SSブログ

日本の話芸(2022.1~3) [毎回視聴]

録画したまま未見のものがまだ5本も残ってしまっている。それを見てからこっちへ移行。
新年最初の放送は再放送で「三遊亭遊三 落語「猫の災難」(初回放送日: 2021年10月3日)」。

-- 桂文之助「仔猫」
初回放送日: 2022年1月16日
第420回NHK上方落語の会から桂文之助さんの口演で落語「仔猫」を(2021年11月11日(木)NHK大阪ホールで収録)。大坂・船場の大問屋に、お鍋という女が奉公に来る。美人とは言えないが、誰にでも親切で、働き者なので気に入られる。ある日、店の若い衆がお鍋には怪しい所があると言う。夜、どこかへ出て行き、朝になると戻っていると。お鍋に暇を取らせ、その隙にお鍋の荷物を調べることに。すると…
--
1/16の放送は津波警報が画面にあり(といってもほんの少しだけで、冒頭解説のときに消えた。この放送が始まったときに警報が解除されたようだ)、1/17の再放送を録画してそちらを視聴。
おれはこれを南光「鴻池の犬」の後に視聴(1/18)。南光も主任のようだったが、こちらも主任、収録日が違ってるから別におかしなことではない。
ちょっと怪談めいた噺。
そして南光「鴻池の犬」もそう思ったのだが、なんだか噺が途中で終わってしまったように感じた。
そのことについてちょっと考察。
落ちをうまいことつけることに力を入れてストーリーが途中っぽいのに終わってしまう、そういやそんな落語がいっぱいあったっけなとちょっと思う。で、例えばなんだっけと思い出そうとするが、その例が全然出てこない。
三方一両損はストーリーが大団円、であとに落語だからと無理やりつけた落ち(多くは(大岡)食わねえ、たった一善(越前)だけ)
火焔太鼓にしろ、天災だの、青菜にしろ、ストーリーはちゃんと終わっている。
人情噺で落ちはないので落語というべきかどうか、「文七元結」だとか「紺屋高尾」なんかだと、〆の言葉できっちりストーリーが終わったことを示す「江戸の時代から伝わる「○○」の一席でございます」みたいな)
で、それに比べると、鴻池の犬は、まだその犬たちの会話が続きそうなところを唐突に落ちをつけて終わってる(家の中からこいこいと呼ばれた黒だが、ぼっちゃんにおしっこをさせていた「しーこいこい」だった)し、仔猫のほうは、まさにこれから怪談噺が始まりそうな、お鍋が猫を食らうという話を聞かされて、すぐのところで、「昼間はあない大人しいお前(お鍋)が(夜になると)そんな恐ろしいことを・・・あ、猫かぶってたんや」で終わってしまう。
仔猫のほうは、お鍋についてそういう怖い一面を聞いただけで終わってしまっているのが尻切れな感じがするので、なんらかの決着(そんな面があってもうちで守ってやるだとか、そんなことがあるなら出て行ってくれと暇を出して、その後お鍋はさらに狂い・・・と本格的な怪談になっていくことにして、今回のものは「序章」であったとするとか)をつけた上でそれこそ上に書いた人情噺風に落ちなんかつけず、昔から伝わる仔猫という怖いお噺でございますみたいにしたら収まりがいいのでは、と思ってしまうが、そういういい加減なところがまた落語の楽しいところ。

-- 春風亭昇太 落語「そば清」
初回放送日: 2022年1月23日
春風亭昇太さんの落語「そば清」をお送りします(令和3年11月19日(金)豊島区・サンシャイン劇場で収録)【あらすじ】毎日そば屋にやってきては、十枚もの盛りそばをきれいに平らげていく男がいる。町内の若い衆がこれを見て、「そば賭け」を思いつく。男が盛りそば二十枚を食べられたら一分(一両の四分の一)を払う、だめなら一分もらおう、というのだ。話を持ち掛けると、男はためらいながらも、賭けにのる。そして…
--
テロップで「この番組は2021年11月19日に収録したものです」と出る。これはいま昇太がコロナ感染しているからだろう。同じようなことをつべでも見たばかりだ。ナイツ塙のコロナ感染発表後、彼のユーチューブチャンネルが更新されており、そこにいついつの撮影と書かれていた。
本編、特に感想もないが、昇太と古典、落語のピン以来見ている。そのころたしか彼は「古典とわたし」と題した落語会をやっていたように思う。
新作派の旗手といってもよい昇太が古典に挑むというか、落語のピンでは完全に茶化されたような企画でもあり、それを自分でも受け入れやっていて、そこがなんともいえない魅力ではあったのだが。あれから20年超、いま昇太が古典をやる意味とは、意義とは、とか昇太が古典をやってるのを見るといつも考えてしまう。いわゆる古典派、古典落語だけをやる落語家が古典をやるのとは、意味合いが違うとは思うのだけどね。自身ではどういう位置づけなのだろう。

