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スナック キズツキ [連ドラ]

去年の12月までやってた連ドラ。「孤独のグルメ」枠。テレ東。
全12話。
制作にホリプロが入ってる。居酒屋新幹線もだ。やけに目立つ感じがするが、ドラマ制作にホリプロとあるのは珍しいことでもないのかな。
いまのところ第5話途中まで視聴。2日で見終えそうだ

直前に見ていたテレ東連ドラ、「じゃない方の彼女」はつまらんの連呼だったが、こちらはスイスイ見れる。1回の放映時間が録画時間で10分ほど短くそのためもあるかもしれないが、出来もいいように思う。わりと意欲的と思える演出も悪くない。
主人公トウコ(原田知世)は酒を扱わないスナックの女主人でちょっと異世界から出てきた感じのあるおとぎ話的というかなんというか。笑うセールスマンの喪黒福造みたいな、というか、おれに知識がないからもっとピッタリくるキャラもありそうだが、まあそんな面もある、普通の人の心の中を読んで、魔法をかけて、みたいな感じ。喪黒とは逆でその出会った人の傷を癒して帰してあげるという役割だが。
そのスナックへ日々の生活で傷ついた人が迷い込み、トウコにもてなしを受け、一緒に歌を歌い、傷が少し和らぎ帰っていくというのが1回のパターン。
以下の記述は全部の回というわけではないようだが、毎回のパターンを書いてみる
「孤独のグルメ」的演出もある。モノローグが入る、これはゲスト側であるが、そしてそれは食事のときだけではないが、ものを食べる時のモノローグが「これは私好み」だとかそんな類のものが孤独のグルメ風である。
一緒に歌を歌う場面はミュージカルの変形とでも言えそうで、トウコに自由に歌うよう促されて、ゲストが自分の生活の不満をメロディに乗せて歌い出し、その場面では、ゲストのその日々の生活の場面の中で正にその日々の生活で傷つけられた場面の中でその不満を吐き出すように歌うという演出もされており、それはゲストの妄想ということかもしれないが、それよりはショー的演出といえそうである。
各回の最後は、その回のいくつかの場面が巻き戻される映像があり、そして・・・。
一話完結的でありながら、各回のゲストがそれぞれ多少の関わりを持っている。第1回のゲストが「中田さん」(成海璃子)。その中田さんは企業のコールセンターのオペレーターで、そこに苦情を入れてくるのが第2回のメインゲストである「安達さん」(平岩紙)という具合、そして先述の各回の最後で巻き戻し映像が止まるところは、その安達さんが中田さんに苦情を入れている場面という具合で次の回へ繋ぐ。
この各回のゲストが多少の知り合いというのは、最終的にそれらが関わり合って大きな事件に繋がるとかそういうことはなさそうで、単に各回を繋ぐための粋な演出ということのよう。確かこれの放映時にラジオショーでナイツ塙がこの作品に言及していたはずで、その際にある回のメインゲストとちょっと関わりのある人が次の回のメインゲストになっているというような話をしていた
他の回のゲスト陣も第1話ですでにちょこちょこと顔を出している。その中で浜野謙太が演じるそのスナックへ酒を配達している男は、ちょっと特異な立ち位置のようで、どこかの回でメインゲストになるわけでなく、そのスナックの関係者というレギュラーという扱いなのかもしれない、その証拠にキャストクレジットで他のゲスト陣とは違うところ、キャストクレジットの最後に単独(ナレーションの大和田伸也と併記)で表示される

