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おしどり右京捕物車 [必殺]

テレビ神奈川 2015/10/3から毎週土曜日20:00。2016/4/2(第22話)以降は毎週土曜日12:00

制作の経緯が興味深い。『助け人走る』の後番組としても計画されてたようで準「必殺シリーズ」としてもよいくらい。スタッフ陣は当時の必殺の人々。
さて、内容だが、これが「必殺シリーズ」だったら、かなり異色作と評されることにもなろう、他のシリーズとは異なる点がいくつもある。と同時に、共通点もあり、シリーズ中、異色の1作となっていたかもしれない。
共通点は、金をもらって他人がやらないような仕事を請け負うという点。
異なる点の一番大きな部分は、他のシリーズ(多分すべて)は「裏の仕事」という概念で共通しているが、今作では、奉行所のほぼ公認である点。そして仕事をするときは他のシリーズでは「裏の仕事」であるから見られてはならず、したがって秘密裡に行われるのだが、今作ではそういう配慮は一切ない。であるから、他のシリーズではたくさんは出てこない大勢を相手にする殺陣というのが今シリーズではほとんどの回でクライマックスシーンになる
仕事の依頼は必ずしも「殺し」ではないのだが、主人公・右京が残忍なのか怒りあまってという感じで殺さないで縛って奉行所に渡すべき罪人を殺してしまうという風に感じる場面も多い。
仕事を行うのが右京ひとりというのも異なっているかもしれない。といっても車を押すはなと二人でひとつではあるが。またチームとして観念、音三もいるにはいるが、彼らは必殺シリーズにおける仕事はしない情報探索係といった位置づけ。
そういえば中村敦夫が演じたほかのシリーズでのキャラともダブり、孤高の存在で他者と馴れ合わないという性格設定なのが可笑しい。「木枯し紋次郎」にも通ずる。というより「木枯し紋次郎」から来てるのだろう。

話の内容は都合の良すぎる展開や、辻褄の合わないように感じる場面、前後関係がイマイチに感じるような話が多い印象。
設定にも荒唐無稽な感じがいくつかあるが、一番は最大の見所である手押し車での移動と攻撃。いまで言えば車椅子に乗っての活躍といったところか。
今なら高性能の車椅子もあろうし、バリアフリーで街中でも比較的不自由なく移動できるかもしれない。しかし、舞台は江戸時代、そして手作りの手押し車。あれじゃあどうしたって素早い移動はできないだろうし、大勢との対決のときに小回りの効いた動きなんて無理だろう。
ちょっとの段差や坂道などの高低差にも不自由すると思う。
まあ、障害のある人間が必死の訓練で超人的能力を身につけ、というようなファンタジーなのだから、そこは高性能なのだと思うべきなのか。
それにしてもはなが必死に車を押している場面がよく出てくるが、それを何時間も続けてなんて無理だわ。それに、右京が車から降りて、人と対面しているような場面もあるが、あれだって座敷に上がるのも、帰る段になって、また車に乗るのも相当な苦労だぜ、と思う。
そういや最終回で(他の回でも似たようなことはあったような気がする)、仕事へ行くからとはなに車を押すように頼み、その仕事ははなが止めてほしいと思っている仕事であるから、押すのをはなが拒むと、右京が一人で腕の力で這いずっていくという場面がある(それを見てはなが折れて車を押すことになる)。ああいう場面は非常に嫌だな。障がい者のわがままを見せ付けられてるようで。そんなので進めるわけないし、場についても仕事が出来るわけもなく返り討ちになってしまう。またそれを見せられたら、はなは折れざるを得ない(といってもそこでははなが折れたというより、やはり私は夫についていくと決意を固めるというような演出だが)。
最近、著名な車椅子の障がい者の方の不倫が大々的に報じられた。そのとき思ったのだが、ああいう肢体と車椅子の装備というのは、一種の威圧感があると思う。それを今作品を見ているときに思い起こした。
そもそも手押し車というアイデアは、有名な「子連れ狼」から来ているのだろうが。

画像の質、演出方法、出ている俳優(レギュラーやゲストもそうだが、それ以外の脇役などにそれを感じる)などはほぼ「必殺」。音楽は鈴木淳。平尾昌晃でないせいか、「あの必殺」の感じが全面的に出ている感じではない。

