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ものを書く理由 [つぶやき]

談志と志ん朝について評論めいたものを書きたくない。なんでだろうと考えた。
そうか、ものを書くことで、その対象を自分の中の収納棚の収める場所に収めたという感じが出るのだ。いわば自分の手の内、大袈裟に言えば自分の方が対象より大きく見せる、大きいと自己認識するようなこと。
たまったものを吐き出すことで自分がスッキリするという一面もあるのだけど、それも生きている自分の中から追い出して収納棚に仕舞うかのような作業でもある。
さて談志と志ん朝。どちらについても頭の中でグルグルと色々考えたこともあった(特に高座に通ってる頃)し、今でも折に触れて考えてはいる。だけど、それを結論めいたことで書きたくはない。書くことが自分の手の内だと認識することなのだから、実際にはそれを超えた存在であり内容であったことは自分がよく知っており、そんなことで自己満足するのはひどくみみっちいと思える。そんなことを思った今日