-- 一龍斎貞花 講談「赤穂義士銘々伝 倉橋伝助」
初回放送日: 2022年1月30日
一龍斎貞花さんの講談「赤穂義士銘々伝 倉橋伝助」をお送りします(令和3年9月24日(金)収録)【あらすじ】倉橋伝助は赤穂浪士の一人。講談の世界では、大目付・長谷川丹後守の息子、金三郎とされている。これは彼が赤穂藩に仕えるまでの物語▽金三郎は遊びにうつつを抜かして親から勘当された。親切な人のつてを頼って、上総・長南(ちょうなん)を訪れ、髪結床「いかり床」の権次に世話になり、髪結いの手伝いをすると…
--
2022/4/6視聴
無観客
放映されてからずいぶん経ってしまった。演芸関係の録画がたくさん溜まってしまってる。
貞花、見たことあるはずであまりいい印象もなくパスしてしまおうかとも思ったが、まあ一応視聴。とてもよい口調、視聴中にこっくりしてしまったが、それも良い口調の印。この話は松の廊下事件より以前のことで、赤穂浪士のひとりである倉橋伝助が赤穂藩に仕えることになっていくまでが語られ、播州赤穂の浅野内匠頭長矩も出てくる。そういや、芝居では名前が変えられて上演されており、その芝居についてのネタである落語だと当然その登場人物は変えられた名前(この浅野内匠頭は「塩冶判官」など)なわけで、そっちに馴染みがあるせいか、「浅野内匠頭」と出てくると面食らう
序盤で、この伝助が最初に日本橋魚河岸で助けられるとき、二度の失敗までは許そうと言われており、一度は失敗することを前提とした話のようでなんだかなまっちょろいなと思った。まあ、その通り最初の助けで援助してもらった金は使い果たし、その言葉を思い出し、上総・長南にその恩人、あざの源太に会いに行くが源太は旅に出ていて会えず、そこで床屋に居候することになるという筋。そういやその床屋に数年いたわけだから、源太も旅から帰ってくるはずで、再会できたんだろうけど、そこらは語られない

-- 林家たい平 落語「藪入り」
初回放送日: 2022年2月6日
林家たい平さんの落語「藪入り」をお送りします(令和3年12月17日(金)荒川区・サンパール荒川で収録)【あらすじ】「薮入り」とは商家などに住み込みで働く奉公人がもらう休日のこと。奉公に出した息子の亀吉が「薮入り」で初めての休みをもらって、三年ぶりに実家に帰ってくる。父親は会うのが楽しみで、何を食べさせようか、どこに連れて行こうかと考えながら一睡もできずに朝を迎える。ところが帰ってきた息子は…
--
2022/4/6視聴
「藪入り」は笑いの箇所もたくさんあり、後半は人情噺になっていくといううまくやれば落語家にとって格好の良い噺なのだと思うが、さてたい平はどうだろう。
多少、笑点落語家としておれは下に見ていることは否定できないが、それでも冒頭の顔つきなんかを見て、ずいぶん格好良い江戸前の噺家という風に見え、期待はしたのだけど。
なんかあんまり受けるべきところで受けていない。客数が少ないのかもしれないけど。人情噺風味の部分は存分に聞かせたか、最後の拍手は大きい。
最初に安直に後半は人情噺と書いたが、よく考えて見ると、筋としては、人情噺もなにも、倅が湯屋に行ってる間に財布を覗き見し、大金を見て勘違いするだけのストーリーだ。まあこの部分を三代目金馬がそれなりの口調を出してきて、涙を誘うという風になっているのだ。
金馬のやつはよく出来ていて、落語はセリフの応酬でストーリーが語られるという形式であり、そのセリフそれぞれが、とくに笑いを起こすものでないようなセリフにも役割があり、そこで情景が作られているということが、このたい平のを聞いて、わかってくる。そのたい平のものにないようなセリフが金馬の版では効いているという風にも感じた。まあ金馬のやつはそれはそれで、なんかいらないなあと思えるようなセリフや、ちょっと嫌だなあと思えるセリフもあるにはあるのだけど。