第1話は与力の右京が足を失うエピソードから始まり、その後、同僚で親友の秋山から手に余る仕事を1両で仕事を受けるようになるまでを描いている。与力時代の右京が、普通の時代劇だと、悪役になりそうな描かれ方(強引な捜査手法)で、それが右京の性格であり、それ故の今シリーズでのそういう仕事を請け負うことになる原因でもあり、全編通してそういう性格、言動が継続する。
これがどうにも、普通のドラマなら主役の善玉への肩入れするのだが、そういう安直な感情移入を許さない感じになっている。どうにも「行過ぎた正義感」に見えるのだ。
それがセリフ面で出ているのが、中尾彬の出ている第13話や第18話だ。前者は中尾彬が医者役で貧しい人々のために格安で治療をしてやっているが、金持ちからはがっぽり取って、さらには薬価を下げさせるため殺しも行うというような人物。右京との対決になり、「お前も俺と同じでないのか」と声をかける場面がある(それへの受け答えや、その場面後に秋山と右京でそれについてちょっと会話を交わす場面もあるが安っぽく感じた)。後者では無軌道な若者集団の話で、これも右京との対決の場面で同じようなことを言われる場面がある。
ただ1時間ドラマであるため、そういう部分を掘り下げるような時間はなく、サラッと触れるだけという感じ。
結局ひっかかるのは、右京のいう正義が、「単に右京がそう思ってるだけの自己満足」に見えることだ。
また、もうひとつ右京の性格を物語るセリフが、観念が足に豆ができたというと、右京が「お前は豆でない男なのに」といい、ちょっとの間の後、観念が笑い出し「右京さんがダジャレを言うなんて」と言う場面。これは冗談ひとつ言わない右京の性格を物語っている。
そういえば最終回のラストシーンははなの言葉に呵呵大笑する右京である。今シリーズ通して右京が笑う場面はほとんどなく、だからこそのインパクトか。
右京がそういう性格だからか、周りのレギュラー陣はコメディ要素を併せ持っている感じだ。はな(ジュディ・オング)、音三(太田博之)、観念(下條アトム)観念の姉・おふく(中原早苗)。コメディ的という点ではレギュラーの中で秋山(前田吟)は別かな。風格もあり演技は良い
ちなみにウィキに、観念の姉・おふくが「(第9・14・16・26話)」とある(中原早苗の項目ではそれ以外に第20話への出演も記述)が、第25話でも出演。なぜか第25話ではクレジットなしだった。

ちなみにさっき見たばかりだから各話の感想をちょっと記すと、最終回はかなり多くの場面で疑問を感じるような展開があった。第25話はシリーズ内では異色作。普通は一話完結のため、その一話の中ではその話の主役になるゲストを中心に話が進むのであるが、今話では、はなの母の形見である櫛をめぐる話。その櫛を質に入れたがその櫛は質屋の娘が勝手に持ち出し、それが掏られ、そして・・・と櫛が転々としていくのを右京夫婦が追いかける話で、であるから、その櫛を手にした人物と次々と右京が対面していく。大体3つのパートに別れており、普通の話ではその一つ一つを一話にしそうな作り。つまり、その3つのパートの第1パートで右京はクライマックスシーンのような殺陣を披露し、短いながらも「見終えた」気分になるような仕掛け。その第3パートで今話のメインゲスト宍戸錠が登場してくる。

ウィキ「オープニングナレーションは、第1話のみ現代社会の映像(サラリーマンの通勤風景、若者でにぎわう歩行者天国、列車転覆事故、学生デモを警戒する機動隊、火災現場など)をバックに、これから主人公に襲いかかる苦難を暗示した内容である。これは地上波再放送でもCSでもカットされ続けた幻のバージョンで、DVD収録で本放送以来29年ぶりに陽の目をみた。第2話から従来のバージョンとなったが、第12話のみ異なるテイクになっている」
本放送では第1話のオープニングは第2話以降のやつと同じだった。残念。第12話の異なるテイクというのもなかったようだ

録画データ
19 地震速報
22、23 録画失敗
24 全編L字で地震情報。さらに地震速報のテロップ

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