SSブログ

網走番外地 [映画]

先日BSJAPANで放映されたものを見る。この作品についての情報は何も入れずに(高倉健の主演ということで興味が起きた)見た。
で、的外れな意見だとは思うが、こういう映画はどういう層に向けて作られたのか、と思ってしまう。同類の映画と位置づけてしまうのはこれまた的外れかもしれないが、かつて深夜に放映されてて見たことがある「女囚さそり」とかそんな映画にもそう思った。
どうにも設定が安直というかありえないものだし、またストーリーも都合よすぎるし、感情移入もしづらいし。今の時代から見ると、そういう昔の映画のアラとかズレとかありえない設定とかを笑うという見方はできるのかもしれない。しかし、当時、そういうものを笑う層に向けてこういう映画が作られたとは思えない。
そして、調べてみると、この映画の成功で続編(この映画と同様に監督石井輝男、主演高倉健)がたくさん作られている(この作品も入れてわずか3年の間に10本)。この短い期間で量産されているのを見ても、大して製作に時間をかけず作られているのであるから、中身もそう代わり映えしないものなのであろう。
そうすると、この映画は上に書いたような斜に構えた見方ではなくて、単純に受け入れられていたのだろうと思う。
そういえば、今でもVシネマであるのだろうか、ヤクザ物は一定の人気があるが、自分にはよくわからない。結局そういうことか。
でも、怖いもの見たさみたいな感覚と、上記のズレやありえない設定を笑うという感覚で、見たくはなるものでもある。
でも当時の状況を書かれたものを読むと、やはり当時は学生運動が盛んな頃で、そういう世代、労働者などから、こういった映画の描く疎外感などの映像のメッセージをすんなりと受け入れられたようである。
おれが思うのは、日本語であるから、これは日本を舞台にしているのだが、それにしても現代日本だとありえないので、ありえたかもしれない平行世界の日本なのだ、と。たとえて言えばアニメ「ルパン3世」が日本語であったり現代日本(や世界中)を舞台にしているようでありながら、ありえないのと同じだと。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0