-- 桂文治 落語「源平盛衰記」
初回放送日: 2022年2月13日
桂文治さんの落語「源平盛衰記」をお送りします(令和3年12月17日(金)荒川区・サンパール荒川で収録)【あらすじ】「源平盛衰記」は当代文治の師匠である先代の桂文治が十八番とした落語。「地ばなし」と呼ばれる種類で、登場人物の会話やしぐさによる通常の演出をとらず、叙述説明によって話を展開させるもの。「祇園精舎の鐘の声」という書き出しで知られる平家物語に沿って源平の戦いを語りつつ、縦横無尽に話が進む。
--
2022/4/7視聴
文治、先代のものをやってる場面をよく見る。これも見たなあ、しかもこの「日本の話芸」で先代がやってるのを見たっけなと思い返しながらの視聴・・・、が、あとでよくよく記憶を辿ってみると、先代の「日本の話芸」で見たネタは違った、「お血脈」。こちらも地噺。「天上天下唯我独尊、こんなこと言うのはお釈迦様か立川談志」みたいなことを言ってたっけ。
源平、お血脈、どちらも落語のピンで知った。後者は志の輔だった。
当代の源平、先代の話を織り交ぜつつ、ちゃんと爆笑も取って、落げの「踊る平家は久しからず」も決まっていた。

-- 桂福團治「たばこの火」
初回放送日: 2022年2月20日
第421回NHK上方落語の会から桂福團治さんの口演で落語「たばこの火」を(2021年12月2日(木)NHK大阪ホールで収録)大坂・住吉神社の前で客待ちしている駕籠(かご)に、身なりのいい老人が乗る。大坂のお茶屋で遊びたいと言うので駕籠屋は北の新地の茶屋に案内する。老人は祝儀にと、茶屋に立て替えさせた金を見習い十人、幇間衆十五人、舞妓二十人、芸妓衆三十人に配る。この老人の正体は?話の結末はいかに!?
--
5/20視聴
81歳、年相応のくたびれた感じだがとても雰囲気のある語り口。
この噺は、小南で聞いたことがある。おれが寄席に行っていた一時期、20年以上前のこと、浅草演芸ホールだった。主任だったのかなあ、長講であった。でも主任じゃなかったように思うなあ。まああいまいな記憶。
記憶というのはポツンポツンと点のように残っているもので、なんでかわからないがこの小南の高座が記憶に残っている。
面白かったというのではない、なんとも不思議な噺でそしてこれはおれの主観の感想だが、それなりに入っていた客席が静まり返っていた。理解しあぐねていたように、自分がそうだったからだが、思う。
その後、聞いた覚えはほとんどない。でもこの小南の高座を覚えていて、それが「莨の火」というネタだと知ったのは、何かで見たのだろう(このメモブログに過去に二度もこの小南のことに言及している、よほど印象的だったのだろう)。
今となってはこの落語の意味はわかる
遊びに来た一見の客が延々と立替を願い、最後には断ってしまうが、それが大金持ちの旦那であることがわかり、そういう人と付き合いを深くするチャンスを逃し、再度来てくれたら失敗せうように万全の体制で待ち構えていると、ついにやってきてくれた、意気揚々と金を立替ようとしたら、貸してほしいのは「たばこの火」という落げ。
そういう観点で見ていたら、今回の高座でははっきりそれとわかるように演じられている。もちろん小南もそのようにやっていて、その部分を聞き逃すというわけでもないが、聞き流してしまっているのだろう。

-- 柳亭市馬 落語「味噌蔵」
初回放送日: 2022年2月27日
柳亭市馬さんの落語「味噌蔵」をお送りします(令和3年12月17日(金)荒川区・サンパール荒川で収録)【あらすじ】味噌屋の主人、吝兵衛(けちべえ)は、ケチで有名。お産で実家に帰っているおかみさんが無事出産した祝いがあるので、今夜は泊りになるだろうと店を出る。心配なのは火事のことで、味噌蔵に火が入らないように、と言いおいて出かけた。喜んだのは、日ごろから主人の倹約に苦しめられている奉公人一同で…
--
5/22視聴
いい。程よい感じがとてもよい。熱狂するほどでないけど、そもそも落語って本来熱狂して力を込めていい! というような見方もどうかと思われ。いや談志や志ん朝に熱狂したけどさ。そういうのを通り越して程よさ加減がとても心地よい


