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クイズ・ショウ [映画]

94年 アメリカ。2点
ロバート・レッドフォード監督
主要登場人物チャーリーの父親がロバート・レッドフォード監督自身かと思ったが違った。

実話を元にしたとのこと。実話を元にしているならこんなこと言っても仕方ないのだが、現実感があまりないと感じた。見る前にウィキであらすじを読んだときもそう思ったし、作品前半を見てるときもそう感じた。どこらへんかといえば、テレビのクイズ番組での素人出演者が全米社会のトップタレントになるかの描写、例えばタイム誌の表紙になるとかいう描写があるが、そこらへんが大げさすぎに見えた。もちろん現代日本に移し替えても、テレビがヤラセを行うというスキャンダルがクイズ番組で行われたとすれば全然おかしくないのだが、なぜかそう感じた。たぶん細かい描写のいくつかにそう思わせる部分があったのだろう。そういえばこないだ見たインド映画「スラムドッグ$ミリオネア」があったが、それでも同じようなことを感じた。「たかがテレビショー」にそんなにムキになるかということだ。今作品でも行政の人間(この作品の原作者)・グッドウィンが新聞の片隅の記事にピンときて、このスキャンダルを調査していくのだが、「たかがテレビショーにねえ」と思う。
チャーリー、グッドウィンと並んでこの作品の主人公であるハービー・ステンペルのあまりの番組に対する執着が最初リアリティのなさと感じたのかもしれないな。この人物は異常なほどの執着心を持つ人物として描かれてるので、これを「ありえない」と考えてしまうのはちょっとピントが外れているんだろう

ただ後半あたり(チャーリーとグッドウィンの対面)からは盛り上がり、その前提の部分を受け入れれば良い作品だと思う。
また今作品の裏テーマに「ユダヤ人差別」というのがあるが、これに関しては自分はまったく無知なので、ピンとこない。

ラストのほうで、プロデューサーがグッドウィンに対して、和解を持ちかけようと「テレビ番組にレギュラーで出してあげるよ」と誘うのは滑稽。追い詰められたあげく、いまだにテレビ番組に出してあげるということが価値あることだと考えてるあたりが無残。
ただこの考え方が前半でも何度も出てくる、つまり番組出演者に対して出させてあげることを価値あるものとして圧力をかけたりするわけだが、ここでも「たかがテレビショーで」という風に違和感を私は持ったのだった。
ただよく考え直してみると、腐るほどあるようなありきたりの話で決して「たかがテレビショー、ありえない」話ではまったくない。なのになぜそう思ったのか。多分演出のせいで、なにか自分の感性に合わないせりふなどがあったのだろうと思う。

もっと細かい話。
チャーリーが最初に画面に出てくる場面。その直前はステンペルのシーンなのだが、場面変わってチャーリーが映り、その相手をテレビ局の人がしている。クイズ番組への出演のための面接場面。このチャーリーの相手のテレビ局の人はステンペルによく似た人。連続する場面でなんでこんな人選するのか疑問。ステンペルとチャーリー(ここでは最初に出てきた場面なので名前はわからないが)が会話しているように見える
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