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落語研究会22/7月 [落語・演芸]

「らくだ」五街道雲助
解説:京須偕充
聞き手:赤荻 歩( TBSアナウンサー )
放送予定時間
2022年7月17日(日)あさ4:00?

◆第204回落語研究会(2時間版)◆
7月23日(土)深夜3:00~5:00
内 容:「居残り佐平次」柳家権太楼、「四段目」春風亭柳枝、「猫の災難」橘家文蔵
お 話:京須偕充 長岡杏子(TBSアナウンサー)

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23/8/12視聴
ここからは2時間版の方のみを、そしてその2時間版のほうは全部を視聴していくことになる。今回の2時間版の前半である「「居残り佐平次」柳家権太楼」は地上波TBSで22/4月の放送、3か月遅れというわけだが、地上波TBSの1時間版についてはすべてパスして、数か月遅れの2時間版で視聴
「居残り佐平次」柳家権太楼
つい先日、権太楼で「鼠穴」を見ている。それも落語研究会のものだ。そのときも触れたた権太楼を見る時いつも談志を思う。
今回に関してもそうで、そして久しぶりに談志のものを見たいなとさえ思った。まあ見ないけど(※)。
見ていて、この部分、談志はこれこれこういう演出だっただとか、この部分はどういう風にやってたかな、確認したいな、とか、色々思う
この演題については談志の前に圓生が有名、他は知らない。圓生のものは参考程度に聞いたかもしれないがあまり覚えていない。
談志のものが自分の基本になっており、が、どこが談志の工夫、オリジナルで、どこが前からの引き継いでいるところかは完全にわかっているわけではない。というのが前提。
序盤において確か談志のオリジナルの部分だったと思う箇所、権太楼はそういう風にやってなかったというのが二点あった。
佐平次と一緒に遊びに行くほかの三人の男は品川へ行く直前に居酒屋で初めて会ったという部分。権太楼は佐平次と三人は身近な友達という談志とは異なった、つまり普通のやり方。
談志は佐平次が病んでいて品川で療養するために行くという設定については意識して省いていたはずだ。権太楼は従来通り。
三人から一円ずつ集め、それを三人に渡して母親に渡してやってくれとやる場面、そういや佐平次と三人が知り合いでないという設定の談志はどうやってたっけな。名前を名乗って、住まいを言って届けてくれるよう言ったか、それともそんな場面はなかったか
ちょっと驚いたのは中盤、佐平次が勘定を請求されるも払えず開き直る場面で「成り行き」という言葉を使ったこと。これは談志の大好きなフレーズ。ここは談志を意識したのかなあ。そういや「勘定勘定って感情害する」というのも談志が使っていて権太楼も。
その次の場面となる佐平次が刺身の醤油を持って客のところへ入ってくる場面でのやり取りがかなり談志と似ているが、ここは談志のオリジナルが多いのか、それとも以前からのものなのか。
ただ談志は醤油の代わりに隣の部屋の蕎麦のつゆの残りを持ってきており、それがわかって客は「なんだ蕎麦つゆか、道理で甘いと・・・」というようなことを言うが、権太楼は蕎麦のつゆという風にはしていない
その後の佐平次が店を荒らし回り始める情景描写もかなり似ている。同じ言葉を使っていたり。
佐平次が店の主人と対決する場面も結構似ていたなあ。「ガキの頃から手癖が悪く・・・」と気取って語り始め主人の方は「どっかで聞いたことあるな」と返したり。
落げは権太楼のオリジナル。佐平次から正体を知った店の男が店へ戻って主人にそれを話し、連れ戻しましょうと言われると、主人が「(そんなことしたら)居残りの上の居直りをされる」。
京須さんはこの落げの部分を、従来のおこわにかけるの説明なども交え、ここは権太楼の工夫として褒めていた
談志との比較を書いたが、権太楼のことだから、談志のを知らないということはなかろう。でもまあはっきり談志の引用をやるなら、ちゃんと断っているだろうし、もしかしたら習っているのかもしれないし。でもどの程度だと断りを入れないといけないのかとかよくわからんけど。
