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クィーン [映画]

2006年のイギリス映画。5点
(原題: The Queen)
すばらしい出来だと思う。色々考えさせられた。保守について、伝統と革新、マスコミに扇動される大衆社会、王室について、そしてそこから連想する日本の皇室について
台詞のひとつひとつも良く、しばしばハッとさせられる。
良い場面も多かった。地味だが良かったと思ったのは、色々心乱されて、女王が自ら車を運転し川に入って行き立ち往生する場面。心の内が描かれているのだろう。その場面で車から降りると鹿と出会う。その鹿が狩りに出会うのではと心配し、追い払おうとし、犬の鳴き声にハッとして再び鹿に目をやると、もういなくなっており、そのときに浮かべる微笑。
その鹿は後日、女王の敷地でなく隣の敷地において狩りで仕留められるのだが、その鹿を見に隣を訪れ、剥製の鹿を思いやる姿。国民の非難を受けている自分の立場と重ね合わせているのだろう。
女王がロンドンに戻り、ダイアナに手向けられた花についてるカードに目をやるとそこには「あなた(ダイアナ)は彼らの上に立ちます」とか「彼らに殺された」とか王室への非難の言葉が数々。女王は振り返り集まっている民衆と対面。花を持っている子供に「置いてきて上げましょうか」とたずねると、子供は「いいえ。あなたに差し上げたいのです」と。ハッとして礼をいいその花を受ける女王。さらに歩を進めると、集まっている人々は女王に敬愛を示す礼をみなが行う。この国民の非難の言葉から、王室に対する敬意の仕草へ変わるところも感動的だ。

いくつかの言葉にもハッとさせられた。「『国民の』プリンセス」という言葉で政府の人気取りを行おうとする場面。演説に「革命」という言葉が入ってることに怒るブレア。
そういや「憲法(Constitution)」という言葉が頻繁に出てきたが、訳は「憲法」でよいのだろうか。よくイギリスには憲法はないというようなことを聞くので、「国体」のが良い? ここら辺は詳しくはわからない。

この映画は何かの紹介を聞いたことがあるような気がする。西部ゼミナールだったろうか。5時に夢中の中瀬のエンタメ番付だったか。ちょっと検索してみたがわからない。

どこら辺まで事実を基にしているのだろうか。ダイアナが死んだだとか、その際に女王がロンドンへ戻らず国民から批判が上がったとかは本当だろうが、その際にやり取りされる女王や首相のやりとりなどはどこら辺まで事実なのだろう。そこらへんもよくわからないが、フィクションということはないのだろう。
女王もブレア首相もこの作品のアカデミー賞主演女優賞受賞を祝したとある。

これは女王目線というか、女王を良く描いているから当然それの反対側は悪く描かれる。ブレアの妻や側近など。これだって強調して憎らしく描かれている可能性もあるが、逆に和らげている可能性だってあるだろう。

しかし、保守とはなんだろうかということを考えさせられる。柔軟な対応をとるべきなのか、守るべき伝統、慣習だってあるのではないだろうか。作品中特に自分が面白く感じたのは、チャールズがブレアと考えを同じくして、女王の対応を批判的に見ている。女王の旦那と母は逆に慣習を大事にすべきという立場。女王も最初はそちらで、私もそうすべきだと思いながら見ていた。後半首相の進言を取り入れロンドンへ戻り、また半旗を掲げるという慣習にないことを行うことになる。立場としてはブレた、追い込まれたという表現になると思うが、これも保守なのだと自分の意見も変化していく。
だったら最初からチャールズが正しかったということになるのだが、ここら辺がまた微妙に違うんだよなあ。
じゃあ逡巡しながら柔軟に対応したから正しいのかといわれればそれも違うし。非常に表現の難しい部分であり、じゃあその表現が難しいのが保守だということになると、それを利用しての言い訳にも使いやすく、非常に厄介な代物だ。

さて王室についても少し。いや書かないでおこうか。王室から皇室を想像するのは難しくはないが、非常に書くのは困難な存在である。ひとつに間違った表現が許されず、気を使うということもあるが、それ以上に自分の中で言葉に出来ない、けれど大事なものとしてあるのだ。「大事なもの」というより「たぶん大事なんだろうなあ」というものか。いや「もの」という表現はおkなのか・・・ こんなことを考えるととても書きようがない。
貶められると怒りが湧くがその原因は表現の非常に困難なものなのである
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