※追記
1/10結局第7話まで視聴
丘みつ子がメインゲスト。ここまで見ると、最初の方を見たときに上に書いてもいるが、各回のパターンだと思っていたところが結構違っていることに気付く。
丘みつ子の「ヨシ子さん」は第3話メインゲストの塚地武雅演じる「サトちゃん」のお母さんで、「各回のゲストがそれぞれ多少の関わり」どころではない深い関係である。ちなみに第6話の「香保さん」(西田尚美)はサトちゃんの妹で、この家族は頻繁にメインゲストとしてキズツキに現れていることになる。
歌を歌うのはこの作品のメインの見せどころかと思ったが、そうでもなく、第4話では「朗読」で第5話では「しりとり」である。
丘みつ子は第3話で出てきており、池中玄太に出ていたのを知ってるくらい(安らぎの郷にも出ていたっけなと思い調べてみると、その続編、やすらぎの刻〜道に出ていた)だけど、なぜか名前を覚えている人で、だが、なぜかこの人は単なる脇役でメインゲスト枠の人でないように思っていた。
そうか、それなりに名のある人でここまででチラチラ出てる人は基本的にはメインゲストになってくるのだろうな、例えば八嶋智人とか。そりゃそうだ、それなりのキャスティングで金がかかっているのだから。
歌の場面、歌がことごとく下手なのが妙に良い。市井の人が突然無茶ぶりされたらこんな風になるよなあという感じだ。といってもいきなり市井の一般人がアドリブで自分の日々の生活、その不満をメロディに乗せるなんて出来っこないけど。こういう歌の場面でいきなり圧倒される歌声を聞かせるというのももちろん悪くないけど。
ウィキに「ラテ欄」という項目があり、そこには全部の回ではないけれで、多くの回でその回で出された料理、飲み物が書かれている。とすると、この作品はグルメ番組的指向もあるのだろう。そこまでそういう風には感じないけれど

※追記
1/11
第8話、9話
第8話では「歌」の場面で「タップダンス」
第1話、2話あたりで、相手の得意なことをやらせているのかと思ったが、その後見続けてそういうわけでもなさそうと思い直した。まあ第1話でのトウコのギター弾き語りに合わせて中田さんに歌わせるというのもの別に相手が得意というわけではなかったはずだ。第2話の安達さんはピアノをやっていたということをトウコが見抜いてのその場面だったが。
で、この回では、タップダンスなんてやったことがないという南さんにそれをやらせており、なるほど、相手が得意というのは俺の思い込みだったなとわかった。トウコが相手の心を読み、ここでは「地団駄」を踏みたがってる彼女にタップをやらせるのだ。
字幕オンで見ている。劇中人物が「ら抜き言葉」を使い、が、字幕では「ら」が入っている。 これについては今回初めて気付いたのでなく、ここ最近数回連続で見かけた。多分「じゃない方の彼女」で結構な頻度でそういうことがあったはず。この作品ではおれが気付いたのは初めて。この現象、NHKニュースでかなり昔からあった。街の人の声の場面だ。で、それはわかる。喋ってること(口語)がわかりにくい部分を直してテロップ字幕にすることと同じ次元で、正しい日本語に直しているという感覚だろう。
でもフィクション劇でこういうのは初めて見た。役者がそう喋ってる、台本がそうなっているのに、字幕オンの字幕では「ら」入りとは。(※追記、このメモブログを検索してみたら「絶メシロード」でもら抜き言葉について同じ指摘をしていた)
第9話、このシリーズ中ベスト。女子高生の甘酸っぱい青春が描かれる。
通り雨にスナックの前で二人が立ちすくみ、17歳の悩んでる私を忘れたくないと言う芽衣ちゃんに対し、トウコは50センチ、足を一歩前に踏み出して雨に濡れれば今日のあんたを忘れることはないと答える場面もなかなか
この回では本シリーズ初めてだと思うがトウコの過去が少し垣間見える。そして次回へそれは繋がっていくようだ。その次回が八嶋智人がメインゲストのようである。
第9話と第8話は同日のエピソードなのだろうか。芽衣ちゃんのお母さんである南さんが芽衣ちゃんの前でタップダンスをやる場面がダブっている。南さんが芽衣ちゃんの前でタップダンスをやる場面というのは南さんがスナックへ行ったその日のことでないかもしれないが(※あとで第8話を見返してみたが、服装からして、第8話と9話は同日のエピソード。タップダンスの件があったあと、芽衣ちゃんがスナックキズツキに来たと思われる。そしてその間、南さんはホームヘルパーの仕事へでも行ったか)。
トウコのキャラクター設定はこれでよいのだろうか。演技の良しあしはよくわからんのだけど、微妙にお婆さんっぽい口調なのが気になる。現実感をなくそうとした演出だろうか

