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チャップリン 7本 [映画]

放映、2020年4月5月 NHKBS
最近前に放映された6本がまた放映されており、それに交じって『キッド』(前回は放映されていなかった、と思う)も放映された。『キッド』の放映日は2021年2月17日。


2/27
『キッド』(1921年)
チャップリンと子役の演技を見てると映画というものに客が熱狂したのだろうなと思う
『黄金狂時代』(1925年)
最後のほうの家が傾く場面を覚えている。もちろんチャップリンの映画は有名な場面というのがたくさんあり、それは知識として知ってはいるが、それとは別に見た覚えがあるのだ。以前ビデオレンタルで映画をよく見ていたころがあり、その際に見たのかもしれない。といっても他の場面はほぼ覚えてないけど。
2/28
『街の灯』(1931年)
コント連作集のよう
ドリフのコントでの志村けんを思い出す。無言でのパントマイムとなるとみんなそうなるか。ミスタービーンもだな
冒頭の盲目の花売り娘との出会いは作り方が上手いなあと思う
3/1
『モダン・タイムス』(1936年)
一部台詞あり
『街の灯』のときのようなコント連作集のような印象に加えミュージカルの要素もあり
ここまでトーキーを作らず、サイレントに固執したのはなぜだろう。トーキーの技術が信用できないということもあろうが、それに加え自分の技芸がこのスタイルでこそ光るというのもあるだろう。
チャールズ・チャップリンという芸人の喜劇芸を見ている感覚が強い。
ここまで見てチャップリンの演じるキャラとはなんなのだろうと思う。各映画に出ているチャップリンが演じる男に名前はついておらず、そしていつも同じ紛争。市井の人を演じているようには見えない。それは同じ作品に出ている他の市井の人を見ればわかる。他の人はその時代の市井の庶民なのだろうと思うが、チャップリン演じる男だけは、上に書いたようにコントの中心キャラそのものである。そう考えると一連の作品は連作漫画の主人公キャラみたいなものなのだろう。ウィキに「山高帽に大きなドタ靴、ちょび髭にステッキという扮装のキャラクター「小さな放浪者(英語版)」」とあり、そういうことなのだろう。そう考えると、まさにこちらも喜劇だが、植木等なんかもちょっと同じような感じがある。
3/3
『独裁者』(1940年)
トーキー
そのことも一因だろうが、作風はこれまでと大きく変わった印象がある。コント連作集のような印象がほぼなくなり、一般的映画っぽくなった。
ただギャグがなくなったわけでない。長めのコント風味の部分もいくつかある。
3/5
『殺人狂時代』(1947年)
時代順に見ているのであるが、さらに最初の方と比べて作風が変わった。コント連作集のような印象は皆無。ギャグはゼロではないが、チャップリンの独り舞台的な演じられ方もほとんどない。
まあそれについてはウィキに解説がある。
それゆえ、一般的映画と変わりない感じで、そういう映画にあのチャップリンが出演しているという風。でももちろん監督もチャップリンなのだけど。
終盤はちょっと白けた。
なんで逃げられるチャンスがあるのに、簡単に、わざとのように捕まってしまったのか。そしてその後。裁判から刑の執行という最後のところのセリフ、一人の殺人は犯罪だが大量に殺すと英雄、みたいなセリフがあり、ずいぶんと陳腐だな、と。ウィキを見るとそのあたりが名作とされるゆえんのようで、考えてみると、こういう詭弁的なセリフは陳腐と感じるが、これが最初なのだとすると、なるほどと思う。あくまでも今日見た今の時点での感想。

3/6
『ライムライト』(1952年)
すばらしい。
忘れていたわけでもないのだけど、あまり念頭に置いてはいなかったのだが、好きな映画の最上位にくる「太秦ライムライト」はこれをモチーフにしており、悪いわけがない。
ストーリー自体も似ているところがあり、場面としてもいくつか「太秦ライムライト」でオマージュしている
『黄金狂時代』のところに書いたが、この作品もいくつかの場面で見たような記憶がかすかにある。そのときは感銘を受けるほどではなかったのかなあ、さすがに感銘を受けていれば、「これは見た」というはっきりした記憶がありそうなものだ
「太秦ライムライト」的な甘酸っぱいストーリーともう一つ自分にとっては興味深い点、むしろこっちのほうがこの作品において興味深いのは、落ちぶれた老芸人の生き様や舞台場面である。
これも『殺人狂時代』と同じく一般的映画という風味で、またギャグもほとんどないのだが、芸人が舞台で演じるという場面があるわけで、そこでチャップリンの技芸はたっぷり披露される。
日本という言葉が出てくる。テリーを元気づけるため花のマイムを見せる場面。日本の木もマネることができるよ、と。