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訃報・西城秀樹 [つぶやき]

ここに書くことは、ふたつの要素。気持ちを落ち着ける。そして同じような意味でもあるがそのことについて決着をつける。

西城秀樹さんが亡くなった。ガキのころ、一番最初に好きになった歌手だった
前日徹夜だったせいで、半分眠りながら聞いていたラジオ、ビバリー昼ズで、差し込まれた訃報(読み上げていたのは多分ナイツの土屋)。そのままラジオはつけっぱなしで次に耳に入ったのは「土屋礼央 レオなるど」の放送中だったろう、「ブルースカイ ブルー」。これが結構長くかけていて、お、いいじゃんいいじゃん、最後までかけるのかなと思ったら、最後にいくまえにフェイドアウト。「おいっ!」と苦笑いで突っ込み。この曲については下記。
明けて5/18.ビバリーのオープニングも「ブルースカイ ブルー」のサビの部分で司会の高田文夫たちが思い出を語っていた。

ブルースカイ ブルー
ダントツで一番好きな曲。サビが気持ちよく美しいメロディ。それが割とくどく繰り返され、そして最後には「ラララー」となる。これで終わりかと思いきや、ここからがこの曲のハイライト、同じコード進行の上に譜割りを変えたメロディが登場する。「青空よ心を伝えてよ~」の部分である。これに子供ながらに反応したのだろう。大好きだった。
この曲、1978年8月のリリースだそうだ。この年の大みそかに家族でどこかホテルのパーティにでも出かけていたのだろう。パーティに出ろと親に言われ、おれは紅白が見たくてホテルの部屋に閉じこもったというような記憶がかすかに。
自分が歌謡曲なるものに興味を抱き始めたとき、この曲が発売されて比較的日が経っていたのだろう。歌番組であまり長くやってくれなくてサビの部分を聞きたかったおれは不満だった覚えがあり、紅白はそれを聞ける数少ないチャンスだと思っていたのだろう。
そう、当時レコードもカセットもなく、結局ラジオテレビでその曲がかかるのを待つしかないという状況で、そういうことを考えるとアメリカのポップスの歴史でラジオが重要な地位を得ていたのもわかる。
なにかのタイミングで近年この曲を聴くことがあり、いいな~と思いつべもで何回かリピートで聞いた。
今日もさっきに数回聞いた。当時聞くチャンスが限られていたと書いたが、今は無制限で聞けるということがなんだかこの曲についてはいまだにやったーという気分になる

ヤングマン YOUNG MAN (Y.M.C.A.)
こちらは聞き直したいとはあまり思わない曲ではあるが、やっぱり思い出深い曲
1979年2月の曲だそうで、これは自分がカセットに歌謡曲を入れ始めたときの最初の曲だ。そのことについて書く。
YMCA、HERO(ヒーローになる時、それは今)、カサブランカ・ダンディ
これが最初の3曲。なぜこの順番かというと、それはカセット録音を始めた最初の番組がコーセー歌謡ベストテン※。その週の第3位、第2位、第1位の順に録音したというわけだ。ゆえにこのあとは順不同だが、「いい日旅立ち」「天までとどけ」「夢追い酒」ゴダイゴ2曲「ガンダーラ」「モンキー・マジック」・・・ うーんもう何曲か思い出せそうなんだけど。「魅せられて」はなかったような気がするのだが、YMCAとほぼ同時のヒット曲で同年の2大ヒット曲のようだが。これらは多分上記の翌週の第10位から4位なんだと思う。つまり上位3曲は同じとして、その3曲以外を録音したということ。夢追い酒なんていう演歌もあり、もうかたっぱしから録音したのだろう。吸収欲がすごい。いま上記の楽曲について軽く調べたら、やっぱりリリース期が同じ(夢追い酒だけちょっと古いが、長い期間かけてだんだん売れてきた曲ということだそうだ)で、それらの楽曲をノートなど見ないで思い出せるというそれくらい強烈な記憶なのだ。たぶん、ここが自分の記憶の分水嶺。この後確かゴダイゴが好きなっていったと思う。楽曲の良さだろうな。
※追記2019/6/30 上記楽曲の中にアリスの「チャンピオン」があったかもしれない。アリスのことを調べていて、この大ヒット曲が78年12月発売と知った。時期的にはそうだろう。そしてアリスの次のシングルが「夢去りし街角」という歌で、これはタイトルにあまり記憶がないのだが、曲自体はカセットで何度も聞いた好きな歌であり、この曲あたりがカセット録音を始めたころということも覚えている。---、
後から強烈に好きになったキャンディーズ、解散が78年4月で、ゆえにヒット曲は耳になじみがあるがそれほど記憶が鮮明でない。8時だよ全員集合に出ていたキャンディーズは多少覚えているというのは、歌謡曲前にドリフが好きだったということの証左だろう。
※コーセー歌謡ベストテン、調べたら後継番組がいまだにやっていていまだに土曜1時からというのに不思議と感動してしまった。当時の司会は宮川泰で、調べてみると女性の司会者が丸木陽子という人、なんとなく記憶にある名前だが、彼女の1985年に急逝している

西城秀樹のシングルリストを見ると、結構たくさんの曲を発表し大人気のころにもそれほどヒットしてない曲もあるのに少し驚く。今ならAKBがなに出しても1位になるのとはちょっと違うのか。
また初期の自分の覚えていないころの楽曲なんかも有名なものもあるがまったく知らないものもある。
自分が覚えてる最後期は「ギャランドゥ」(1983年2月)。YMCAの4年後かあ。まあ「走れ正直者」『ちびまる子ちゃん』のやつ。これも覚えてはいるけどね

自分にとってエポックメイキングな楽曲というのがその時代時代にあり、それの最初が彼のYMCAなんだろうと思う。
他、時代を下っていくと、ジョン・クーガー・メレンキャンプの「ピンク・ハウス」「天使か悪魔か」(アルバム)、ストーンズの「アンダー・カバー」(アルバム)、ブルース・スプリングスティーンの「ダンシン・イン・ザ・ダーク」「ボーン・イン・ザ・USA」(アルバム)、スライダーズの「ばっく・トゥ・バック」「スペシャル・ウーマン」「天使たち」(アルバム)となるだろうか。でもここらへんになるとアーティストが好きになり、そのアルバムが愛聴盤になりという形で、無理やりシングル曲も入れてるけど、その楽曲にショックを受けたという感じは少し薄いな

※追記2023/1/26
上に書いた1979年のカセット録音を始めたころのチャート
ツイストの「性」があったことを昨晩ツイストのことを調べていて唐突に思い出した。これは多分間違いない。ツイストについては、この歌はリアタイで印象深く、その前の二曲は大ヒット曲らしいがあまり印象になく、デビュー曲のあんたのバラード、こちらを覚えている


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