同日その後、最終話まで視聴
いや~よかった。終わってしまうのが残念な気持ちで終盤は見ていた。
序盤から良作だとは思っていたが、第8~9話あたりで気分が一段と上がり、終盤はラストに向けて好作品が続いた。
第10話
八嶋智人がメインゲスト。この人は・・・、序盤でチラチラ映ってるときは、ああ、あの人だ、とすぐわかるのだけど、めいっぱい芝居して、クローズアップで静止、という風に見せられると、こんな顔してるんだ、とか、この人誰? みたいな気がしてくるのは不思議。
そもそもこの人の演技って見た記憶がないのだ。本業は俳優だがバラエティで活躍しててそっちのほうで顔をよく知ってるタイプの人だ。
この回もよかった。この回は日々の生活で傷を負って・・・というコンセプトは無視されている。前回で、次の回はトウコの素性が明らかになる回かと思ったが、そうでもなく、だがスナックキズツキに関わるエピソードで、八嶋の「和也さん」は第4話の「瀧井くん」の兄であり、スナックキズツキを前の経営者の息子であり、懐かしくて来てみたらまだ前と変わらずスナックキズツキがあったので入ってみたという設定。「歌」の場面では、音楽とは全然関係なく、店に置いてあった使えない公衆電話で亡き両親と会話するという風。とても良い。
第11話は予想通りというか予想が外れたというか、「こぐま屋さん」で浜野謙太がメインゲストである。こぐま屋さん・上田健一は芸人志望で、「歌」の場面ではなんと漫才、トウコが勧める形でトウコとこぐま屋さんで漫才を始める。
各回のお約束のパターンかと思っていたことがそうでもないことにはすでに気付いていたが、ここまで見てみると、最初のほうにあったパターンは大いに崩れている。メインゲストが知り合いではないが多少の接点があった人が次の回のメインゲストみたいなものは最初のうちだけで、後は親子や兄弟、恋人といった身内がメインゲストになることも多かった。
巻き戻し演出も序盤だけだったか。この第11話では久しぶりに使われていたが、序盤のころのようなその回をグングン巻き戻していって、次回のメインゲストの顔で止まるというような使い方とはちょっと違う、なにせ次回は主人公がメインゲスト枠なのだから。
傷ついた人がスナックキズツキに来るというパターンも第10話ではそうでない回もあった。
最終話は「トウコさん」で彼女の素性が明らかになる回。これは明らかにすべきかどうか。まあこのシリーズで完結させるには綺麗な形ではある。ただ上に書いたようにおとぎ話の魔女的な役割もあったわけだから、普通の人間であると明かすのはどうかと思わないではない。が、まあそういうのを上回るいい結末で、かつて漫画家だったトウコが実家へ帰り、母親と話し、実家の洋食屋へ毎日遊びに来る近所の女の子がトウコの漫画を好きだと語り、もっと読みたいというのを聞き、それが原因かどうか、スナックキズツキに戻り、漫画を描きだす。その漫画が「スナックキズツキ」! という結末。
ウィキで見ると、原作が漫画であり、益田ミリという人の作品。「7年ぶりとなる描き下ろし」であり、「益田は傷つき、くたくたになり気が滅入る夜に、「ふらっと立ち寄れる場所を漫画の中に作りたかった」ため、本作を描いた。誰もが「知らぬ間に」人を傷つけている、その「『知らぬ間に』の部分をうまく描ければいい」と益田は考えていたという。益田によると「傷つけ合うことからは逃れられない」が、「何かあればまたここに来よう、と思える場所があるのはよいもの」であり、「問題が解決するわけではなくても、絆創膏のような役目になればいい」という思いが本作に込められている。「スナックなのにアルコールが置いていないという少々特殊な事情」について、酒に強くなく「スナックにかねてから憧れがあったかもしれない」益田の「夜、カフェやファミレスの他にも立ち寄れる店があったらいい」という願望が込められている。益田は「傷つくことに性別や年齢は関係ないので、いろんな登場人物を描こう」と考え、「お酒が飲めない人でもふらりと寄れる場所」が描かれている」とのことである。
最終話で出てくるトウコの両親が、村松利史と稲川実代子(「川の底からこんにちは」に出てた人)であり、似通ったタイプではないものの、自分からすると、見た瞬間に、あれっ、この人ってあの人かな、くらいに、よくは知らないが、顔は覚えてるという、その程度が同じくらいなので、配役の妙を感じた。

エンディングテーマ、森山直太朗「それは白くて柔らかい」。森山の「さくら(独唱)」に似ているような気がした。これを見終えた後食堂に行ったら、森山の「さくら(独唱)」(インストバージョン)がかかっていて、妙におかしかった。