見ていて、談志のやつはやっぱ名作だったなあと思う。そして印象的なところはそれなりに流れるような調子だったと思うがどうだろう、記憶の中で美化されてるだけかもしれない。談志は口調が淀みないというタイプでなかったし、登場人物が自由にやり演出家談志がそれに戸惑うというようなことを言っており、アドリブめいたやり方もしてたしね。でもおれが見たやつ、90年代中頃のひとり会だが、まだ後年ほどはつっかえる部分は目立たなかったようにも思う。
権太楼はそういうタイプでないのはわかるがもうちょっと流麗になってほしいかな
貨幣価値について
落語で一円と出てくると明治時代、一両と出るとそれ以前ということなのかなとなんとなく思っていた。一円が一両なのだが、どうも同じ価値のように聞こえず、一円のほうが価値が低そう。以前にも書いてると思うが、一両は今の十万円と考えると換算しやすく、さほど外れてもいなさそうなのでそう考えている。落語に出てくる一円にそれほどの価値を感じないのだ。
銭のこともある。一円が100銭、一両が4000文。銭と文ではこれだけ違っているが、落語の中で出てくる銭と文にはさほど違いがないように見える。
で、今回、佐平次がほかの三人ら集めるのが一円、最後主人から高飛びの費用としてふんだくるのが五十円なのだが、最後の最後に、五十両という言葉も出てくる。円と両と両方出てくる落語は別に珍しくはないし、一円は一両なのだろうが。今作品の一円の価値ってどれくらいなのだろう、そして時代設定は?
(※)。見たいソフトはビデオテープ90年代の最初に出た「ひとり会」であり、再生機がないし。多分動画サイトを検索すれば出てきそうではあるが、おれが持ってるソフトのものでない可能性もあるし、もしおれが見たいやつだとしても、動画サイトで見るのはちょっと嫌かなあ。結局自分の持ってるソフトで見たい、が、簡単に見れる状況でなく、それをやるとなると、それだけでは済まず、自分の持ってるビデオソフトの一大復活プロジェクトになりかねなくて(ついでにやれることではないが、そうなるとカセットテープやアナログレコード、CDなんかも気楽に視聴できる環境にしたいと欲張りな思いもある)、ああ頭が痛い。まあ色々あるのだ。
結局いつも記憶の中にある談志を大事にしようと結論
※23/8/13視聴
「四段目」春風亭柳枝、「猫の災難」橘家文蔵
柳枝という名前が今あるとも知らず(調べたら浅草お茶の間寄席で一度見ていた)、はて誰がいつ継いだのだろうと思いながら視聴。マクラで真打披露興行をこの三月で終えたという話をしていた。
この番組では同日放送のものが同日収録であるとは限らず、というか、同日収録のほうが少ないくらいだろうと思う。柳枝はその披露興行でさん喬と正蔵が口上に並んでくれたことを言い、そのさん喬はこの落語研究会での主任とのこと
文蔵、ほとんどやくざのような強面で武骨な落語をやるというイメージでいたが、ところどころで唄い調子のような部分があることに気付く。
秋めいてきたというようなことを最初喋っており、そういう時期の高座
最後のところで幕が閉まり、ありがとうございましたと挨拶しているところを見ると主任か。にしては大きなネタでもない。文蔵が落語研究会で主任をやるくらいになったか
こぼした酒を吸う場面が良い。最後には顔をゴロゴロと床に擦り付けて、品性のいやらしさを表現、当人のイメージ(本人の本来かどうかは別だが)にも合致していていてとても秀逸
序盤で兄貴分が酒を一緒に飲もうと訪ねてきて、酒を買いに行く場面。酒も肴も自分が奢るというようなことを兄貴分が言っており、なら、鯛に目をつけたとき、あの鯛は隣の猫のお余りで頭と尻尾しかないことを白状してもよさそう。ここは、割り勘という話から、鯛があるなら酒はおれが買うとしたほうがよさそう。他の落語家のものはどうなってるかは覚えてないが(結構色々な人で聞いてるはず)
そうそう志ん生は「犬の災難」で鯛でなく鶏肉だったな、はて鶏肉だったら、頭と尻尾が見えているとはならないが、どうやってたんだっけ、と検索。
なんと志ん朝も犬の災難でやってるようだ、後で聞いてみよう。鯛が鶏肉に替わっているの部分は、肉屋が隣に届けたのを預かって、そこへ酒を飲もうと誘いがきて勘違い、となっているようだ。