-- 宝井琴桜 講談「瓜生岩子伝」
初回放送日: 2022年3月6日
宝井琴桜さんの講談「瓜生岩子伝(うりゅういわこでん)」をお送りします(令和4年2月11日(金)収録)【あらすじ】瓜生岩子は1829年、現在の福島県喜多方市生まれ。明治時代の社会事業家で、没後には、渋沢栄一らによって日本初の女性の銅像として浅草寺境内に像が建立されるなど、高く評価された。身近な人々を次々に失うという苦難の人生を歩みながら、戊辰戦争の折には街道に出て通りがかる負傷者を助けたという…
--
6/21記
女性講談師。1968年に入門とあるからかなり古い人。
名前の知らない場合、講談師や落語家は男か女かわからない。というか男を想像してるので、ちょっとびっくり。新作と言われるものだろう、講談の場合はどんなものでも題材にして仕上げる傾向があり、とくに人物の一代記なんかはそういうのはお手のものなのだろう、ちょっとおれはこういうのは苦手で見るのはパス(冒頭しか見てない$$)

-- 桂文枝「初恋」
初回放送日: 2022年3月13日
第422回NHK上方落語の会から桂文枝さんの口演で落語「初恋」を(2022年1月134日(木)NHK大阪ホールで収録)。ある学校での国語の授業風景。先生が男子生徒を指し、宿題にした島崎藤村の詩「初恋」の暗誦(あんしょう)をするように言う。暗誦してみると「まだあげ染めし」を「まだ揚げたての」と言うなど、男子生徒はしっかりと覚えていない。代わりに優秀な女子生徒に暗誦するように言うと、すらすら言える。
--
(2022年1月134日(木)NHK大阪ホールで収録)???
6/21視聴
おれは新作落語が好きでないのであまり気が進まなかったが意外に面白かった。冒頭演題解説で、20年ほど前の作品、最近身内に不幸があり、人が亡くなるような噺は止めて、なにか明るいものをと考え、これを思いついた。弟子たちがやってるのを見て、ここをこうすれば面白くなるなどと考えギャグを新たに入れたとのこと。
さてさて時代を現代風に作り替えたのだろうか。にしては、という作り替えの限界を思わすところが一か所あった。というか最初はそんな風に思わなかったただの小道具一つとして登場したのだが、最終的にはそこが作り替えのメインだと思われるものがある。電話である。落げもそれを利用したもの。あ、ちなみに落げはちょっと弱いかなあ、おれはその場面のところで、落げがどうのこうのじゃなくてひょっとしてそうではないかなということが思い浮かび、果たしてその予想通りだったのだが、それが落げとなるとは思わなかった。
登場人物は芥川先生、男子生徒の山田、女子生徒の松木、女の藤先生である。
落げはこうである。芥川先生が藤先生に電話をし、デートに誘う、が、相手は彼女本人でなく母親だった、で、母親が「娘に代わります」が落げ。芥川先生が電話をし、相手が出たところでいきなりデートに誘う文句を言い出したところでおれは、それの相手が藤先生でなく家人なのではと思いついてしまったということである
藤先生は携帯を持ってない・・・。今の時代に携帯を持ってないというのはダメだな、ここが作り替えの限界だと思った部分、でも藤先生が携帯持ってたら、落げは使えない。
そして新たなギャグだと思われるところ、これも電話である。芥川先生の持ってるものが折り畳み式ガラケーであり、それを手拭で表現(手拭を折り、それで折り畳み式をやってみせる)、これは面白いが、男子生徒はそれを見て、「古っ。珍しいですね、きょうびこういう風な電話は。こんなのこの頃見たことないですよ」とか言っている、じゃあ女の先生はどうなんだとなるわな。
落げの後、所作がゆっくりで、なかなか降りない、なんか喋りたそうにも見える。1分くらいかけて降りて行った

-- 昔昔亭桃太郎 落語「ぜんざい公社」
初回放送日: 2022年3月20日
第712回東京落語会から昔昔亭桃太郎さんの「ぜんざい公社」をお送りします(平成30年10月19日(金) 東京・虎ノ門 ニッショーホールで収録)【あらすじ】「ぜんざい公社」という役所ができたというので、とある男が、久しぶりにぜんざいを食べようかと訪れる。まず窓口で住所・年齢・職業・渡航経験などを記入する書類を作成させられ、さらに健康診断書も要求され、ビルの中を行ったり来たり…
--
6/21記
桃太郎なんて代わり映えないし、ぜんざい公社なんて面白くないしで最初からパスしようと思ってたのだが。これ初回放送日が2022となってるが、古いヤツであろう、OPが木久扇のイラストのやつだった。そういや見たことあるんじゃないかな、と思って調べたがこのメモブログにはなかった。パスする


3/27
橘家圓太郎 落語「火焔太鼓」
再放送のためパス

4/3
神田松鯉 講談「名月若松城」
再放送のためパス