。
小室等の番組に出てたのを覚えてる。他のゲストに伊藤銀次がいた。ハリーは黒の丸眼鏡サングラス、視線がわからないやつ。
あまり喋らないハリーを伊藤銀次がフォローするかのように喋ってた。
演奏となると、他を圧倒する迫力。

※追記
sionの5/8のツイート
ザ・カセットテープ・ミュージック(6/13)を見ていてふと思い出してsionを検索したら見つけた。
そしてちょっと思い出したことがある。
2000年代に入り、ネットが進化。ほんとに時々だが、ハリーのことなど含めて昔の好きだったことを検索したりしていた。ハリーなんかは数年ごとではあるが定期的に検索し、活動状況を追っていたかもしれない。
いつのことだったか、調べればわかると思うが、それはしない。
ハリーのライブ情報でsionと共演するライブがあった。確か長野だったかなあ、東京ではなく地方であった。共演といっても一緒のやるというのではなく対バン形式。対バンといっても双方バンド形式だったかソロ形式だったかは覚えていない。
で、まあそういうことでsionも思い出し、シオンの情報もその際に色々見ていたのだが。
シオンのブログがあり、そのライブの日の記事を見てみたら、ハリーとの2ショット、ハリーは後ろ姿でシオンと机を挟んで向かい合う形。それでもハリーとシオンの2ショットかあとかつて両方のファンであった俺としては感慨深く。
後日そのブログを見に行ったら、その日の記事が差し替えになっていて、2ショットもなくなっていた。なんとなくだが、ハリー側からNGがきたのかなと思った。そもそもその後ろ姿という時点でちょっとそんなことを思っていたのだ。
さて、その記事。このブログもそうだが、非公開にすると、その記事に記事一覧からは消えてしまうが、投稿者が記事を削除しないと、記事は残っていて、URLを直接入力するとそこへ辿り着けてしまうのが、上記記事もその時はまだ見えていた。