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ジャッキー・ブラウン [映画]

1997 アメリカ 評価S
01/07(土) 00:15 -
NHKBSプレミアム|155分

クエンティン・タランティーノ監督
タランティーノは名前はもちろん知ってるがほとんど見たことないはずで、作品履歴を調べてみるとやはり見たことない。『フォー・ルームス』というのがタイトルを妙に覚えてるからひょっとして見ているかもしれないが、まあまったく覚えてはいない。
初めて見たが、面白いなあ。後半までダレることなく緊張感があって良い。まあ長い作品だし、自分は通常の2時間の作品でも一気には見れないくらい集中力がないので、これも途中で休みを入れたが。
そして作品全体よりも、ちょっと長め(※)のオープニングクレジット(背景は主人公のパム・グリアが客室乗務員姿で空港を歩いている場面)に続く本編の出だしが非常に素晴らしい。といってもなにが良かったのかよくわからないのだが、これは良い作品になるはずと身を乗り出した。それで気づいたが、身を乗り出すくらいの作品ってとても良い作品の証拠で、それは自分にとっては珍しい。なにがよかったんだろうな。サミュエル・L・ジャクソンと ロバート・デ・ニーロ、そしてブリジット・フォンダの場面である(いまキャストを見てあれがブリジット・フォンダだったのを知った)。目の配りやセリフの抑揚で面白そうな映画だと期待させる最高の出だし。そこに、ミーターズの曲がかぶさり、最高がリミットを突破する感じに。といっても自分の場合ミーターズはファンすぎて、曲に耳が行ってしまうという難点があるのだけど。そのミーターズの曲は作中何度かかかる。
主人公が黒人女性、サミュエル・L・ジャクソンが悪のボスという役どころの犯罪映画で、そこら辺の場面にかかるのはファンク調のものが多い。ラストではボビーウーマックの曲だ(オープニングもそうだったようなと思い見直したらやはりそうだった)。そのBGMにあわせ主人公が口ずさんでる様子を映しだして映画は終わる。
音楽といえば、金の受け渡し本番で、主人公が現場へ行く車が映し出される場面は黒人音楽、デ・ニーロたちが映し出される場面ではロックミュージックと対比される場面も面白い。
作中、デルフォニックスというソウルグループの曲が主人公の好きな曲として大きくフィーチャーされる。デルフォニックスについては知らなかったが、「スピナーズ」に似てるように思った。調べてみると、両者ともフィリーソウルというジャンルだそうだ
またこの映画の英語版ウィキをちょっと見たのだが主演のパム・グリア(タランティーノが大ファンとのことであるが、すごい存在感だ)の過去の出演映画への敬意を表したりしており、そこら辺からのインスパイア―もあるようで、パム・グリアの過去の映画での歌唱曲も入っているようだ。

ロバート・デ・ニーロはサミュエル・L・ジャクソンに命令されるちょっと情けない男の役で自分はあまりこういう役をやるのを見たことがない。
内容はメキシコから薬や金の運び屋をやっていた客室乗務員のジャッキー・ブラウンが捕まってしまい、ボスのオデールは保釈保証業者のマックスを使い、ジャッキーは保釈される。裁判になるが、警察から司法取引を持ち掛けられる。警察の狙いはオデールであることを知り、ジャッキーはマックスと組んでオデールと警察双方を騙し、金をせしめるという内容。
途中まではひょっとして、オデール、警察、マックス全員を手玉に取るような内容かとも思ったが、まあこの内容なら順当。
ジャッキーが警察、オデール双方に金の受け渡し計画を色々説明するのであるが、ここで何か矛盾があるように感じた。が、最後まで見ると、ジャッキーは警察やオデールには嘘を言っていたということがわかり、矛盾ではなかったのだろう。もう一度見直さないとどこをどう矛盾と感じたのか覚えていないが。
また、見直せばわかると思うが、警察、オデールには嘘をつき、マックスには嘘をつかず計画を話しているという風な作りになっているはず。


冒頭のクレジットが結構長い(見直したら強調するほどは長くはなかった)。以下はこの作品のこととは関係ないが。
この作品もそうであるが、ラストのクレジットが長い。これは労働者の権利に関することで、ちゃんとクレジットしないとならないからだというようなことを聞いたことがある。自分はこういう長いクレジットを初めて見たのは「マルコムX」でラストに2曲だから3曲くらいかけてクレジットがあった。そのときはさすが力の入った作品だなとど能天気に思っていたのだが、力の入った作品とかとそういうことは関係なかったようだ。
で、長いクレジットをやらざるを得なくなって以降、ここをどうにか面白くする工夫、見てもらうための工夫をするようなものも見受けられる。NG集を入れてみたりとかである。
でも、この長いクレジット、本来いらないよなって思う。以前は最後まで見てもいないのに、ちゃんと流してはいたが、あまりにも時間の無駄で、最近は早回しにしたりしている。
ただ、先に書いた工夫ということでいうと、制限があるところに芸術は育つというような面があるのは否定しない。そもそも映画は「映像と音でみせるもの」だとか絵画に「音声は付属しない」だとかそういう制限があるからこそ成り立っているのが表現だ(もちろんそういう制限を破るという方向にも表現の方法としてありだが)
今作品の冒頭のほうは、別に長いクレジットを入れなくてはならないわけではないだろうから、この話はあまり関係はないのではあるが、そこに長いクレジットを入れなくてよいのなら、あの冒頭の空港を歩く場面は作品の冒頭を飾っただろうか、というようなことを考えてしまった。

監督は日本びいきのところがあるらしいが、作中、メラニーがかつて日本で「ヒロシ」という男と付き合ってたとするセリフがある。

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